ハテと新久郎は首をひねる。
 娘さん?
 いったいなんのことだろうか。
「娘の身を案じてお医者様まで連れて行ってくださったそうで」
「ほうほう、そうであったか」と、父が新久郎を見て深くうなずく。
 ん……!?
 何っ!?
 娘!?
 なんと、あの少年、おなごであったか。
「町医者の洪庵先生から、若様は学問所へ行かれる途中だったと伺いまして、とんだご迷惑をおかけしたのではないかと、このようにお詫びに上がった次第でございます」
「ほう、なるほど。さようか」と、煮過ぎた餅のようにだらしなく父がにやける。「なにも詫びなどわざわざ気を遣わぬでも良かったものを。わしは常日頃から息子には、武士たるもの仁をもって道理となせと申し聞かせておる。人の上に立つ者こそ、人の助けとならねばならぬ」
 何を言ってるんだ、このオヤジ。
 横で聞いている新久郎が恥ずかしい。
「さすがは御家老様。孔孟の道を実践なさるお姿に感服いたしました」
「オホン! すなわちそういうことじゃ」
 何がそういうことなのかさっぱり分からない。
 そもそも、いつも学問のことばかりで、仁とか道理など、父の口から今日初めて聞く言葉だった。
「娘が若様のお召し物を汚したそうでございます」と、惣兵衛が布に包んだ何かを母へ差し出した。「大変失礼ながら、こちらは些少ではございますが、お収めくださいませ」
 かすかにシャリンと擦れる音がした。
「まあ、結構でございますのに」と、言いつつ、母が満面の笑みを浮かべながらしっかりと受け取って脇へ置く。
「それと、こちらもよろしければ」と、旦那が折り詰めを父に差し出した。「赤飯でございます」
「ほう、赤飯とな……」と、父はぽかんと口を開けて受け取る。「はて、何の祝いじゃ?」
「早くに妻を亡くしたもので、手前どもで娘らしいこともしてやれず、このたびのような粗相をいたしまして、お恥ずかしい限りでございます」
「あなた!」と、妻が般若の形相で膝を打つ。
 新久郎は再び首をひねった。
 今日は二度も同じ光景を見たような気がする。