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「貴方から文が届くなんて、珍しいこともあるものですね」
「ご多忙のところ、わざわざ、ありがとうございます。まさか、東宮さま御自ら、いらして頂けるとは……」

 奇跡だ。
 今、目にしている光景こそ夢なのではないかと、本気で思いこんでしまうくらい、あり得ない事態が起きていた。
 御簾越しに、ぼんやりと垣間見える御姿。
 こざっぱりとした直衣姿で、背筋をぴんと伸ばして座っている。
 色白だが、精悍な面差しだ。
 初対面の時と同じで、澄良親王は凛々しい。
 衣に焚き染められたほんのり優しい香りは、少し緊張していた維月の心を癒しているようだった。
 この御方が維月の部屋まで足を運んだのは、盛夏の頃、帝の妃たちから、嫌がらせを受けていた維月の女房たち……特に瀬野を慮って、対処を伝えに訪れた時以来だ。
 まさか、文を認めたその日の晩に、東宮本人が維月の部屋にやって来るとは、思ってもいなかった。

(ありがとうございます! 神様、仏様、父様)

 感極まって、虚空に手を合わせていたら、嫌悪感露わに、声を荒げられてしまった。

「時間はありません。早速、用件を伺いましょう。あまり長居して、良からぬ評判を貴方のお父上の耳に入れるわけにもいきませんからね」
「それは大丈夫ですよ。父には、提示した条件以外に、下心のようなものはございませんから」
「さあ、それはどうでしょう? 九曜家は得体が知れないと、もっぱらの噂ではないですか」
「そうですよね。東宮さまが警戒なさるのは、無理もないことと存じます」

 事実、九曜家は「怪しい」のだ。
 配流から戻って来た時に、地元の呪術師と入れ替わったのではないかと、訝られていることくらい、維月とて知っている。

「おや? やけに殊勝ですね?」
「いえ、本当に申し訳なかったと思っていますから。無理にこの入内を勧めたのは父です。もし、東宮さまが妃に迎えたい大切な御方がいらっしゃったら、よりにもよって九曜の姫が先客で、女御なんて、その御方に対しても失礼なのではないかと……」
「何を今更。よく分かりませんが、私は、貴方が九曜の人間だから入内を反対していた訳ではありません」
「そう……だったのですか?」

 驚いたのは、東宮の反応だった。
 維月の一方的な懺悔にも関わらず、丁寧に反応を返してくれた。
 
(今宵の東宮さま、お心が柔らかい感じがするわ)

 もしかしたら、瀬野と共作した歌の出来が良かったのかもしれない。

(ちゃんと会話が成立していて、嬉しい)

 だが、自分らしくない物言いだったと、すぐに後悔したようだ。
 東宮は咳払いをして、話題を元に戻してしまった。

「……で、用件とは何ですか? 私に対する呪詛については、いまだ解決していないようですが?」
「実は、その件に関してなのですが」

 あまり大声でするような話でもないので、維月は衵扇で口元を隠しながら囁くように告げた。

「あの……今、あんなことを申し上げておいて、大変失礼だと思うのですが」
「何でしょう?」
「東宮さまは、他にお妃様を娶った方が宜しいのではないでしょうか?」
「はっ?」

 今まで淡々としていた東宮が目を丸くする姿を、維月は初めて目の当たりにしたのだった。