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 秋になって、父小田崎規武は参勤交代で国元へ帰ってきた殿様から呼び出された。
「規武、久しぶりだな」
「殿にはお疲れのご様子もなく何よりでございます」
「うむ。楽しい道中であったぞ」と、上機嫌な殿様が身を乗り出す。「して、規武、そちのせがれが元服したそうだな」
「はい、おかげさまで」
「その方同様、我が息子も来年元服じゃ。江戸での算術講義、せがれの準備は良いか」
「ははっ」と、規武は頭を下げた。「若君のご期待に応えるべく、方正斎殿の下、学問に励んでおりまする」
「そうか、それは殊勝なことであるな。では、来年春に出立させるが良い」
 いよいよこの時が来たか、と規武は身の引き締まる思いで帰宅した。
 早速、新久郎を呼びつける。
「父上、何事でございますか」
「座れ」と、床の間を背にして畳を指さす。「おまえに晴れの舞台が用意されたぞ」
「御前講義でございますか」と、新久郎はまっすぐ父の目を見つめた。
「おう、知っておったか。我が小田崎家は算術の家系である。よって、嫡男が元服した際には若殿様へ算術の御前講義をおこなうのが習わしとなっておる。本日、殿よりご下命があった。謹んで承るのだ。良いな」
「はい。必ずや小田崎の名を上げて見せまする」
「うむ。結構」と、父は満足げにうなずいた。「おまえも立派になったものだ。年明けの雪解けとともに出立する。まだ時間はある。より一層精進するのだぞ」
「はい。身命を賭して励みます」
 と、新久郎は畳に額がつくほど頭を下げた。
「つきましては、一つお願いがございまする」
「なんじゃ」
「江戸へ出立する前に千紗殿と夫婦となりたいと存じます」
「なんと」と、父は絶句して天井を見上げた。
「父上、私には千紗殿が必要です。そして、千紗殿を江戸へ連れて行くのが私の願いでもあるのです。千紗殿に新しい算術、そして、西洋から伝わるまだ見ぬ算術を見せてやりたいのです」
「相手は町娘であるぞ」
「はい。重々承知しております」と、新久郎は顔を上げた。「ですが、私はすでに千紗殿に誓いました。必ず夫婦になって江戸へ連れて行くと」
 フッと父が笑みをこぼす。
「軽はずみなことを」
「いいえ」と、新久郎は父ににじり寄った。「私の気持ちは巌のごとく固く重いものです。算術にて身を立てる意志も同様でございます。武士に二言はございません」