幸いなことに今日は土曜日。だから、明日は学校も休み。いや、土曜日だからこそ睦月たちと鬼遣いとしての任務を行っていたのだ。
水色のウインドブレーカーを羽織って、ガードレールに寄り掛かっている氷月は、鬼憑きがいると思われる建物を見上げていた。その建物は、道路を挟んだ向かい側に建っている。鬼憑きはまだ暴れていない。人間として、人間と同じように人間と過ごしている。恐らく、その人間を襲うタイミングを見計らっているのだろう。夜も深まって、人々の活動が減ってくる時間帯を。
お腹がぐぅと鳴った。夕飯を食べてくればよかったな、と思う。あの烏賀陽の屋敷にきて良かったなと思えることは、食事をきちんと与えてもらえることだ。祖父母の家でも慎ましいながら三食は食べていた。だけど、食材は烏賀陽の方が断然いいものを使っている。つまり、美味しいということ。
「はぁ」
氷月はため息をついた。鬼封じを行うには、鬼憑きが一人になるタイミングを待つ必要がある。あの鬼憑きは今、目の前の建物のスポーツジムで汗を流しているらしい。非常に人間らしい行動だ。
氷月の能力は中途半端で、鬼憑きの人間を感じることはできる。だが、鬼が人間から離れてしまった場合、その鬼を視ることができない。だから、封じられない。にも関わらず一人でここにやってきてしまったのは、皐月に迫る死をなんとかしたいと思ったからか、それとも皐月と共に自分も犠牲になろうと思ったのかはわからない。
「はぁ。お腹、空いた」
目の前の県道は車が行き交っているし、歩いているような人はいない。だから、誰も聞いているような人はいないだろうと思って、わざと声を出してそう言ったのだ。
だから。
「おい」
と声をかけられた時には、悲鳴をあげそうになってしまった。その悲鳴は飲み込んだのだが、驚きは隠せなかったようで、ピクリと大きく肩を震わせてしまった。
「お前、鬼遣いか?」
太陽はすっかりと沈んで空は闇に飲まれている。この場所を照らすのは先ほどから行き交う車のヘッドライドと街灯、そして建物から漏れてくる灯り。だから、そう声をかけてきた人物の顔を確認することは容易い。
一般的にはイケメンに分類されるような男性だ。年は恐らく一番上の兄の卯月と同じくらいかそれより年下か。
だが、初対面の氷月に向かっていきなり「鬼遣い」であるかどうかを問うてきたということは、同業者だろうか。その問いにどう答えていいかどうかがわからず、氷月は口を半開きで彼を見上げていた。
「お前、耳が聞こえないのか?」
「聞こえています」
「だったら、俺の質問に答えろ。お前は鬼遣いか?」
答えろと命令されてしまったら、染みついた従属精神によって答えるしかない。こくんと首を縦に振った。
「のわりには、中途半端な能力だな。どこの一族だ?」
「烏賀陽……」
「はっ、烏賀陽にお前のようなカスみたいな鬼遣いがいるのか? 名前は?」
「氷月……」
烏賀陽の氷月、と男は口の中で呟いている。
「お前。朝陽の娘か?」
まさかここで母親の名を聞くとは思ってもいなかった。氷月は驚き、またその男を見上げてしまった。
「ああ。なんだ。そっくりじゃないか」
男は笑っていた。何か懐かしいものでも見るかのように。
「俺は日永田一歳だ」
「日永田一族の鬼遣い……」
「お前。もっとはっきり喋れや。何、言ってるか、さっぱりわからん。それよりも、腹、減ってるんじゃないのか? さっきから、そこ、鳴ってる」
一歳にそこと指摘されたのは氷月のお腹である。自分でも気付いていたけれど、他人に指摘されると恥ずかしさが込み上げてきて、顔が熱を帯びてしまう。
「烏賀陽は、飯も食えない程、貧しいのか?」
「いえ。私が、ただご飯を食べるのを忘れただけです」
「そこに、ファミレスあるぞ」
親指でくいっとそこを指さす一歳だが、そこにファミレスがあることなど氷月だって知っている。
「私、一応、高校生ですので」
「だったら、高校生がこんな時間に一人で出歩くな」
「一応、鬼遣いなので。そこはなんとでも」
「お前。一応ばっかだな。だったら、一応、飯食いに行こう」
は、と氷月は口を開けた。この男は何を言っているのか。これから鬼を封じなければならないというのに。
「ですが、鬼が……」
「あの鬼憑きは、あと一時間は動かないぞ?」
「そう、なんですか?」
「ああ。鬼憑きの行動を把握しておくのも、鬼遣いとしての仕事の一つだな」
「そう、なんですね」
氷月が視線を足元に向けると、一歳がクシャリと彼女の頭を撫でた。
「だから、飯、食いに行くぞ。おごってやる」
水色のウインドブレーカーを羽織って、ガードレールに寄り掛かっている氷月は、鬼憑きがいると思われる建物を見上げていた。その建物は、道路を挟んだ向かい側に建っている。鬼憑きはまだ暴れていない。人間として、人間と同じように人間と過ごしている。恐らく、その人間を襲うタイミングを見計らっているのだろう。夜も深まって、人々の活動が減ってくる時間帯を。
お腹がぐぅと鳴った。夕飯を食べてくればよかったな、と思う。あの烏賀陽の屋敷にきて良かったなと思えることは、食事をきちんと与えてもらえることだ。祖父母の家でも慎ましいながら三食は食べていた。だけど、食材は烏賀陽の方が断然いいものを使っている。つまり、美味しいということ。
「はぁ」
氷月はため息をついた。鬼封じを行うには、鬼憑きが一人になるタイミングを待つ必要がある。あの鬼憑きは今、目の前の建物のスポーツジムで汗を流しているらしい。非常に人間らしい行動だ。
氷月の能力は中途半端で、鬼憑きの人間を感じることはできる。だが、鬼が人間から離れてしまった場合、その鬼を視ることができない。だから、封じられない。にも関わらず一人でここにやってきてしまったのは、皐月に迫る死をなんとかしたいと思ったからか、それとも皐月と共に自分も犠牲になろうと思ったのかはわからない。
「はぁ。お腹、空いた」
目の前の県道は車が行き交っているし、歩いているような人はいない。だから、誰も聞いているような人はいないだろうと思って、わざと声を出してそう言ったのだ。
だから。
「おい」
と声をかけられた時には、悲鳴をあげそうになってしまった。その悲鳴は飲み込んだのだが、驚きは隠せなかったようで、ピクリと大きく肩を震わせてしまった。
「お前、鬼遣いか?」
太陽はすっかりと沈んで空は闇に飲まれている。この場所を照らすのは先ほどから行き交う車のヘッドライドと街灯、そして建物から漏れてくる灯り。だから、そう声をかけてきた人物の顔を確認することは容易い。
一般的にはイケメンに分類されるような男性だ。年は恐らく一番上の兄の卯月と同じくらいかそれより年下か。
だが、初対面の氷月に向かっていきなり「鬼遣い」であるかどうかを問うてきたということは、同業者だろうか。その問いにどう答えていいかどうかがわからず、氷月は口を半開きで彼を見上げていた。
「お前、耳が聞こえないのか?」
「聞こえています」
「だったら、俺の質問に答えろ。お前は鬼遣いか?」
答えろと命令されてしまったら、染みついた従属精神によって答えるしかない。こくんと首を縦に振った。
「のわりには、中途半端な能力だな。どこの一族だ?」
「烏賀陽……」
「はっ、烏賀陽にお前のようなカスみたいな鬼遣いがいるのか? 名前は?」
「氷月……」
烏賀陽の氷月、と男は口の中で呟いている。
「お前。朝陽の娘か?」
まさかここで母親の名を聞くとは思ってもいなかった。氷月は驚き、またその男を見上げてしまった。
「ああ。なんだ。そっくりじゃないか」
男は笑っていた。何か懐かしいものでも見るかのように。
「俺は日永田一歳だ」
「日永田一族の鬼遣い……」
「お前。もっとはっきり喋れや。何、言ってるか、さっぱりわからん。それよりも、腹、減ってるんじゃないのか? さっきから、そこ、鳴ってる」
一歳にそこと指摘されたのは氷月のお腹である。自分でも気付いていたけれど、他人に指摘されると恥ずかしさが込み上げてきて、顔が熱を帯びてしまう。
「烏賀陽は、飯も食えない程、貧しいのか?」
「いえ。私が、ただご飯を食べるのを忘れただけです」
「そこに、ファミレスあるぞ」
親指でくいっとそこを指さす一歳だが、そこにファミレスがあることなど氷月だって知っている。
「私、一応、高校生ですので」
「だったら、高校生がこんな時間に一人で出歩くな」
「一応、鬼遣いなので。そこはなんとでも」
「お前。一応ばっかだな。だったら、一応、飯食いに行こう」
は、と氷月は口を開けた。この男は何を言っているのか。これから鬼を封じなければならないというのに。
「ですが、鬼が……」
「あの鬼憑きは、あと一時間は動かないぞ?」
「そう、なんですか?」
「ああ。鬼憑きの行動を把握しておくのも、鬼遣いとしての仕事の一つだな」
「そう、なんですね」
氷月が視線を足元に向けると、一歳がクシャリと彼女の頭を撫でた。
「だから、飯、食いに行くぞ。おごってやる」