「みなさん少しいいですか。ここで私からお話があります」
楽しい時間はあっという間に過ぎ、終わりが近づいてくる。
「みなさんは今、何のために絵を描いていますか」
教壇の前に立つ先生に、みんなの視線は総浚いされる。
「私が描いてくださいと課題を出したから? 見学に来たから仕方なく? それとも絵を描くのが好きだから?」
突拍子もないことを尋ねられる。
そんなこと考えたことなかった。
だって僕にとって絵を描くことはーー…
「私が教えるにあたって一番大切にしていることは、〝絵を描く楽しさ〟です。どんなに基礎を学んでいてもどんなに技術を磨いていても、描くことが楽しいと思えないといい絵は描けない」
先生の話に固唾を飲んで耳を傾けていると、だから、と続けると、
「どんなに慣れたデッサンでも手抜きはしないこと。そして楽しいと思って描いてほしいの。そうやって描くことによって観る人に〝絵の想いが伝わる〟のよ」
前に水帆にも言われた。
校長先生にも言われた。
絵は描いた人の想いが込められてる、と。
写し鏡なのだ、と。
今までは、上手い下手なんて考えたことなかったし気にしたこともなかった。
ただ描く時間が好きだった。まだ何も描かれていないキャンパスを見て心踊ったし、鉛筆の質感や絵の具の匂いや、その場の一体感が心地よくて……
ーーやっぱり僕は、絵を描くのが好きなんだ。きっと、誰よりも。どんなことよりも。
「その絵にどれだけの想いを注いだのか、その絵にどれだけの時間を費やしたのか。自分が一つの絵にどれだけのものを込められるのか考えてみて。そうすると、一分一秒さえ無駄にはできないはずよ」
僕が今、この絵にかけた時間は三〇分ほど。他のものなんて目も暮れず、ただひたすらフルーツの盛り合わせを見つめた。穴が開くほどに。
それと同時に描く楽しさを感じた。
りんごの形は丸いとかばななの形は細長いとか言葉で表現するには簡単だけれど、実際見てみると丸くはないし細長いだけではない。
もっと複雑で歪な形をしている。それを観察して描くと、形に近づいてくる。
正解なんてないけれど、僕が今表現できる最大の絵がこれだと思った。
考えて観察して、時間をかける。
一分一秒の時間さえもかけがえのないものに思えた。