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「女子高生に、絵を買わせなくったって良かったような気がするんですけど?」

 美聖は、開口一番そう訊いた。
 降沢は、気ままな画家だ。
 モチーフを提供してくれたり、モデルになってくれた人など、希望者には絵の販売もしているようだが、値段も彼が勝手に決めてしまうので、商売として成り立っているのか、怪しいところであった。
 暮らしに困っているわけでもないのなら、高校生に、なけなしの三千円を払わせる必要なんてないのではないか。
 しかし、降沢の答えは簡潔だった。

「お金を支払うというのは、占いもそうですけど、儀式みたいなものじゃないですか。一ノ清さん」
「えっ?」
「僕が描いた作品を、彼女が買うことによって、作品の価値が決まるのです。お金を出して購入した行為こそが重要なんですよ。値はいくらだって良いのです。占いだって、そうでしょう?」

 美聖は今までのことを振り返りながら答えた。

「うーん、まあ……。そうですね。トウコさんが、お金を取ってお客様を迎える占い師になった以上、身内はともかく、タダで占いをするのは、かえって相手に失礼だと言っていたような気がしますけど……」
「まあ、誰だって無料は嬉しいですが、無料ほど怪しいものはありませんからね。お金を支払ったからこそ、人は真剣になるんです。絵も同じです。しょせんはタダの紙切れです。そこに値をつける人がいて、初めて、ただの紙切れが作品になるんですよ」
「何となく……分かったような……」
「まあ……。別に、無料であげても良かったんですけどね」
「どっちなんですか?」

 美聖が鋭く突っ込むと、降沢は声を上げて笑った。
 彼が笑う姿は、無邪気そのもので、子供のようだ。少なくとも、三十路には見えない若々しさだった。

「でも、あの子が三千円を支払うと言った時には驚きました」
「……私もですよ」
「僕は、間違っていたらしいです」
「だから、何が?」

 そこで、一度会話が途切れた。
 ウェイターが、響子が訪れたタイミングで注文していた二杯目のコーヒーと、ホットのアッサムティーが運んできたのだ。

「外、暑そうですね……」

 降沢は本当に眩しそうに目を眇めながら、響子が出て行った雑踏を眺めていた。

「でも、そろそろ出ないと……。お店、混んできたみたいだし」

 丁度、ティータイム中の店内は、並びが出来るほど、賑わっていた。

「せめて、お代わり分を堪能するまで、いいじゃないですか?」
「まあ……そうですけど」

 口を付けないのはもったいないと、美聖はガムシロップとミルクを入れて、一口飲む。
 降沢は、先程、口に出そうとしていたらしい言葉を、ゆっくりと呟いた。

「まるで、花言葉の意味だなって思ったんです。ヒマワリは太陽に焦がれる花。同時に、ペルーでは偽りの富とか、そういったネガティブな意味も持っているので」
「偽りの富……ですか?」

 ホットティーに吐息を落とした降沢は、美聖には見えない何かを知っているようだった。

「ペルーでは太陽は神聖な花で、巫女が冠として身に着けていたそうです。それが侵略してきたスペインに奪われてしまったから、偽りの富……だそうです」
「ヒマワリって、イメージからしてポジティブな花言葉しかないのだと思っていました」
「元々、神聖な花だったからこその、ネガティブな花言葉なのでしょうけどね」
「それと、響子ちゃんと、どう関係しているのですか?」
「…………スペイン人に奪われたってことに、ピンと来たんです」
「はあ?」

 素直に首を傾げる美聖は、じっとこちらを見ていた降沢と見事に、目がかち合った。

(近い……わ) 

 ――と、その時になって、美聖は気づいた。
 ああ、そうだ。響子が去って行ったのなら、向かい合わせの方に、美聖が席を変えれば良かったのだ。
 いつまでも二人並んで座っているのは、傍から見たら、滑稽だろう。
 ……とはいえ、今更、席移動することも出来なくなってしまい、美聖は内心慌てていた。

 降沢は構わず、淡々と言葉を紡いでいる。

「何もかも、奪われた。自分の持っているすべてを彼女に持って行かれた。そこには憧れと嫉妬が同時並行していて、男女の『好き』とは違った気持ちを先生側は抱いていたのではないか……と」
「…………えっ……と。それは……ちょっと近いかもしれません。あくまでタロットのリーディング結果ですけど」
「彼女も、また先程、自分で話していたように、年上の憧れの何でもできる人間として見ていた。だから、お互いに恋ではないのだと、僕は最初の段階で勝手にそう決めつけていました」
「降沢さん、不思議なくらい、それを主張していましたもの……ね」
「……そうですね」

 降沢は何処か遠い目をしながら、アールグレイを啜った。

「だけど、あれは、彼女にとって初恋だったみたいです」
「急に、方向転換しましたね」
「僕の絵を見た途端に、買いたいと言ったのは、彼女の未練です。あの絵の中に先生がいるからです。いらないものだったら、欲しいとは言いません。まして、お金を払うなんて」
「そういうものなのですか……」
「ええ。僕の絵は、そういうふうに出来ています」

 頬杖をついて、降沢はぼんやりと答えた。

「絵が必要な人もいれば、いらない人もいるのです。彼女はいつか……近い未来か、遠い未来か……。あの絵を見て、先生を思い出すのでしょう。その時、それが初恋だったと気づくはずです」
「綺麗にまとめましたね?」
「まとめてみました」

 ――一体、降沢は何を言いたいのか……。
 その時には、美聖にも、彼が本当に言いたいことを遠回しにしている理由が分かっていた。