階段を下りる時、廊下を歩く時、靴へ履き替える時。彼女は頻繁に私を見た。その目がとても優しくて、なんだかくすぐったい。こんな表情もするんだ、なんて考えるのは、彼女に興味があるからなのか、緊張から逃げているのか。やはりわからない。

 昇降口を出て、校門を出て、右に曲がって左に曲がって、横断歩道で足を止める。それまでの間にも、私の歩みが少しでも遅れると、「休む」とか「気分悪い」とか問い掛けてきた。声に抑揚はないけれど、深く気にかけてくれているのは伝わってきた。その度に、なんだか申し訳ない気持ちになった。なにせ、私は至って元気なのだから。

 「君は、病気かなにか」

 「……え? あ、私?」

 「辛そうだった」

 「え、いや、全然そんなんじゃなくて」

 「そっか」と、彼女は柔らかく笑った。それには、一面に降り積もった雪が一斉に溶け、それを追うように桜の蕾が膨らみ、花開くような温かさがあった。植物の香りのする温かな風に吹かれたように、胸の奥でなにかが解けた。

 「それならよかった」

 「私、すごい健康なんだ。風邪とかも全然引かないの。だから、病気なんて全然」

 「おれもそうなんだけど」と言って、直後、彼女は怯えるような顔をした。まるで、取り返しのつかないことをしてしまったとでも言うように。

 「別にいいじゃん」と私は言った。「夜久さんは夜久さんだよ」

 「言わないで」と言う、風でも吹けば消えてしまいそうな夜久さんの声が、震えていた。今までとはまるで違って、声は強い感情を抱えていた。「誰にも言わないで」と、縋るような声で、表情で、訴えてくる。私よりも五センチは背が高そうなのに、夜久さんがとても小さく見える。

 「わかったわかった」と私は両手の平を見せる。「大丈夫、言わないから」わざわざ人に伝えたいと思うような面白いことでもない。一人称くらいではなにもわからないし、その奥を知ったって、私はそれを誰かに話そうとは思わないだろう。

 「絶対、誰にも……」と言うと、夜久さんは顔を背けてけほけほと咳き込んだ。手の甲を口に当てたまま一つ咳払いして、「ごめん」と呟いた。ここには私と夜久さんしかいないのに、その声がどこに向けられたのか、わからなかった。