■誰かの痛み side志倉柚葵

 『俺が志倉の声になろうか』
 彼の表情から、なんの感情も読み取ることができなくて、ずっと頭の中にあの時の映像が浮かんだままだ。
 成瀬君のことが全然分からないし、私に関わってくる目的が見えてこない。
 私に能力を打ち明けた理由は、罪悪感を拭うためだと言っていたけれど、その意味もよく分からない。
 彼は、私が困っているように見えて、かわいそうに思えて、助けようとしてくれているのだろうか。
 だとしたら、それは大きな間違いだ。
 私は私にとって大切な人が周りにいればそれでいいし、世界を広げようだなんて思っていない。
 自分の進路のために、場面緘黙症を克服したいとは思っているけれど。
「もやもやする……」
 自分の部屋のベッドで大の字に寝転がってあれこれ考えていたが、このままでは気持ちがもやっとしたまま時が流れるだけだ。
 私はスッと起き上がると、ベッドの近くの本棚に飾ってある一冊の画集を取り出した。
 『芳賀義春(はがよしはる)画集』は、私が祖母に会いに北海道へ旅行したときに出会った一冊だ。芳賀先生の水彩画作品を初めて北海道の美術館で見たとき、涙があふれ出そうになったのを今でも覚えている。
 “半透明のあなたへ”と題された代表作品は、涙を流した女性がカーテン越しに描かれている絵で、その女性が放つ透明感や儚さに一瞬で心をつかまれてしまったのだ。
「きれい……」
 画集を見つめながら、私は何度目かの感想をひとりつぶやく。
 泣いているのに、何かを語りかけているかのようなこの優しい瞳が、ずっと頭の中にこびりついて離れなかった。
 それから私は水彩画に興味を持ち、絵画教室にも通ったりして、地道に描き続けてきた。
 将来は画家になりたいのかと言われるとそうではなく、いつか水彩画のすばらしさを伝えられるような講師になれたらと、ぼんやりと思っている。
「うーん、でもいまだにこの一文がよくわからないんだよなあ……」
 本人が残した作品の解説が非常に難解で、専門家たちも特に最後の文章の正しい意味は分からないという。作品を作るに至った経緯は具体的に残されているのだが、どうしてもある文だけ結びつかないのだ。
 『君は、透明になる前に、自分の気持ちを叫びなさい』。
 この言葉はいったい、どういう意味で残されたんだろう……。
「お姉ちゃん、ご飯できたって」