「で、気づいたときは、凶器のナイフを握って裏路地に倒れてたのさ」
 告白を終えた曽我部は、話したことで気が楽になったのか、さばさばとしていた。しかしそうなると、話はおかしな方向へ行く。曽我部の言うとおりだとすると、誰が丈一郎氏を殺したのだ?
 そこには曽我部と慧しかいなかったのだから、普通なら二人のうちどちらかがやったということになる。曽我部でないなら慧だ。だが慧は意識不明だった。気を失う前に殺したとも考えられるが、人を殺しておいて、逃げることもなく、返り血を拭いもしないで眠るなどあり得ない。では誰だと考えると、話は振り出しに戻ってしまう。
 それにホテルで曽我部を殴り倒したのは誰だ? 丈一郎氏本人か、それとも第三者か、そいつが曽我部をホテルに呼びつけ、さらに丈一郎氏を殺したのか? なぜ、何のために?
 疑問は次々と湧いて出る。一つ謎が解けたというのにこうなると新たな謎が増えただけだ。
 裕二は混乱する頭を整理しようと深呼吸をし、少し間をおいてからゆっくりと曽我部に訊ねた。
「キミが部屋を見たとき、そこに丈一郎さんはいた?」
「わからない……少なくとも、見える位置にはいなかったと思う」
「いなかった」
 もしそこに丈一郎がいなかったとしたらそのとき彼はどこにいたのだろう? 丈一郎の死体はその部屋で見つかっているのだから、部屋にはいたはずだ。そこにいなかったとしたら風呂場か洗面、トイレ、そのあたりだろう。そこに曽我部を落とし入れた何者かと隠れていた、もしくは既に殺されていたかだ。
 犯人の狙いは何だ? 大事なのは慧か、丈一郎を殺すことか、それともそれを利用し曽我部を落とし入れることか。

 少々無理があるが曽我部の言うとおり、慧が女性だと仮定してみよう。するとどうなる?

「曽我部くん、慧が女性だって話は絶対そうだって言い切れる? 人違いとか見間違いじゃない?」
「俺があいつを見間違うもんか」
「そう……」
 男でも筋肉質だったり脂肪の多い肥満体質なら、乳房と見紛うような膨らみがある者もいる。だが慧はそのどちらにも当てはまらない。となると彼が嘘を言っているのでない限り慧は女性だということになる。
「ねえ、じゃあさ、丈一郎氏を殺したのがキミじゃないなら、なんで逃げてるの?」
 まさか慧を告発したくないからなんて理由じゃないだろうと聞くと、曽我部はまた気まずそうに視線を下げた。まだなにか隠している顔だ。
「慧はキミを待ってるよ、そりゃ表向きは面子のために探せって言ってるみたいだけど、実際はそうじゃない、ただキミに戻ってきて欲しいだけなんだ、それはキミだってわかってるんだろ?」
「だったらなんで俺に罪を被せるんだ! 先に裏切ったのは藤宮のほうだぞ!」
「曽我部くん……」
 問い詰めると曽我部は激高した。追い詰められたようなその叫びで彼が受けた傷の深さが窺える。彼は慧を信じていたのだ。だから余計に慧に信じてもらえない自分が悔しいのかもしれない。
 丈一郎殺しの犯人は彼ではないだろう。だがでは誰が丈一郎を殺したのか……。
「慧はそんなことしないよ」
「なんでわかる? お前、藤宮のなにを知ってるって言うんだ」
「知らないよ、彼のことは全然……でも、そんなこと出来る人間じゃないってことはわかる」
「ふん、お気楽な返事だな」
「そうかな? でも本当は、キミだってわかってるんじゃないの?」
 わかっていて拗ねているんだろうと突っ込むと曽我部はまた黙り込んだ。視線を逸らし、口を噤み、ただ苛々と身体を揺する。

 親友だと信じていた男が自分を裏切り、濡れ衣を着せたとは思いたくない。だが慧は女だった。なぜそれを隠しているのかは知らないが、その秘密を自分には明かさなかった。自分は信用されていなかったのだ。
 親友だと思っていたのはこちらだけで、慧はそう思っていなかったのかもしれない。すべては自分の独り相撲だったのかもしれない。そう考えると慧の行動全てが疑わしく思えてくる。
 慧は初めから自分を騙し落とし入れる気だったのかもしれない。もしそうなら何の為に、自分は結衣子と別れたのだ。つい浮かんだ疑問に曽我部は固く目を閉じる。

「とにかく、やったのは俺じゃないし、わざわざ捕まりに行く気もないからな」
 さっきまでの勢いとは正反対に曽我部は弱々しい口調でそう呟いた。裕二は弱気になった曽我部にじゃあどうするんだと詰め寄る。いつまでも逃げてるわけにはいかないだろう。
 問い詰めると曽我部はそうだなと小さく頷いた。彼もこのままではダメだとわかってはいるらしい。
 しかし事実はどうあれ、今は丈一郎殺しの犯人として警察とヤクザに追われている。見つかればただではすまないし、慧相手だってそれは同じだ。見つけ次第、鵜飼の元へ送り込む手はずになっている。そうなればただ嬲り殺されるだけでどう考えても割に合わない。
 曽我部自身も迷っているのだ。苛々と落ち着かない視線を彷徨わせながら顔をあげた。
「そういやお前、なんでここがわかった? 誰に聞いた? 藤宮の差し金か?」
「いや、実は、ここを見つけたのは澤田さんなんだ、でも今ちょっと忙しくて、キミがいるかどうかだけでも確かめてきてくれって頼まれて……」
「澤田か……相変わらず、献身的だな」
 澤田の名を出すと、曽我部は酷く不愉快そうに口を歪めた。そして、まるで姫君に使える下僕のようだなと笑う。
 姫は下僕のことなど毛筋ほども思っていないのに、下僕は姫のためにその存在の全てをかける。姫にとってはほんの気まぐれ、ただなんとなく思っただけの願いにも、全身全霊で応えようとする。
 その願いがかなっても姫はさして感動もしない。ただ束の間、退屈が紛れたと喜ぶだけだ。それでも、その束の間の笑みのため、下僕は命をかける。そしてその死にすら気づいてもらえないまま、いつか命を落すだろう。
 バカな奴だ、バカで愚かで幸せな奴だと曽我部は呟いた。その表情はどこか切なげだ。
 もしかしたら曽我部は澤田を羨んでいるのかもしれない。心のどこかで自分もそうなりたいと願っているのかもしれない。ただ慧のために、慧の望みを全て叶えてやるためだけに生きたいと……だがそれが出来ない。
 彼の望みを阻むモノはなんだろう? それを考えたとき、真っ先に結衣子の顔を思い浮かべた。
 彼女だ……やはり彼女が鍵だ。
 慧の望みが曽我部。そしてもし曽我部の願いも慧であるとしたら、その狭間にいる結衣子だけが異質となる。彼らの不幸はお互いの間に結衣子が存在していたことなのかもしれない。
「曽我部くん、キミは本当に結衣子さんが好きだったの? なんで別れたの?」
「なぜ? 別れたいと言ったのは結衣子だぜ」
「それは聞いたよ、だけど、キミにはそれを拒むことも出来たはずだ、でもそうしなかった、それはなぜ?」
「そんなこと俺が知るか! 結衣子に聞けよ!」
「もちろん聞くよ、でもキミの気持ちも聞きたいんだ、キミはなんで、彼女の言うことを聞き入れたの? もしかしたら、別れたかったのはキミのほうなんじゃ……?」
 思わず突っ込んだ裕二は、その瞬間、曽我部の表情が硬くなったのに気づき、ギクリとした。それが真実であると感じたからだ。だが曽我部はすぐ真顔に戻った。
「そんな話はどうでもいい、藤宮に伝えろ、俺に会いたいなら、自分で動けとな」
「自分で? 慧が来れば会うってこと?」
「ああ、一人で来る気があるならな」
 異様にギラつく目をした曽我部は、慧一人で来いと言い、後はなにも答えなくなった。だが秘密を知った今となると意味は微妙に違ってくる。
 もしも本当に慧が女性だとしたら、二人きりで会わせるのは危険だ。曽我部も追い詰められている、慧も譲れない所まで来ている。その結果がどうなるのか予想もつかないが、あまり良い方向にはいかない気がした。
 しかしこのままでいいはずもない。それにグズグズしていると居場所を知られたことで曽我部は姿を消してしまうかもしれない。それも不味い。
 裕二は自分自身も迷いながら、その要求に頷いた。
「わかった、伝えるよ」