結局、陛下からの通訳の誘いも身体が丈夫では無いから、という理由でジルベルトが断ってくれた。それに対してはエレオノーラの口を挟む余裕さえなかった。とにかく、ジルベルトがお怒りだったからだ。
それでも食い下がらなかった国王陛下が、だったら通訳じゃなくて書類の翻訳でも、と妥協案を出してきた。ただ残念なことに、それについての断る理由が思い浮かばず、なんとなく曖昧なまま引き受けてしまう形になったしまった。
騎士団の仕事もあるにも関わらず。だが、国王はエレオノーラが第零騎士団に所属していることを知らない。
帰りの馬車で向かい側に座るジルベルトがとても大きくて深いため息をついた。そのまま息を吐きすぎて萎んでしまうのではないかと思うほど。
「どうかされましたか、リガウン団長」
「いや。あなたを巻き込んでしまって申し訳ない」
「いえ。お気になさらないでください」
エレオノーラはいたって元気に答えた。相手の気持ちが沈んでいるならば、自分だけでも明るく振舞った方がいいだろう、という判断。
「その。隣に座ってもいいだろうか?」
「はい?」
と思わず語尾を強めてしまった。
「行きと同じように、あなたの隣に座りたい」
そんなことを真面目な顔で言われてしまう。
「では、私が団長の隣に行きます」
ジルベルトを移動させるのは申し訳ないと思い、エレオノーラはすっと立ち上がって、彼の隣に座り直した。
「これでよろしいでしょうか、リガウン団長」
「その呼び方も」
「呼び方?」
「騎士団の任務では無いのだから、団長と呼ばれるのは少し」
「では、なんてお呼びしたら?」
「ジルと」
「すいません。私、団長の前ではなんか、うまく演技ができないんです。その、婚約者の。どうしても素が出てしまうみたいで。なぜかわからないのですが。本当に申し訳ありません」
「だから、ジルと呼んで欲しい」
「あ、すいません。ジル様」
「いや。あなたは、面白いな」
口だけで笑っている。そして、窓枠に右肘をついて、その手に頬を乗せ視線をエレオノーラへ送った。
「どれが本当のエレンなのだろうか」
「あ、多分、今です。陛下の前では頑張っていましたから。その、ジル様の婚約者としてふさわしい振舞をと」
「今は、婚約者を演じていない、と?」
「いえ、あ、はい。本当はそうすべきなのでしょうが。どうやら、ジル様の前ではうまく演技ができなくて。本当に申し訳ございません」
「私の前では演じられない?」
「正確に言うと、ジル様と二人きりのときです。他の方がいればなんとかなるのですが。ジル様と二人きりですと、何かがおかしいのです。本当に申し訳ございません。これでは、諜報部失格ですよね」
「いや」
ジルベルトはエレオノーラの頭を自分の胸へと抱き寄せた。
「それは、私が特別だからとうぬぼれてもいいのだろうか」
押し付けられた胸からは、ジルベルトの鼓動が聞こえる。それが大きくて速い。
「あの、ジル様?」
エレオノーラはそのままジルベルトを見上げた。彼と目が合った。
「エレン、もう少しこのままで」
「あ、はい。恥ずかしいですが。あの、重くはないですか?」
「ああ、重くはない」
ジルベルトはろうそくの炎を吹き消すかのように、ふっと息を吐いた。何を考えているのだろうか。
沈黙。
「あの、ジル様」
沈黙が怖かったので、エレオノーラはジルベルトの名を呼んだ。ジルベルトは口元だけに笑みを浮かべてエレオノーラを見つめる。
「今日は、その。楽しかったです。一緒にお出かけができて」
「私と一緒にこうやって出掛けられたことが楽しかったと、そう言っているのか?」
返事をせずに、エレオノーラは頷く。
「できればまた、このように二人でお出かけができたらいいな、と思います」
それを聞いたジルベルトが、より一層、彼女の頭をその胸に押し付けた。
「ジル様、苦しいです」
「ああ、すまない」
言い、ジルベルトが力を緩めた隙に、エレオノーラは彼の顔を見上げた。ジルベルトの耳の後ろから首にかけて、赤く染まりつつある。
「ジル様、どうかなさいましたか?」
「いや、どうもしないのだが。ただ」
「ただ?」
「あまりにもエレンが可愛すぎるので、どうしたらいいのかがわからない。それに、あなたからの言葉も嬉しい」
右手の甲で口元を押さえているジルベルト。
「あの、ジル様。今日の私は、ジル様の婚約者らしく知的美人な装いです。特に可愛らしいはコンセプトにしていないのですが?」
「ああ、見た目はそうかもしれないが。エレンの仕草の一つ一つが、その、可愛らしいということだ」
そんなことを面と向かって言われては、エレオノーラだってどうしたらいいかわからない。しかも、ジルベルトの前ではうまく仮面をつけることもできないから、恥ずかしさと嬉しさがすぐに顔面に表れてしまう。
「エレン」
ジルベルトがエレオノーラの右手をとった。
「あなたに口づけをしてもいいだろうか」
それにこたえる間もなく、右手の甲に口づけを落とされた。
「今はまだ、これで我慢をしておこう」
「あの、ジル様」
「どうかしたのか?」
「それ以上の責任はとっていただかなくても、大丈夫です」
恥ずかしさのあまり、エレオノーラはそれだけを言うことで精いっぱいだった。
「いや。きちんと責任はとらせて欲しい。だから、安心してくれ」
これ以上の責任をとられては、エレオノーラが安心できない。
それでも食い下がらなかった国王陛下が、だったら通訳じゃなくて書類の翻訳でも、と妥協案を出してきた。ただ残念なことに、それについての断る理由が思い浮かばず、なんとなく曖昧なまま引き受けてしまう形になったしまった。
騎士団の仕事もあるにも関わらず。だが、国王はエレオノーラが第零騎士団に所属していることを知らない。
帰りの馬車で向かい側に座るジルベルトがとても大きくて深いため息をついた。そのまま息を吐きすぎて萎んでしまうのではないかと思うほど。
「どうかされましたか、リガウン団長」
「いや。あなたを巻き込んでしまって申し訳ない」
「いえ。お気になさらないでください」
エレオノーラはいたって元気に答えた。相手の気持ちが沈んでいるならば、自分だけでも明るく振舞った方がいいだろう、という判断。
「その。隣に座ってもいいだろうか?」
「はい?」
と思わず語尾を強めてしまった。
「行きと同じように、あなたの隣に座りたい」
そんなことを真面目な顔で言われてしまう。
「では、私が団長の隣に行きます」
ジルベルトを移動させるのは申し訳ないと思い、エレオノーラはすっと立ち上がって、彼の隣に座り直した。
「これでよろしいでしょうか、リガウン団長」
「その呼び方も」
「呼び方?」
「騎士団の任務では無いのだから、団長と呼ばれるのは少し」
「では、なんてお呼びしたら?」
「ジルと」
「すいません。私、団長の前ではなんか、うまく演技ができないんです。その、婚約者の。どうしても素が出てしまうみたいで。なぜかわからないのですが。本当に申し訳ありません」
「だから、ジルと呼んで欲しい」
「あ、すいません。ジル様」
「いや。あなたは、面白いな」
口だけで笑っている。そして、窓枠に右肘をついて、その手に頬を乗せ視線をエレオノーラへ送った。
「どれが本当のエレンなのだろうか」
「あ、多分、今です。陛下の前では頑張っていましたから。その、ジル様の婚約者としてふさわしい振舞をと」
「今は、婚約者を演じていない、と?」
「いえ、あ、はい。本当はそうすべきなのでしょうが。どうやら、ジル様の前ではうまく演技ができなくて。本当に申し訳ございません」
「私の前では演じられない?」
「正確に言うと、ジル様と二人きりのときです。他の方がいればなんとかなるのですが。ジル様と二人きりですと、何かがおかしいのです。本当に申し訳ございません。これでは、諜報部失格ですよね」
「いや」
ジルベルトはエレオノーラの頭を自分の胸へと抱き寄せた。
「それは、私が特別だからとうぬぼれてもいいのだろうか」
押し付けられた胸からは、ジルベルトの鼓動が聞こえる。それが大きくて速い。
「あの、ジル様?」
エレオノーラはそのままジルベルトを見上げた。彼と目が合った。
「エレン、もう少しこのままで」
「あ、はい。恥ずかしいですが。あの、重くはないですか?」
「ああ、重くはない」
ジルベルトはろうそくの炎を吹き消すかのように、ふっと息を吐いた。何を考えているのだろうか。
沈黙。
「あの、ジル様」
沈黙が怖かったので、エレオノーラはジルベルトの名を呼んだ。ジルベルトは口元だけに笑みを浮かべてエレオノーラを見つめる。
「今日は、その。楽しかったです。一緒にお出かけができて」
「私と一緒にこうやって出掛けられたことが楽しかったと、そう言っているのか?」
返事をせずに、エレオノーラは頷く。
「できればまた、このように二人でお出かけができたらいいな、と思います」
それを聞いたジルベルトが、より一層、彼女の頭をその胸に押し付けた。
「ジル様、苦しいです」
「ああ、すまない」
言い、ジルベルトが力を緩めた隙に、エレオノーラは彼の顔を見上げた。ジルベルトの耳の後ろから首にかけて、赤く染まりつつある。
「ジル様、どうかなさいましたか?」
「いや、どうもしないのだが。ただ」
「ただ?」
「あまりにもエレンが可愛すぎるので、どうしたらいいのかがわからない。それに、あなたからの言葉も嬉しい」
右手の甲で口元を押さえているジルベルト。
「あの、ジル様。今日の私は、ジル様の婚約者らしく知的美人な装いです。特に可愛らしいはコンセプトにしていないのですが?」
「ああ、見た目はそうかもしれないが。エレンの仕草の一つ一つが、その、可愛らしいということだ」
そんなことを面と向かって言われては、エレオノーラだってどうしたらいいかわからない。しかも、ジルベルトの前ではうまく仮面をつけることもできないから、恥ずかしさと嬉しさがすぐに顔面に表れてしまう。
「エレン」
ジルベルトがエレオノーラの右手をとった。
「あなたに口づけをしてもいいだろうか」
それにこたえる間もなく、右手の甲に口づけを落とされた。
「今はまだ、これで我慢をしておこう」
「あの、ジル様」
「どうかしたのか?」
「それ以上の責任はとっていただかなくても、大丈夫です」
恥ずかしさのあまり、エレオノーラはそれだけを言うことで精いっぱいだった。
「いや。きちんと責任はとらせて欲しい。だから、安心してくれ」
これ以上の責任をとられては、エレオノーラが安心できない。