小豆は初めて訪れた日からほぼ毎日のように、『tear』に足を運んでいた。それは、帰り際に見かけた男性に会うためだった。
今日も窓際に座る彼は、文庫本のページをめくっている。
「お前、毎日ここで甘いもの食べていて、大丈夫か」
小豆の注文の品を聞いて、涙は言った。小豆は涙を睨む。
「……女の子にそういうこと言うの、よくないと思う」
「体形のことじゃなくて、栄養バランスのことを言ってんだよ。どうせ自炊してないんだろ」
小豆は答えない。わかりやすく涙から目を逸らしている。
「お菓子は作れるもん」
子供の言い訳に対し、涙は鼻で笑う。
「大翔が聞いたら泣くだろうな」
「そもそも、お兄ちゃんが悪いんだよ。危ないからって、私に包丁を持たせてくれなかったんだから」
大翔という名に反応して、小豆は言い訳のようなことを言った。涙はさらに笑っている。
小豆は笑われたことが気に入らず、拗ねたようにそっぽを向く。その視線の先には、あの彼がいる。
「やっぱりあの客となにかあったんだろ」
涙に声をかけられて前を見ると、アイスココアとチョコタルトが目の前に並べられていた。
「なにもないよ」
わかりやすい嘘をつきながら、フォークを手にする。
「好きなのか」
包み隠さず、ストレートに聞いた。タイミング悪くチョコタルトを口に含んでいたため、小豆はむせてココアで流し込む。
「図星だな」
「違うよ、好きとか、そんなんじゃ」
否定の言葉を並べるが、そうすればそうするほど怪しく思えてしまい、涙は不敵な笑みを見せる。
それを見て、小豆は否定するのを諦める。
「……最初の授業のとき、大学内で迷子になったの。地図見ても自分がどこにいるかわからないし、案内所みたいなところがどこにあるのかもわからなくて……授業開始時間が近付いてきてどうしようって困ってたら、大丈夫? どうしたの?って声をかけてくれたのが、あの人だったの」
涙は興味なさそうに相槌を打つ。普通なら真面目に聞いていないように感じるだろうが、長い付き合いということもあり、小豆は気にせず話を続ける。
「でも私、緊張してお礼も言えなくて。それなのに、優しい顔のまま、頑張ってって言ってくれて、素敵な人だなって」
涙には小豆が頬を紅潮させているように見えたが、それは言わなかった。
小豆はその話題が終わったと思い、またチョコタルトを食べる。
「じゃあ、小豆はお礼するタイミングを探していたのか」
それに対して、小さく首を傾げる。しかしすぐに涙の言いたい意味がわかった。
「うん、そう」
妙な間を作ってしまったため、涙はその返答を嘘だと思った。だが、それには触れようとはしなかった。
「ここに初めて来たときには知っていたってことは、もう一週間以上経ってるってことだよな。今さらお礼言うのか?」
小豆はフォークを下ろし、視線を落とす。
「やっぱり、今さら言われても迷惑だよね……」
涙は余計なことを言ってしまったと後悔するが、もう遅い。慌ててフォローの言葉を並べる。
「でもまあ、感謝されて嫌なやつなんていないし、思うようにやってみればいいんじゃないか?」
しかしその言葉はあまり小豆に響かなかった。小豆は黙々とチョコタルトを食べていく。
涙は戸惑いを見せながら、そっとしておくことにした。
「……ねえ、男の人って、甘いもの好き?」
コップまで空にしてから、涙に聞く。
「好きな人もいるとは思うけど」
小豆の質問に答えはするが、その意図までは見えていなかった。
小豆は小さな声でそっか、とこぼす。
「あのさ……あの人の好みって、わかったりする?」
言葉を細かく切っていくあたり、小豆はこの質問をすることに少なからず抵抗があるようだ。
しかしそれを聞いて、涙は小豆がしようとしていることを理解した。
「お礼にお菓子を渡したいってことか」
「ダメ、かな」
自分がしようとしていることに自信がないのが手に取るようにわかる。
「いや、いいと思う」
また否定すると、さっきと同じことになってしまうと思ったのか、今度はすぐに肯定した。わざとらしかったように感じたが、小豆は涙の反応に安心していたため、涙も胸をなでおろす。
「あの人がいつも頼むのはブレンド。ミルクとか砂糖を入れているのは、見たことないな。あと、たまにサンドウィッチとか軽食を頼むこともあるけど、スイーツ系を頼んできたことはない」
涙は安心して彼の味の好みを話す。
「ということは、甘いもの、苦手なのかな」
「そうなのかもな」
一番知りたかった情報が得られず、小豆は肩を落とす。
「るー君って、本当に人に興味ないよね。あの人の名前も知らないでしょ」
それは棘のある言い方で、まるで八つ当たりのようだった。涙はその言葉で顔を顰める。
「客の顔とコーヒーの好みさえわかっていれば十分。そんなに知りたいなら、自分で聞いてこい」
「できないから、るー君に聞いてるんでしょ」
「じゃあ文句言うな」
涙は冷たく言い、小豆は涙を睨みつける。本当の兄妹喧嘩のように見えるほど、テンポがよかった。
「そんな意地悪だから、彼女にフラれたんじゃないの」
小豆の気は収まらず、不服そうにしながら言い続ける。しかし涙はそれには反応せず、聞き流した。
その態度は、余計に小豆を苛立たせた。
「ごちそうさま」
冷たい態度を見せる涙にこれ以上なにを言っても無駄だとわかっているから、小豆はそう言い捨てて店を出た。