◼️プロローグ side志倉柚葵

 春は、光からやってくるらしい。
 昼間の時間が長くなり、太陽の光で空が明るくなる頃を、光の春と呼ぶのだと、美術部の顧問の先生が教えてくれた。
 眩い光の春がやってくると、やがて雪解けが始まり、今度は音の春が訪れる。雪が溶けて水になり、増水した川が勢いよく流れゆく音が聞こえると、自然は耳からも春の訪れを知らせてくれる。
 そうしてようやく気温が上昇し、気温の春が最後にやってきて、シャツ一枚でも丁度いいくらいの温かさになり、人は“春”を全身で感じるものなのだと。
 自分の目には、光や音や気温がどんな色で映るのか、それを考えて絵を描くことは楽しいよと、定年退職間近の顧問の先生はアドバイスしてくれた。
 春は光。その言葉を聞いて、私は真っ先にとある人物が浮かんで、その人が走る姿と、背景には桜の木を描くことを数日前に決めた。
 そうして美術室にひとり残り黙々とスケッチを続けていたら、とっくに十七時を過ぎていて、いつも帰りが遅い野球部ですら校庭にいないことに気づいた。
 まずい。すっかり集中し過ぎてしまった。
 今日は妹にグラタンを作ってあげる約束だったのに、絵に集中してしまうとあっという間に時間が過ぎていってしまう。
 慌てて道具を片付けて、イーゼルを端に寄せ、鞄の中に私物を詰め込むと、私は先生から預かっていた古い鍵で戸締りをした。
 この学校で、たったひとりの美術部員である私は、この前“美術室の亡霊”というあだ名をつけられていることを知った。
 そこそこの進学校であるこの高校は、テレビにも取材されるほど有名な吹奏楽部があり、文化部を望む生徒のほとんどはそっちに入る。
 運動部にも力を入れていて、とくに陸上部は一年でインターハイ優勝の生徒を昨年出し、しばらく記者の人が校庭に訪れているほど有名だ。
 居眠り常習犯のおじいちゃん先生が顧問の美術部は、部活に真面目な人にも、勉強に真面目な人にも視界に入らず、ほぼ廃部状態となったのだ。
 そういうわけで美術部の存在を知る生徒自体少なくなり、放課後美術室に現れる私は亡霊となった。
 たしかに、髪も無駄に長いし、顔も青白いし、最近まで保健室登校だったし、そのあだ名は的確すぎる。
 一度だけ、見知らぬ生徒に美術室を覗かれ、いつもここで何をしているのかを聞かれたことがあるが、私は何も答えなかった。