昼休み、押村さんは隣の席にこなかった。隣の席の女子は、今日も変わらず、友達と一緒に食堂へ向かった。当然だった空席が、いやに気になった。

 中庭に出ると、押村さんは「短かった」と呟いた。天を仰ぐ彼女を真似ると、柔らかな水色の空に、淡い月が浮かんでいるのが見えた。半分ほどが消えた、歪な月。

 押村さんを見て、「え?」と聞き返す。

 「もう、おしまいだもん」と、彼女は声を震わせた。

 「おしまい?」

 「もうここにはいられないもん」

 「……どうして?」

 「私は私なんだよ、どうしようもなく」そう言って、押村さんは洟を啜った。「どうしたって、変われない」

 「明日は」とおれは言っていた。「明日の押村さんは違うかもしれない」

 「違くないよ」と押村さんは静かに言う。「ずっとずっと同じだよ。もういくつもの“明日”を迎えてきたけど、なにも変わらなかった。変わったのは、綸だけだよ」

 なんの音も立てず、押村さんの頬を涙が伝う。

 「ねえ高野」と言って、彼女はおれと向かい合った。「私をどうする?」と、今朝のように両手を差し出す。「恨む? 憎む?……好きにしてよ」

 ふと冷静になって、強く歯を食いしばっていることに気が付いた。ああ、おれは怒っているんだと気づく。慣れない感情。今まで、腹を立てたことはほとんどなかった。怒りって、こんな感じだったなとすら思う。気づかなかったけれど、今朝もこんな感じがしていた。違うだろう、そうじゃないだろうと。

 「……それを決めるのは、おれじゃない」

 押村さんは拍子抜けといった様子で、手を下ろした。「え?」と間の抜けた声を出す。

 「押村さんをどうするかなんて、おれが決めることじゃない」

 「でも……」

 「おれは綸のなんでもない。押村さんを恨むにしても憎むにしても、そうする人はおれじゃない」

 押村さんは唇を噛むと、俯いて泣いた。声もなく、音もなく、ただ静かに、涙を流した。

 「でも」とおれは言った。「一つだけ、言っていいなら。押村さんには、ここにいてほしい。だけどやっぱり、これを決めるのもおれじゃない。押村さん自身だよ」言っている間に、怒りは静まっていた。

 ひくひくとしゃくり上げながら、押村さんは忙しなく涙を拭う。

 「ずるいよ」と言う。「高野は……優しすぎるよ」

 「……違うよ。おれは、優しくなんてない」

 優しい人なら、押村さんを非難するだろう。彼女の求めている通り軽蔑し、侮辱し、彼女の望むままに、“罰”を与えるだろう。だけど、おれはそれをしない。おれはそもそも、押村さんを罪人だとは思っていない。押村さんのせいで綸が変わった、押村さん自身がそう思っているように、そういう捉え方もあるのかもしれない。けれどおれはそうは思わない。押村さんは綸のそばにいた。くだらない話をして、一緒に笑った。そう話していた。その事実のどこが罪だろう。その事実を築いた押村さんの、なにをおれは罰せばいいのだろう。

 「……押村さんは、悪くないよ」

 激しくかぶりを振る彼女へ、おれは「悪くない」と言った。「押村さんは悪くない」と。

 押村さんはその場に座り込み、自身の体を抱いて震えた。痛々しい声を漏らして、自分は罪人だと訴え、罰を求めた。それでも、おれに映る押村さんは罪人ではない。

 けれど、「押村さんは悪くないんだよ」と伝えたこの声こそが、彼女に対する“罰”なのかもしれない。