桃太郎にキビダンゴをもらった犬のように喜ぶ千紗の顔を満足そうに眺めながら、新久郎も自分のまんじゅうを口に入れた。
「どうだ。うまいだろう」
 千紗はコクコクと何度も頷いた。
「こんなかわいい犬ならキジでもサルでもなんでも来いだな」と、新久郎も桃太郎を思い出したようだった。「でも、キジだと足の数が違って算術が面倒だから、四本足のにしてもらおうか」
「それだと区別できなくて解が出ません」
「そうか、かえって面倒か」
 と、そこでようやく『かわいい』と言われたことに気づいてまんじゅうが喉に詰まりそうになってしまった。
「お、大丈夫か」
 いきなり新久郎に抱きしめられる。
 背中をさすってくれるのはありがたいが、息は詰まるし、恥ずかしさで顔は熱くなるし、どうして良いのか分からない。
 千紗は自分で軽く胸をたたいてようやくまんじゅうを飲み込んだ。
「顔が赤いぞ。息ができぬか?」
「いえ、もう……」と、今度は言葉を飲み込んだ。
 ――若様ともう少しこうしていたい。
 と、その若様が鼻をひくつかせる。
「そなた、いい匂いがするな」
 はあ!?
 毛虫が這い登るような悪寒がして、思わず突き飛ばしてしまう。
「うわっ」と、ひょろり新久郎はあっさりと尻餅をつく。
 洪庵先生の奥方様からお香を焚いておくと良いと教わっていたのだが、あまり匂いをかがれたくはない。
 ただ、新久郎の方はそういった女性の都合にはまるで気がついていないようだった。
 立ち上がろうとした新久郎の懐からパサリと書物が落ちた。
「おっと、いかん。実はな、今日はもう一つそなたに見せたい物を持ってきたのだ」
 新久郎が本を取り上げて、ほこりを払ってから千紗に差し出す。
『算術求法』という数学の書物だ。
 このような立派な書物を見るのが初めての千紗は顔を突っ込む勢いで表紙を見つめていた。
 新久郎は膝の上に本を開いて指さした。
「ここに書かれておることが気になってな」
「わたくしは仮名しか読めません」と、千紗は漢語だらけの本を見つめたままつぶやいた。
「おお、そうか。ならば、私が読んでやろう」
『甲と乙を足せば二十五、甲四つに乙二つを足せば八十六なり。甲と乙はいかなる数や』
「これは二元の解を求める方程式というものだが、そなた、解けるか?」
「十八と七」
 千紗は即座に答えた。
「なんと! やはり分かるのか」
 新久郎が顔をのぞき込むので千紗は首を引っ込めてうつむいた。
「おお、すまぬ」と、新久郎も頬をかきながら首を引っ込める。「で、その解き方は」