紗枝は誇らしげに微笑んでいた。誰にだって隠すことはない、それが私にとって一番正しく気高い道と胸を張っていた。
 だが客観的に見れば理解できない。ただそれだけの会話で、縁もゆかりもない、初めて会った少年について行くなどあり得ない。
 両親や家族は? 恋人は? 友人は? それら全てを放り出す理由にしては、根拠に欠けるとしか言い様がない。

「それで慧についていったのかい? なんで?」
 思わず聞き返した裕二に、紗枝は意外そうな顔を向け、すぐにクッと笑った。
「じゃあ、アンタはなんでここにいるのよ」
「え、僕?」
「そうあんた」
「僕は……」
 屋上から飛び降りたときの慧と、結衣子を振り切り病院を出て行こうとした慧の違いに驚いた。あの儚さと強さがどうしても相容れない。相容れないが、どこかでそれが同じだとわかる。全てを切り捨てるように歩み続ける、一見強く恐ろしく見える彼の中に、何かを探すように飛び立った、あのときの彼の脆さが、見えた気がした。
 だから一緒に来いと言った彼について来た。それは彼の切なる願いで、自分がついて行かなければ、彼はまたどこからか飛んでしまう、死んでしまうと感じたからかもしれない。
 それに気付いた裕二は顔を上げ、曖昧に笑った。裕二の顔を見て、紗枝もクスリと笑う。
「ね、同じでしょ?」
「そうかもしれないね」
 彼女と同じく、あのとき自分は慧に魅入られ、掴まったのだ。彼を知り、そして護りたいと願った。そしてそれは自分や彼女だけのことではなく、もしかしたらここに集う男たちと、あの手帳に書かれた女たち、全員の思いなのかもしれない。
「他の女の人たちも、キミと同じなのかな?」
「他のって?」
「ここに書かれてる人たち」
 他というのがピンと来ないらしい紗枝に、裕二は手帳を見せた。紗枝はその中身をパラパラと捲り、興味なさげにベッドへ放り投げる。
「違うわね、こいつ等は飼われてるのよ」
「飼われてる?」
「働かせて金を貢がせるだけの女ってこと」
「どういう意味?」
 冷たく吐き出された紗枝の言葉に、ドキリとした。言われた意味がわからない。いや、わからないというよりは、わかりたくないのかもしれない。
 裕二は自分の中に浮かんでくる慧への疑念を否定したくて再び聞き返した。だがその答えは裕二の期待を裏切る。
「この女たちは彼が攫って来たの、お客の好みに合いそうな女を捜して、見つけたらとっ捉まえる、それで儲けてるってワケよ」
「それ……犯罪だよね」
「……かもね」
 紗枝は細身の煙草に火を点けながら、こともなくそう言った。吸い込まれる煙と吐き出される紫煙が、まるで深呼吸のように見える。自分を落ち着かせようとしているかのようだ。彼女も慧の悪行を認めたくないのかもしれない。
 先ほどの男たちとのやり取りを見ていると、ここがなにか非合法なことをしている、暴力団か、それに類する組織だということは察することができた。だがまさか、本当に犯罪を犯しているとは、考えていなかった。
 だがもし彼女のいうことが本当なら、それは誘拐監禁であり、立派な犯罪だ。慧は女性を食い物にする極悪人ということになる。
 裕二は指先が震えるのを意識しながら、言い返した。
「かもじゃないよ、慧のやってることは誘拐と監禁だ、そんなことしてもし警察に知れたら……」
 知れたらではない、知られなくても犯罪だ。だが出来るなら、警察沙汰になる前にやめさせたい。女性たちを解放し、なんとか穏便に済ませる道があるならそうさせたい。だが誘拐され、無理矢理働かされている女性たちは、解放されれば慧を訴えるかもしれない。
 心配する裕二の言葉に、紗枝はむっとした表情で顔を上げる。
「なに? あんた慧を売る気?」
「違うよ、でもこんなこと許されないよ、いつか知れる、そしたら彼はどうなる? 掴まっちゃうじゃないか」
「大丈夫よ、連れて来たときは強引だったかもしれないけど、監禁じゃないわ、女たちは自由意志で働いてるの、部屋は慧があてがってるけど、閉じ込めてるわけじゃなし、いつでも帰れるの、帰れるけど帰らないのよ」
「なんで……?」
「知らないわよ、帰りたくないからでしょ」
 女たちの話をする紗枝は、とても不愉快そうだ。その顔には嫉妬のような感情が垣間見える。
 出会い方は違っても、そこに書かれた女たちはみな、慧に何かしらの思慕を抱き、ここにいるのかもしれない。

 紗枝はもうとっくに吸い終ってしまった煙草を揉み消し、また忙しなく火を点ける。点けたと同時に、酸素吸入のように慌しくニコチンを取り入れ、点けたばかりの煙草は忽ち短くなっていった。
 彼女は自分が慧の恋人だと言った。だが実態がそうでないことは明らかだ。常に慧のそばにいるのは結衣子であり、真実はともかく、実質彼女が恋人だろう。引き換え自分は、その他大勢の女性たちと同列に、彼の手帳に名を連ねている。それが気持ちを波立たせるのかもしれない。
 それからもいろいろと訊ねてみたが、慧との出会いの話以外は、これといった収穫はなかった。手帳に書かれている女性たちも、未成年ならともかく、みな成人済みだ。犯罪臭さは残るものの、慧に貢ぐのが本人の意思だと言われれば、反論もできない。
 裕二はモヤモヤと蟠る慧への曖昧な感情を持て余し、言葉を失くす。どうすれば彼を救い、護ることが出来るのかわからなくなった。