(詠夏side)

とりとめのない夢。

高校時代の彼女たちが出ていたのをうっすら覚えている。
ふたりは私に背を向けて歩き出してしまった……。

私はここで目を覚ました。
目覚まし時計のアラームにはだいぶ早いようだ。

いつの間にか寝返りを打っていた。
夏掛けからはみ出ていた腕。
まるでスポットライトを浴びているように、朝日に照らされている。

ベッドの上で身体を起こして窓の外に目を向けた。
あの鳴き声はシジュウカラだろう、早めの朝ごはんでも食べているのだろうか。
遠くではオナガが鳴いているのが聴こえた。

そういえば、朝の野鳥の鳴き声はパートナーの生存確認だという説があるな。

……今日も新しい朝を迎えられたんだなあ。

早朝の青白い世界に私は安堵する。
もう目は覚めてしまったので、まどろみを覚えることなく野鳥たちの声に耳を傾けていた。
そのメロディーは私の心に優しく流れていた。

 ・・・

今日は喫茶店の定休日。

私が自宅のキッチンでミルクティーを淹れていると、テレビの音声が次々と流れていた。

「今日は高気圧が張り出していて、日本全国きれいに晴れるでしょう」

「5位は<乙女座>のあなた!
懐かしい掘り出し物を見つけるかも……」

ふうん、私はここでテレビの電源を落とした。
最低限のところが分かれば別に良いかな。

CDプレイヤーに円盤をセットした。
ショパンのワルツを聴きながら、本棚から思いついた一冊を選ぶ。
これが、私のお気に入りの時間。

 ・・・

私は眼鏡をかけて本を開いた。

誰かに聞いてもらっただろうか、昔から騒音が苦手なのだ。
ニュースの音声もそういう風に感じることがある。
それは、出掛けた日もそうだった気がする。
どこかに不安な心が眠っているのかもしれない。

音楽を流しながら本を開くくらいが丁度良いんだ。

今読んでいるのは、オムニバス形式の短編集 -30編からなる壮大なもの-。

今日手に取った一冊は、さまざまな作者が織りなすオムニバス。
30編からなる壮大なものだけど、ひとつひとつはとても短いから読みやすい。

沖縄の情景、南国への旅情、演劇の舞台の上……。
色んな世界へ飛んで行けるような、浮遊感が好きなんだ。
そして、ページの四隅に添えられているファンタジックな挿絵が、作品に彩りを添えていて美しさをより高めている。

いつも鞄に入れていたくなる一冊なんだ。

登場人物の思考にすぐ感情移入するから、読む速度は遅いのだけど。


感情移入と言えば、私は話し相手の意図を仕草や言動から読み取ることに長けてきた。

だから、色んな相談に乗ってきたことも多かった。
学生時代なんかは、「困りごとは夏さんに聞いてみよう」という風潮もあったっけ。
みんなが、繊細で敏感だし感受性があるからと言ってくれるのは嬉しかったけど、何もかも聞いてしまって、よく疲れていた。

中学生のときだったか、クラスの女子生徒のノートがなくなったことがあった。
私は当然のように彼女に相談された。

クラス中のみんなに知りませんか? と訊いてみた。

あるひとりの女子生徒が、すぐさま「知らない」と言った。
離し方がいつもと違うな、と直感した私は彼女 -ノートを無くした生徒の友人だった- の嘘を暴いたような感じになった。

「……ちょっと見せてもらおうと思ったのよ」

結果として、彼女らの関係にヒビを入れたような感じになってしまった。
私は自分の行いを後悔した。

ケンカこそしなかったけれど、かといって周りを助けすぎるのも良くないと先生に言われる始末だった。

あまりにも低いトーンでの言い方、今でも心に残っている……。

相手の気持ちが見えてしんどいときがある。
でも誰かの力にはなりたいよ。
私はそういう気質なんだなって思うんだ。

……こういう感覚はわかりますか。

 ・・・

いつの間にかショパンのCDが終わってしまった。

もうすぐ正午になろうとしている。

身体を冷やすのもよくないので、少しベランダに出てみた。
峰みたいな入道雲が空に浮かんでいる。
夏休み中の住宅街はとても静かで、耳を澄ませば祭り囃子が聴こえてくる。
そういえば、今日は夏祭りだった。

あの細い川沿いを提灯が照らすのだ。
それは風光明媚な風景で、この時期しか味わうことのできない貴重なもの。

「……夏の景色だなあ」

蒸し暑いのは苦手だけど、風情があって素敵な時期だと思う。

風情と表現するのは祖母からの受け売りだ。
古風で躾にはうるさかったけど、おかげで礼儀作法は小学生の頃から褒められて、ひとりで着物を着ることもできる。
祖母から付けられたこの名前は女流詩人みたいで好きだよ。

久しぶりに実家から持ってきた浴衣を着て夏祭りに行こう。
浴衣は物置にあるだろう、たしか簪 -かんざし- も一緒だったかな。
高校生の頃、ファッションに興味がない私が唯一欲しくなったものだった。
皆はネックレスや指輪とか買うのになあ。

でも、私はこの簪に一目惚れしたんだ。

誕生石であるペリドットが埋め込まれたチャームがきれいだったから。
藍染めの浴衣に良く映えている。

 ・・・

夕方を過ぎ、薄暗い中に風が生まれていた。

川沿いの提灯が夜空を照らすシャンデリアのように揺れている。
その脇を、女子高生たちが早く行こうよと小走りで歩いていた。

私は遠い目をしてその景色を眺めていた。

今日感じていた懐かしさも。
夢の中の彼女たちに感じていた不安も。
もしかしたら、この間知り合ったあの子が連れてきていたとしたら。

高校時代のことを思い出さずにはいられない。
大切な想い出がこの季節たちに眠っているのだから。
出会いも、別れも。

これから、色んな話を春の女の子にするかもしれないな。

だから、今は彼女たちのことを思い出してみよう。
私は、今朝読んだ本の内容を思い出していた。
第七編に載っていた、ある詩……。

「離れていても元気でいて」と私は呟いた。