斉藤は懐の得物を確認し、慧と共に曽我部の家へと走る。裕二は慌ててその後を追いかけた。
「待って、慧! やっぱりダメだよ、やめたほうがいい」
その言葉に慧はムッとして振り向く。ここへ来て止めるとは何事かという所だろう。しかし裕二も引き下がれなかった。自分の欲のために友人を利用し殺したとなっては後々絶対に後悔する。慧は誰かの犠牲の上にのうのうと生きられるほど冷淡にはなれない。
なんのメリットもなく潰れかけたレストランを買い上げて立て直したり、自分とはなんの関係もない見知らぬチンピラの命を救ったり出来る慧が、友人の死を見過ごせるはずがない。切羽詰って一時はそうすることを選んだとしても、きっと後で後悔する。そして一生涯、懺悔の日々を送ることになるだろう。そうはさせられないと思った。
「やめよう、他に方法があるはずだ、もう一度、考えよう、みんな一緒に幸せになれる方法が、きっとあるよ!」
「そんなもんあるか!」
「あるよ! 絶対ある!」
「ない!」
「あるってば!」
裕二の反論に慧も負けず怒鳴り返す。忽ち怒鳴りあいになった。二人して、自分こそが正しいと主張し合う。だがたぶん慧も自分のしていることが本当に正しいのか自信はないのだろう、その言葉は歯切れが悪かった。ここが落とし所だと感じ裕二が切り込んでいく。それに押され慧が怯む。あと少しだ……裕二がそう思ったときだった。斉藤が声を抑えて叫ぶ。
「坊ちゃん。曽我部様が出てきました、逃げます」
「えっ」
驚いた慧が振り返る。曽我部の家の裏手には小高い山があり、家を出てすぐその山へ入り込める小道があった。曽我部らしき人影はその小道へと走って行く。誰も手を入れていない山は荒れ放題で背の高い雑草や古木が生い茂っている。明かりも当然なく真っ暗だ。ひとたび見失えば見つけ出すのは困難だろう。斉藤はそれを横目に、追いますかと訊ね、慧は間髪もおかず、当然だと答えた。
走り出す二人を、裕二も必死で追う。しかし二人の足が早いのか自分が鈍間なのか、見る間に引き離され、山の入り口へ辿り着いた頃には、曽我部どころか、斉藤や慧の姿も見えなくなっていた。
「慧っ!」
暗闇の中叫んでみたが自分の声が木霊するばかりで返事は返って来ない。遠くで草木の擦れる音が聞こえる。三人共この闇の中、走っているようだ。少しでも彼らに近づこうと、裕二もそろそろと歩いた。
進む毎に雑草は多くなり、道らしきモノもわかり難くなってくる。殆どジャングルだ。背の高い草や棘のある木であちこちに切り傷を作りながらも、ただひたすらに進む。
山道を歩き始めて数分も経った頃だろうか、そこに誰かいるのを見つけた。曽我部ではない、影はかなり小柄だ。では誰だと近づいて行って、その影が見知った男、岩瀬だと気づいた。
「岩瀬……」
なぜ彼がここに? それを考えたとき、ここへ来る前、慧が何者かに電話していたことを思い出した。あの電話の相手は岩瀬だったのだ。慧は彼を呼び出し、現場へ来させて、曽我部もろとも殺す気だ。
岩瀬は曽我部を捕まえに現れ、曽我部は岩瀬から逃げようと応戦した。そして相討ちの末、二人共死んだとしておけば丸く収まる。岩瀬は鵜飼氏の片腕で、組の若い集を束ねる立場にある。その岩瀬が殺されたとあっては鵜飼氏も面目丸つぶれ、組織的にも大損害だ。そこで丈一郎殺しと岩瀬殺し、その両方の犯人として曽我部を渡せば、鵜飼氏も二千万出すかもしれない。いや岩瀬がいなくなれば、組の実務をこなす者がいなくなる、そこでその役目を慧たちが請け負うと約束すれば二千万くらい安いかもしれない。
二人に死んでもらえばすべては上手くいく。慧がそう考えたとしてもなんら不思議はなかった。
確信した裕二は慧の策略を止めるため、岩瀬をその場から遠ざけることを考えた。後々のことを考えれば、慧の策略を話すわけにはいかないし、自分の言うことなど岩瀬が聞いてくれるかはわからないが、とにかく一刻も早くと近づいて行く。
岩瀬は目的の男、曽我部を探し、前方に集中しているようだ。だが病的に身長が低いので、背の高い草木に阻まれ辺りが確認出来ないらしい。手にした杖で雑草を蹴散らしながら、ノロノロと前進する。これなら捕まえるのもすぐだ。そう思った矢先、背後からいきなり肩を掴まれた。驚いて声を上げそうになるが、その前に口を塞がれる。
「お静かに、裕二さん……動かないでください」
現れたのは斉藤だった。音もなく近づいて来た斉藤は、両手に薄手の革手袋をして銃を握っている。岩瀬を撃つ気だ。そう判断した裕二は、やめるようにとゼスチャーで伝えるが、彼は聞かない。ただお静かにと言うだけで岩瀬に銃口を向ける。
時刻は真夜中を回り丁度月が天空に座していた。月明かりに照らされた草木が異様な美しさを湛え、その葉に残る露さえくっきりと見える。死せる静寂の中、斉藤は引鉄を引いた。
銃の先につけられた筒状のサイレンサーのおかげで、篭った銃声は山林に木霊することなく、静かに消える。撃たれた岩瀬は、小さく呻いただけでその場に崩れ落ちた。
「……そんな」
倒れた岩瀬を見つめ、もう手遅れなのかと胸が潰れそうになった。その隙に斉藤はサイレンサーを外し、銃を内ポケットに仕舞う。そして用心深く近づいて、生死の確認をした。片手でトンと、揺すると、小さな呻き声が聞えた。まだ生きているようだ。
「岩瀬!」
「触らないでください」
慌てて近づこうとする裕二を、斉藤は冷静に制した。ここで第三者の痕跡が残ったら困るのだと言う。
「岩瀬を殺ったのは曽我部辰寛です、その他の痕跡は残せません」
「なんで! やったのは斎藤さんじゃないですか、慧がそうしろと指示したんでしょ!」
「そうですよ」
「そうですよじゃないよ! 自分でやっといて、その罪を曽我部くんに被せようなんて、許されない……っ」
「それならどうしますか、真実を告げに警察へ行くと?」
「それは……」
出来るわけない。
斉藤は裕二の覚悟の浅さを見透かすように冷たい目をしていた。
「あなたになにも出来ないことはわかっています、それなのになぜここまで連れて来たのかわかりませんが、出来ないならそれでもいい、とにかく、邪魔だけはしないようにしてください」
心底馬鹿にするように囁かれた言葉に心がくじけた。つい黙り込み俯くと、斉藤は倒れている岩瀬をちょいと蹴り、仰向かせた。岩瀬の身体の、丁度真ん中あたりに、どす黒く滲んだ血が染み出している。撃たれたのは腹のようだ。
腹筋が仕えないので、起き上がることが出来ないらしい岩瀬は、額から脂汗を滲ませながら、潤んだ目で斉藤を睨んでいた。だが喋る元気はなさそうだ。斉藤もそれを確認したかったのだろう、彼が動けないと察し、その場を離れた。裕二も慌てて後を追う。
「どこ行くんですか」
「曽我部を探します」
「見つけてどうするんです!」
「今更それを聞くんですか?」
当然のことをするだけだという様に、斉藤は顔色も変えなかった。裕二も愚問だったなと口を結ぶ。
出来るなら止めたい。慧に友人を落とし入れるような真似をさせたくない。だが斉藤が裕二の説得を聞き入れるとは思えない。止める手立てがないまま、ただ前を行く斉藤を追った。
そのとき、急に辺りが明るくなり、裕二は空を見上げる。頭上では雲間から大きな月が現れ、地上に這い回る罪人たちを照らし出していた。月明かりの下、木々も緑も美しく見える。岩瀬の屍を越えて歩き出す斉藤の横顔さえ、崇高なものに思えた。
「神様……」
天空に座す月を見つめ、裕二は思わず呟いた。斉藤はそんな裕二の様子を目の端で捉えながらも立ち止まらず先を目指した。そして数分も経つ頃、ピタリとその足を止める。
「斉藤さん……?」
「しっ」
どうしたんだと声をかけようとする裕二を斉藤は止めた。仕方なくその視線の先を追う。そこには慧がいた。
深い森の奥、大きな木々に囲まれた世界で、そこだけぽっかりと穴が空いたように明るい。頭上から降り注ぐ月の光で眩しいくらいだった。
慧は瞳を見開き、前方を見つめて固まっていた。右手はなにかを掴もうとするように差し出され、残された左手はわなわなと震えている。そんな目をしてなにを見ているのだとその視線を辿る。
果たしてそこには慧の会いたくて堪らなかった相手、曽我部辰寛がいた。
「一人で来いと行ったはずだ、なぜ奴らを連れて来た?」
怒りに我を忘れたような、憎しみの篭った目をして、曽我部が怒鳴る。その声で気を取り直したのか、慧は差し伸べていた右手をゆっくりと引いた。身体の横に下ろされた右手は、掴み損ねた何かを追うように、僅かに痙攣している。だが台詞だけは容赦ない。
「まさか本当に一人で来るなんて思ったのか? おめでたいな」
「それがこの俺に言う台詞かよ! 他に言うことあんだろ!」
「ないな」
「あるはずだ!」
怒りに震える曽我部とは対照的に慧は静かだった。二人は友人、親友と言って差し支えない間柄だ。その親友を落とし入れ、罪を被せておいて弁解の一つもないのかと曽我部が怒鳴る。すると慧はさも愉快そうに口角をあげた。
「親友か、そうだな、じゃあ一つだけ」
「……なんだ?」
「俺のために、死んでくれ」
「なんっ……っ?」
親友なんだろと慧が冷たく笑う。遠くでそれを見ていた裕二はあまりのことに眩暈を覚えた。慧がそんなことを言うなど信じられない。だが曽我部はもっと信じられないのだろう、逆上して怒鳴り散らした。
「ふざけるな! 何で俺が死ななきゃならないんだ」
「仕方ないだろ、お前は丈一郎さんを殺した、鵜飼さんに引き渡せば弄り殺されるに決まってる、それを覚悟しとけと言ってるんだ」
「俺はやってない!」
「いいや、犯人はお前だ」
「違うっ!」
「待って、慧! やっぱりダメだよ、やめたほうがいい」
その言葉に慧はムッとして振り向く。ここへ来て止めるとは何事かという所だろう。しかし裕二も引き下がれなかった。自分の欲のために友人を利用し殺したとなっては後々絶対に後悔する。慧は誰かの犠牲の上にのうのうと生きられるほど冷淡にはなれない。
なんのメリットもなく潰れかけたレストランを買い上げて立て直したり、自分とはなんの関係もない見知らぬチンピラの命を救ったり出来る慧が、友人の死を見過ごせるはずがない。切羽詰って一時はそうすることを選んだとしても、きっと後で後悔する。そして一生涯、懺悔の日々を送ることになるだろう。そうはさせられないと思った。
「やめよう、他に方法があるはずだ、もう一度、考えよう、みんな一緒に幸せになれる方法が、きっとあるよ!」
「そんなもんあるか!」
「あるよ! 絶対ある!」
「ない!」
「あるってば!」
裕二の反論に慧も負けず怒鳴り返す。忽ち怒鳴りあいになった。二人して、自分こそが正しいと主張し合う。だがたぶん慧も自分のしていることが本当に正しいのか自信はないのだろう、その言葉は歯切れが悪かった。ここが落とし所だと感じ裕二が切り込んでいく。それに押され慧が怯む。あと少しだ……裕二がそう思ったときだった。斉藤が声を抑えて叫ぶ。
「坊ちゃん。曽我部様が出てきました、逃げます」
「えっ」
驚いた慧が振り返る。曽我部の家の裏手には小高い山があり、家を出てすぐその山へ入り込める小道があった。曽我部らしき人影はその小道へと走って行く。誰も手を入れていない山は荒れ放題で背の高い雑草や古木が生い茂っている。明かりも当然なく真っ暗だ。ひとたび見失えば見つけ出すのは困難だろう。斉藤はそれを横目に、追いますかと訊ね、慧は間髪もおかず、当然だと答えた。
走り出す二人を、裕二も必死で追う。しかし二人の足が早いのか自分が鈍間なのか、見る間に引き離され、山の入り口へ辿り着いた頃には、曽我部どころか、斉藤や慧の姿も見えなくなっていた。
「慧っ!」
暗闇の中叫んでみたが自分の声が木霊するばかりで返事は返って来ない。遠くで草木の擦れる音が聞こえる。三人共この闇の中、走っているようだ。少しでも彼らに近づこうと、裕二もそろそろと歩いた。
進む毎に雑草は多くなり、道らしきモノもわかり難くなってくる。殆どジャングルだ。背の高い草や棘のある木であちこちに切り傷を作りながらも、ただひたすらに進む。
山道を歩き始めて数分も経った頃だろうか、そこに誰かいるのを見つけた。曽我部ではない、影はかなり小柄だ。では誰だと近づいて行って、その影が見知った男、岩瀬だと気づいた。
「岩瀬……」
なぜ彼がここに? それを考えたとき、ここへ来る前、慧が何者かに電話していたことを思い出した。あの電話の相手は岩瀬だったのだ。慧は彼を呼び出し、現場へ来させて、曽我部もろとも殺す気だ。
岩瀬は曽我部を捕まえに現れ、曽我部は岩瀬から逃げようと応戦した。そして相討ちの末、二人共死んだとしておけば丸く収まる。岩瀬は鵜飼氏の片腕で、組の若い集を束ねる立場にある。その岩瀬が殺されたとあっては鵜飼氏も面目丸つぶれ、組織的にも大損害だ。そこで丈一郎殺しと岩瀬殺し、その両方の犯人として曽我部を渡せば、鵜飼氏も二千万出すかもしれない。いや岩瀬がいなくなれば、組の実務をこなす者がいなくなる、そこでその役目を慧たちが請け負うと約束すれば二千万くらい安いかもしれない。
二人に死んでもらえばすべては上手くいく。慧がそう考えたとしてもなんら不思議はなかった。
確信した裕二は慧の策略を止めるため、岩瀬をその場から遠ざけることを考えた。後々のことを考えれば、慧の策略を話すわけにはいかないし、自分の言うことなど岩瀬が聞いてくれるかはわからないが、とにかく一刻も早くと近づいて行く。
岩瀬は目的の男、曽我部を探し、前方に集中しているようだ。だが病的に身長が低いので、背の高い草木に阻まれ辺りが確認出来ないらしい。手にした杖で雑草を蹴散らしながら、ノロノロと前進する。これなら捕まえるのもすぐだ。そう思った矢先、背後からいきなり肩を掴まれた。驚いて声を上げそうになるが、その前に口を塞がれる。
「お静かに、裕二さん……動かないでください」
現れたのは斉藤だった。音もなく近づいて来た斉藤は、両手に薄手の革手袋をして銃を握っている。岩瀬を撃つ気だ。そう判断した裕二は、やめるようにとゼスチャーで伝えるが、彼は聞かない。ただお静かにと言うだけで岩瀬に銃口を向ける。
時刻は真夜中を回り丁度月が天空に座していた。月明かりに照らされた草木が異様な美しさを湛え、その葉に残る露さえくっきりと見える。死せる静寂の中、斉藤は引鉄を引いた。
銃の先につけられた筒状のサイレンサーのおかげで、篭った銃声は山林に木霊することなく、静かに消える。撃たれた岩瀬は、小さく呻いただけでその場に崩れ落ちた。
「……そんな」
倒れた岩瀬を見つめ、もう手遅れなのかと胸が潰れそうになった。その隙に斉藤はサイレンサーを外し、銃を内ポケットに仕舞う。そして用心深く近づいて、生死の確認をした。片手でトンと、揺すると、小さな呻き声が聞えた。まだ生きているようだ。
「岩瀬!」
「触らないでください」
慌てて近づこうとする裕二を、斉藤は冷静に制した。ここで第三者の痕跡が残ったら困るのだと言う。
「岩瀬を殺ったのは曽我部辰寛です、その他の痕跡は残せません」
「なんで! やったのは斎藤さんじゃないですか、慧がそうしろと指示したんでしょ!」
「そうですよ」
「そうですよじゃないよ! 自分でやっといて、その罪を曽我部くんに被せようなんて、許されない……っ」
「それならどうしますか、真実を告げに警察へ行くと?」
「それは……」
出来るわけない。
斉藤は裕二の覚悟の浅さを見透かすように冷たい目をしていた。
「あなたになにも出来ないことはわかっています、それなのになぜここまで連れて来たのかわかりませんが、出来ないならそれでもいい、とにかく、邪魔だけはしないようにしてください」
心底馬鹿にするように囁かれた言葉に心がくじけた。つい黙り込み俯くと、斉藤は倒れている岩瀬をちょいと蹴り、仰向かせた。岩瀬の身体の、丁度真ん中あたりに、どす黒く滲んだ血が染み出している。撃たれたのは腹のようだ。
腹筋が仕えないので、起き上がることが出来ないらしい岩瀬は、額から脂汗を滲ませながら、潤んだ目で斉藤を睨んでいた。だが喋る元気はなさそうだ。斉藤もそれを確認したかったのだろう、彼が動けないと察し、その場を離れた。裕二も慌てて後を追う。
「どこ行くんですか」
「曽我部を探します」
「見つけてどうするんです!」
「今更それを聞くんですか?」
当然のことをするだけだという様に、斉藤は顔色も変えなかった。裕二も愚問だったなと口を結ぶ。
出来るなら止めたい。慧に友人を落とし入れるような真似をさせたくない。だが斉藤が裕二の説得を聞き入れるとは思えない。止める手立てがないまま、ただ前を行く斉藤を追った。
そのとき、急に辺りが明るくなり、裕二は空を見上げる。頭上では雲間から大きな月が現れ、地上に這い回る罪人たちを照らし出していた。月明かりの下、木々も緑も美しく見える。岩瀬の屍を越えて歩き出す斉藤の横顔さえ、崇高なものに思えた。
「神様……」
天空に座す月を見つめ、裕二は思わず呟いた。斉藤はそんな裕二の様子を目の端で捉えながらも立ち止まらず先を目指した。そして数分も経つ頃、ピタリとその足を止める。
「斉藤さん……?」
「しっ」
どうしたんだと声をかけようとする裕二を斉藤は止めた。仕方なくその視線の先を追う。そこには慧がいた。
深い森の奥、大きな木々に囲まれた世界で、そこだけぽっかりと穴が空いたように明るい。頭上から降り注ぐ月の光で眩しいくらいだった。
慧は瞳を見開き、前方を見つめて固まっていた。右手はなにかを掴もうとするように差し出され、残された左手はわなわなと震えている。そんな目をしてなにを見ているのだとその視線を辿る。
果たしてそこには慧の会いたくて堪らなかった相手、曽我部辰寛がいた。
「一人で来いと行ったはずだ、なぜ奴らを連れて来た?」
怒りに我を忘れたような、憎しみの篭った目をして、曽我部が怒鳴る。その声で気を取り直したのか、慧は差し伸べていた右手をゆっくりと引いた。身体の横に下ろされた右手は、掴み損ねた何かを追うように、僅かに痙攣している。だが台詞だけは容赦ない。
「まさか本当に一人で来るなんて思ったのか? おめでたいな」
「それがこの俺に言う台詞かよ! 他に言うことあんだろ!」
「ないな」
「あるはずだ!」
怒りに震える曽我部とは対照的に慧は静かだった。二人は友人、親友と言って差し支えない間柄だ。その親友を落とし入れ、罪を被せておいて弁解の一つもないのかと曽我部が怒鳴る。すると慧はさも愉快そうに口角をあげた。
「親友か、そうだな、じゃあ一つだけ」
「……なんだ?」
「俺のために、死んでくれ」
「なんっ……っ?」
親友なんだろと慧が冷たく笑う。遠くでそれを見ていた裕二はあまりのことに眩暈を覚えた。慧がそんなことを言うなど信じられない。だが曽我部はもっと信じられないのだろう、逆上して怒鳴り散らした。
「ふざけるな! 何で俺が死ななきゃならないんだ」
「仕方ないだろ、お前は丈一郎さんを殺した、鵜飼さんに引き渡せば弄り殺されるに決まってる、それを覚悟しとけと言ってるんだ」
「俺はやってない!」
「いいや、犯人はお前だ」
「違うっ!」