高野と別れて、私は空を見上げた。春らしい、穏やかな水色が広がっていた。落書きのような薄い雲が気まぐれに空を飾っている。前を向き直って、歩みを再開する。

 空ってなんなんだろう、と、小さい頃よく考えた。東京のシンボルであるあの電波塔を上れば、その中に入れるかな、なんて考えたりもした。親に尋ねてみると、それでも空には届かないよと言われた。空はとっても遠くにあるんだと。そして、限りないものなのだと教えられた。

 ――高野山空。あの空も、それくらい遠い存在なのだろうか。いいや違う。彼は人間で、至って普通の高校生だ。話しかければあんな風に気さくに応えてくれるし、背中を叩くこともできる。手を伸ばせば触れるのだ。その中に入るのは難しいけれど、それは彼に限ったことではない。彼が空であるからではない。例えば彼が、海でも心でも誠でも、その中に入るのは難しいのだ。当然、太郎でもジョンでもだ。

それでも、こんなに遠く感じるのはどうしてだろう。もしもこれが恋心の悪戯なら、私の人生にも苺のようなレモンのようなドラマが芽吹くけれど、どうやらそれとは違いそうだ。もちろん、私がそれを認めたくない、なんて可能性もあるけれど。

 彼は、高野山空は風船のような人だ。それも、意思を持った風船。中にはきっと、軽いガスと重い空気が半分ずつ入っているのだろう。宙をぷかぷかと浮いて、決して飛んで行ってしまうことも足元に落ちることもない。その特異さはやがて意思を芽生えさせ、気ままにふわりふわりとあちこちへ舞う。

私はそれを掴みたいのだけれど、風船はそれを嫌がって、ひょい、ひょいとこの手を躱しては楽しそうに嘲笑う。高野山空にそこまでの悪い奴色は感じないけれど、そんな雰囲気を感じる。嫌がられてはいない、こちらを避けては困る私を見て嘲笑っているというわけではない、というのは、事実か願望か。事実だと思うけれど、これこそが願望である証拠なのかもしれない。もっとも、これが願望であったとして、大人しく離れるような私ではないけれど。私は、かなりのおせっかいおばさん――いや、おせっかいジェーケーなのだ。