(詠夏side)

いつのまにか季節はだいぶ巡っていた。

外はコートを、中は暖房を入れないといけない寒い時期だ。
もうすぐクリスマスが、その後すぐにお正月がやってくる。
もう年賀状が販売されていたな、と思いつつ喫茶店の鍵を開けた。

私にはもうひとつの正月がある。

祖母は茶を立てる人だ。
茶の湯の世界では立冬を<正月>という表現で表し、一年のはじめとするのだ。
春に積んだ新茶を蒸したものを一旦乾燥させて壺にて保存する。
その状態になった茶葉を使いだす時期だ。
また、茶室の畳を新調したり、障子を張替えたりする。

おばあちゃん子だった私は小さい頃、手伝いを楽しんでよくやっていた。
だから私もこのお店を掃除する<しきたり>にしてみた訳だ。

でも、ここの鍵を開けるのはだいぶ遅くなった。
お店も休店にしてしまった。
私の心は今にも泣きたいような気持ちに、ずいぶんと苦しんでしまったからだ。

とりあえず掃除をしなければいけない。
上からはたきをかけて床に埃を落とす。
その後、床に箒をかけるのは昔ながらの掃除のやり方だ。
最後に全体的に雑巾をかけておく。

祖母に育てられたのがまるまる活きている。

ドアを開けて換気をしていても、掃除を終える頃にはだいぶ汗をかいてしまった。
ひんやりした風がセーター越しの私を冷やしていく。

掃除が済んだ店内を見回してみる。

やはりきれいにすると気持ちの良いものだ。
心の整理にもなると思う。

ちょうど身体を180度くらい捻ったところで、部屋の隅に折り畳まれた紙が転がっているのに気づいた。

なんだろうか?

たぶん、猫の華が遊び道具にしていたのが今頃出てきたのだろう。
その紙を拾い上げてテーブルの上に置いておいた。

 ・・・

茶の湯の事始めにはきちんとお茶を飲んでおきたい。
キッチンでお湯を沸かして、物置から茶器を持ってきた。
実家から持ってきた、お気に入りの道具たちだ。

テーブルの上だけど私ひとりで飲む分には良いだろう。

お湯を適度な温度に温めて、茶葉の封を切った。
得も言われぬ甘い香りが部屋中に広まった。

きちんと器を回して顔を楽しんだ。

ひとくち飲むと、甘い香りが口の中を染めていく。
これを楽しんでこその茶会だ。
このお店でお客を招いても面白かったな、なんて今頃になって気づいてしまった。

部屋の中はまるでお花畑のような彩りのような気がした。

三途の川を超えて、きれいな花咲くところへ私を連れてってほしい。
私に渡る権利はあるだろう……。

 ・・・

先ほどの紙はレポート用紙だった。
幼さを思わせる丸っこい字は、まるで中学生が書いたように思えた。
そんな小さいお客さんはひとりしかいない。

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喫茶店のお姉さんへ

いつも美味しい紅茶をありがとうございます。
わたしが今まで出会った中でとってもおいしいのです…♪

特別に出世払いにしてもらっているの、申し訳ないですよ!

だから、いつかきちんと働いて返したいと思います……。
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春から蓄えてきた茶葉の香りが、春の女の子をここに連れてきたような気がした。
彼女からの素敵なメッセージだった。
こんな道楽でしかないお店に対してもったいなさすぎる。

でも、ごめんなさい。
私は今、なにもする気になれないんだ。

しばらく喫茶店は閉めようと思う。

 ・・・

夕暮れの帰り道、風はさらに強くなっていた。

ロングヘアーが踊っているけれど、私は気に留めず歩いていた。
コートのボタン辺りをしっかり握りしめながら、家に向かって一歩ずつ歩いていく。

今日は最後の晩餐のような気分だ。
高級なウイスキーを奮発して飲みたくなったんだ。

そう、人生の締めくくりに……。

信号機が点滅してしまった。
歩くのを止めて、仕方なく通りの向かいに目をやる。

そこにはある人物が目についた。
肩で切り揃えた黒髪は、細く美しい目と合わせてキャリアウーマンを思わせる。
チェックのミニスカートに、臙脂のコートとベージュのマフラーが洒落た大人を印象付ける。

その姿は昔のまま変っていなかった。

「千冬」

冬にちなんだ女性が、ゆっくりこちらを向いた。
私たちは、細い川が流れる橋の上で向かい合った。

 ・・・