「お、おう……」と、勢いに気圧された父規武もハッと口を押さえる。「ああ、さようであるか。オホン! なるほどこれは……。良きものであるな。馳走になるとするかな」
「お口に合えばよろしいのですが」
「こ、こら新久郎」と、父が急に顔を向ける。「おまえは下がって宿題でもしておれ」
「はい。では、失礼いたします」
素直に頭を下げて退出する。
とは言っても、ふすま一枚隔てた隣の部屋だから話し声は筒抜けだ。
「娘とはいくつであるか?」
「十三になります。名を千紗と申します」
千紗か……。
いい名だ、と新久郎はふすまに耳を近づけた。
「家の手伝いもせず、算術ばかり。お手玉よりも曲尺で遊ぶような娘でして」
「なんと、算術を」
「今日は若様に算術を指南していただいたそうで、大変喜んでおりました」
「ほう、うちの馬鹿息子が?」と、声の調子がうわずっている。
身を乗り出す父の姿が見えるようだ。
しかし、指南していただいたのはこっちの方だ。
しかも男と間違えていたのでは、どうにも面目ない。
「ふだんは算術の話などできる相手もおらず一人でおりますゆえ、よほどうれしかったのでございましょう。なんとご立派な若様であるかと申しておりました」
いくらなんでも話を盛りすぎだ。
新久郎まで思わず顔が熱くなる。
剃り上げた額に汗が浮き出る。
「そうか、そうか」と、ふすまの向こうの父は上機嫌だが、新久郎は風呂でもないのにのぼせてしまいそうで、そっとその場を離れた。
それにしても、背を向けてばかりで無愛想な『少年』だと思っていたのに、喜んでいたとは意外な話が聞けて新久郎の頬は緩みっぱなしであった。
まあ、無愛想なのは新久郎のひどい勘違いのせいなのだろうから、ちゃんと詫びておかなければ。
また、あの天神様へお参りに行ってみよう。
学問はともかく、縁結びの神かもしれん。
しかし、それにしてもあの娘と仲良くなるにはもっと算術に精進しなければなるまい。
新久郎は月を見上げて頬を引き締めた。
「お口に合えばよろしいのですが」
「こ、こら新久郎」と、父が急に顔を向ける。「おまえは下がって宿題でもしておれ」
「はい。では、失礼いたします」
素直に頭を下げて退出する。
とは言っても、ふすま一枚隔てた隣の部屋だから話し声は筒抜けだ。
「娘とはいくつであるか?」
「十三になります。名を千紗と申します」
千紗か……。
いい名だ、と新久郎はふすまに耳を近づけた。
「家の手伝いもせず、算術ばかり。お手玉よりも曲尺で遊ぶような娘でして」
「なんと、算術を」
「今日は若様に算術を指南していただいたそうで、大変喜んでおりました」
「ほう、うちの馬鹿息子が?」と、声の調子がうわずっている。
身を乗り出す父の姿が見えるようだ。
しかし、指南していただいたのはこっちの方だ。
しかも男と間違えていたのでは、どうにも面目ない。
「ふだんは算術の話などできる相手もおらず一人でおりますゆえ、よほどうれしかったのでございましょう。なんとご立派な若様であるかと申しておりました」
いくらなんでも話を盛りすぎだ。
新久郎まで思わず顔が熱くなる。
剃り上げた額に汗が浮き出る。
「そうか、そうか」と、ふすまの向こうの父は上機嫌だが、新久郎は風呂でもないのにのぼせてしまいそうで、そっとその場を離れた。
それにしても、背を向けてばかりで無愛想な『少年』だと思っていたのに、喜んでいたとは意外な話が聞けて新久郎の頬は緩みっぱなしであった。
まあ、無愛想なのは新久郎のひどい勘違いのせいなのだろうから、ちゃんと詫びておかなければ。
また、あの天神様へお参りに行ってみよう。
学問はともかく、縁結びの神かもしれん。
しかし、それにしてもあの娘と仲良くなるにはもっと算術に精進しなければなるまい。
新久郎は月を見上げて頬を引き締めた。