数日後、僕は学校の図書室に来ていた。
電車の中で読む本は自分で買っているものが多いが、どうしても見つからない場合に限っては図書室で借りている。種類も豊富で、学生証さえ出せばすぐ借りられる利点は、金欠な学生には有難い。テスト期間中は学生で埋まる六人掛けのテーブルも、今日は独り占めできるくらいに空いていた。
「あら、いらっしゃい。今日も何か借りてく?」
いつもカウンターで貸出を担当している司書の先生が僕に気付いた。先輩から引き継いで、春の最後に向けて部活動が活発になる二年生は、滅多なことがない限り利用することはない。その中で唯一、部活に入らない僕が一時期通い詰めていたのをきっかけに顔を覚えてくれたらしい。
普段であれば小説のコーナーに向かうところを、スマホに探しているものを打ち込んで先生に見せる。一通り目を通した先生はキョトンとした顔をした。
「二十年前の新聞? 確かファイリングして保管してあったと思うけど……。授業の課題?」
<個人的な調べものです。図書室の方が充実してると思ったので>
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。ちょっと待っててね」
市民図書館で膨大な資料に埋もれるのも考えたが、ついこの間、図書室を訪れた際に司書の先生が古い新聞の切り抜きを丁寧にファイリングしているところに出くわした。聞けば、五十年分の新聞があるようで、これを機に処分するらしい。手が空いていた僕は自ら手伝いを申し出て、一緒に片付けさせてもらうことになった。
その際、作業をしながら見た新聞の発行日が二十年前――かさねがまだ生きていた頃のものまで残っているのを確認していたのだ。自分でファイリングしたんだ。忘れるわけがない。それに市民図書館だと貸出の制限が厳しいから、多少の融通の利く学校の図書室は調べものに最適だった。
しばらくして、先生が分厚いA3ファイルを大量に抱えて戻ってきた。慌しく机にどさっと置くと、「これで全部よ」と得意げに言う。
「校内と市内新聞、二十年前のものは一応全部持ってきたつもりだけど、無かったらネット検索してね。あ、あと知っていると思うけど、持ち出しは禁止よ」
<ありがとうございます。お借りします>
お礼を打ち込んだ画面を見せると、先生はごゆっくり、と笑ってカウンターに戻っていく。
僕はそのまま席について、早速調べ始めた。ネットで出てくる話題でもあるが、画面を見るよりも紙媒体で見た方が目が慣れている。完全に好みの問題だ。
分厚いファイルを五冊ほど読み込んでいると、気になる記事を見つけた。
僕が普段から利用している駅で起きた、飛び込み事故について書かれたものだ。
――十八年前、まだ秋から冬へ移り変わったある日の夕方のこと。
利用の多い路線で信号機の不調により、数時間の遅れが発生していた。都心部へ向かうには遠回りをせざる得なくなり、多くの人が足止めを食らいながら、乗り換えができる駅を目指した。
当然、遠回りになった路線でも遅延が発生し、通常では在り得ないほどの人がプラットホームに溢れかえった。ようやく入ってきた電車が入ってくるのが見えると、我先にと言わんばかりに後ろから人が押し寄せてくる。
その人混みの中で、当時十七歳の女子高生が線路に落下してしまった。近くにいた人によって緊急停止ボタンが押されたものの、女子高生は逃げられずに衝突し、死亡した。この事故の影響で更に運行ダイヤは乱れ、一日で何千人の人が長時間の立ち往生することになった。――
おそらくここに書かれている女子高生は、電車で出会ったかさねで間違いないだろう。
亡くなった女子高生について詳しく調べると、学校名が出てきた。十年も前に近隣の学校と統合されて、僕が在学している高校になっている。過去の画像から見つけたセーラー服が、かさねのものによく似ていた。
――なんで今まで気付かなかったんだろう。
僕は調べたものをすべてコピーすると、司書の先生にファイルを返して図書室を出た。
すでに十八時をまわっている。いつもなら一時間くらい早く学校を出ていると聞くが、まだいるだろうか。なるべく小走りで目的の研究室へ向かった。
国語研究室と掲げられたドアをノックして入ると、そこにはかさねの想い人と瓜二つだというサラリーマンが、デスクに座って小テストの採点をしていた。彼は僕に気付くと、珍しそうに声をあげた。
「おや、確か……昨年、私の授業を受けていた……ええと、何さんだったかな。……ああ、そうそう。久しぶりだね」
立ち上がりながら、歓迎するようにその人は言った。
どこかで見たことがある人だと思っていたが、まさか僕の通う学校の先生だったなんて。灯台下暗し、とはまさにこのことだろう。
こんな偶然があるのかと、正直驚きが隠せない。
ピントが合わなくてメガネを外し、裸眼でテスト用紙を確認する仕草は、僕が昨年受けていた現代古文の授業で何度も見たことがあった。かさねからマサオミさんの仕草を聞いてもしや、とは思っていたが。
サラリーマン改め、木嶋雅臣先生は現在五十五歳。かさねの話が正しければ、十七歳の彼女と二十も離れているマサオミさんは当時三十七歳。その頃から教壇に立っていても不思議ではない。
「いらっしゃい。どうした?」
木嶋先生はメガネをかけ直しながら僕に問う。新聞記事を見せると、途端に顔を強張らせ、言葉を詰まらせた。
「……調べているのかい?」
僕が頷くと、先生は苦い顔を浮かべる。動揺しているのか、持っていた赤ペンを必要以上にいじった。
「気になった、か。興味本位で調べて気持ちの良いものではないよ。もう十八年も前の話だ。彼女の両親は遠くの田舎へ引っ越して……いや、すまない。この年になってから口が軽くなったな。忘れてくれ。誰しも、人に言いたくないことだってあるよ」
先生は頑なに話そうとはしなかった。
確かに十八年も前の事故を掘り返したところで、記事の内容は変わらないし、故人が戻ってくるわけでもない。
でも他人なら、かさねのことを知らないなら、泣きそうに顔をしかめなくたっていいじゃないか。
先生は俯いてしまう。どうして僕が亡くなった彼女の名前を知っているのか、恐怖に怯えた表情にも見えた。
「……分かった。話そう。座りなさい」
電車の中で読む本は自分で買っているものが多いが、どうしても見つからない場合に限っては図書室で借りている。種類も豊富で、学生証さえ出せばすぐ借りられる利点は、金欠な学生には有難い。テスト期間中は学生で埋まる六人掛けのテーブルも、今日は独り占めできるくらいに空いていた。
「あら、いらっしゃい。今日も何か借りてく?」
いつもカウンターで貸出を担当している司書の先生が僕に気付いた。先輩から引き継いで、春の最後に向けて部活動が活発になる二年生は、滅多なことがない限り利用することはない。その中で唯一、部活に入らない僕が一時期通い詰めていたのをきっかけに顔を覚えてくれたらしい。
普段であれば小説のコーナーに向かうところを、スマホに探しているものを打ち込んで先生に見せる。一通り目を通した先生はキョトンとした顔をした。
「二十年前の新聞? 確かファイリングして保管してあったと思うけど……。授業の課題?」
<個人的な調べものです。図書室の方が充実してると思ったので>
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。ちょっと待っててね」
市民図書館で膨大な資料に埋もれるのも考えたが、ついこの間、図書室を訪れた際に司書の先生が古い新聞の切り抜きを丁寧にファイリングしているところに出くわした。聞けば、五十年分の新聞があるようで、これを機に処分するらしい。手が空いていた僕は自ら手伝いを申し出て、一緒に片付けさせてもらうことになった。
その際、作業をしながら見た新聞の発行日が二十年前――かさねがまだ生きていた頃のものまで残っているのを確認していたのだ。自分でファイリングしたんだ。忘れるわけがない。それに市民図書館だと貸出の制限が厳しいから、多少の融通の利く学校の図書室は調べものに最適だった。
しばらくして、先生が分厚いA3ファイルを大量に抱えて戻ってきた。慌しく机にどさっと置くと、「これで全部よ」と得意げに言う。
「校内と市内新聞、二十年前のものは一応全部持ってきたつもりだけど、無かったらネット検索してね。あ、あと知っていると思うけど、持ち出しは禁止よ」
<ありがとうございます。お借りします>
お礼を打ち込んだ画面を見せると、先生はごゆっくり、と笑ってカウンターに戻っていく。
僕はそのまま席について、早速調べ始めた。ネットで出てくる話題でもあるが、画面を見るよりも紙媒体で見た方が目が慣れている。完全に好みの問題だ。
分厚いファイルを五冊ほど読み込んでいると、気になる記事を見つけた。
僕が普段から利用している駅で起きた、飛び込み事故について書かれたものだ。
――十八年前、まだ秋から冬へ移り変わったある日の夕方のこと。
利用の多い路線で信号機の不調により、数時間の遅れが発生していた。都心部へ向かうには遠回りをせざる得なくなり、多くの人が足止めを食らいながら、乗り換えができる駅を目指した。
当然、遠回りになった路線でも遅延が発生し、通常では在り得ないほどの人がプラットホームに溢れかえった。ようやく入ってきた電車が入ってくるのが見えると、我先にと言わんばかりに後ろから人が押し寄せてくる。
その人混みの中で、当時十七歳の女子高生が線路に落下してしまった。近くにいた人によって緊急停止ボタンが押されたものの、女子高生は逃げられずに衝突し、死亡した。この事故の影響で更に運行ダイヤは乱れ、一日で何千人の人が長時間の立ち往生することになった。――
おそらくここに書かれている女子高生は、電車で出会ったかさねで間違いないだろう。
亡くなった女子高生について詳しく調べると、学校名が出てきた。十年も前に近隣の学校と統合されて、僕が在学している高校になっている。過去の画像から見つけたセーラー服が、かさねのものによく似ていた。
――なんで今まで気付かなかったんだろう。
僕は調べたものをすべてコピーすると、司書の先生にファイルを返して図書室を出た。
すでに十八時をまわっている。いつもなら一時間くらい早く学校を出ていると聞くが、まだいるだろうか。なるべく小走りで目的の研究室へ向かった。
国語研究室と掲げられたドアをノックして入ると、そこにはかさねの想い人と瓜二つだというサラリーマンが、デスクに座って小テストの採点をしていた。彼は僕に気付くと、珍しそうに声をあげた。
「おや、確か……昨年、私の授業を受けていた……ええと、何さんだったかな。……ああ、そうそう。久しぶりだね」
立ち上がりながら、歓迎するようにその人は言った。
どこかで見たことがある人だと思っていたが、まさか僕の通う学校の先生だったなんて。灯台下暗し、とはまさにこのことだろう。
こんな偶然があるのかと、正直驚きが隠せない。
ピントが合わなくてメガネを外し、裸眼でテスト用紙を確認する仕草は、僕が昨年受けていた現代古文の授業で何度も見たことがあった。かさねからマサオミさんの仕草を聞いてもしや、とは思っていたが。
サラリーマン改め、木嶋雅臣先生は現在五十五歳。かさねの話が正しければ、十七歳の彼女と二十も離れているマサオミさんは当時三十七歳。その頃から教壇に立っていても不思議ではない。
「いらっしゃい。どうした?」
木嶋先生はメガネをかけ直しながら僕に問う。新聞記事を見せると、途端に顔を強張らせ、言葉を詰まらせた。
「……調べているのかい?」
僕が頷くと、先生は苦い顔を浮かべる。動揺しているのか、持っていた赤ペンを必要以上にいじった。
「気になった、か。興味本位で調べて気持ちの良いものではないよ。もう十八年も前の話だ。彼女の両親は遠くの田舎へ引っ越して……いや、すまない。この年になってから口が軽くなったな。忘れてくれ。誰しも、人に言いたくないことだってあるよ」
先生は頑なに話そうとはしなかった。
確かに十八年も前の事故を掘り返したところで、記事の内容は変わらないし、故人が戻ってくるわけでもない。
でも他人なら、かさねのことを知らないなら、泣きそうに顔をしかめなくたっていいじゃないか。
先生は俯いてしまう。どうして僕が亡くなった彼女の名前を知っているのか、恐怖に怯えた表情にも見えた。
「……分かった。話そう。座りなさい」