その日の夕方。
家に帰ると、リビングで父親と鉢合わせする。
お互い顔を見合わせること数秒。
「今帰りか」
先に口を開いたのは父さんだった。
「…うん」
会話をしたのは、いつぶりだろう。
最後に話したのはいつだったのか全然思い出せそうにない。
元々口数は多くない父親。
医者をしているから見た目は厳格で、どこか怖ささえ子供ながらに感じていた。
「父さんこそ今日は早かったんだね」
「ああいや、忘れ物があって取りに来ただけなんだ。これからすぐ病院に戻る」
なんだ、そうだよな。父さんがこんな早くに帰ってくるなんて今まで一度だってなかったし。
「あー…そうなんだ」
父さんの横を通り過ぎてキッチンへ向かう。緊張して喉がカラッカラだった僕は、冷蔵庫から飲料水を取り出した。
けれど、あまりの静けさに水を飲む音さえも聞こえてしまいそうだ。
「お金は足りてるか?」
水を含んだ瞬間に尋ねられるから、反応に遅れた。
「……え、お金?」
「夜、いつも買ってるんだろう」
「あー、うんまぁ……」
最近、母さんの手料理は食べた記憶がないのは、それほどまでに仕事が忙しくて家にいる時間がないから。
「とりあえずこれで今日も何か買いなさい」
そう言うと、財布から千円札を数枚出した。
「ちょ、そんなにいらないから…!」
「そうか? じゃあまあ、参考書の足しにでもするといい」
結局テーブルの上に置かれたままの数枚の千円札。
〝参考書の足しに〟って……
今でさえも問題集の山なのに、僕にまだ勉強をさせようとしてるのかな。
「じゃあもう戻るから」
椅子にかけていたスーツの上着を着ると、立ち上がる。
寂しい、なんて感情は一切なかった。
あるのは、嫌悪感ばかりだった。
「夜、戸締りだけはするように」
「子供じゃないんだから分かってるよ」
「そうだな」
表情は最初から最後まで一切変わることはなかった。
それから父さんは、玄関へと向かった。
けれど僕はあとをついて行かなかった。
高校生になると親にベタベタついていくわけがないからだ。
だが実際のところ、父親にどう接していいのか分からないというのがほんとの理由のような気がした。