真宵がぎりぎり通れるほどの狭い通路。

 大きく回って御殿の入口まで行くと軽く十五分はかかるが、ここを抜けるとせいぜい二分ほどで敷地内に入ることが出来る。

 この十九年で、白火と地道に掘り上げたものだ。

 まさかこんな夜中に、息をひそめて使うことになるとは考えてもみなかったが。

 寝間着が汚れるのも構わず、這いずるように茂みの中を突き進む。

 ようやく穴から抜け出せば、そこは既に御殿の左奥部だ。

『ほぉら、こっちだ。こっち。真宵こっちだよ』

 声は途切れない。

 近づけば近づくほど鮮明さを増して、頭の中へ響いてくる。

 真宵はよろよろと立ち上がり、サンダルを脱ぎ捨てながら勾欄を乗り越え、簀子縁へと上がった。服についた土が歩く度に床に落ちるが、生憎気にする余裕はない。

 ──この天照御殿は、いわゆる寝殿造を模した構造だ。

 寝殿造とは、人の暦で平安時代に主流となった建築様式のことである。

 高天原では、当時その様式を気に入った位の高い神々が、人の技術を模倣し、見よう見まねで自らの住処に取り入れたことから広まったらしい。

 現在の高天原は日ノ本伝来の多くの建築様式が混在しているが、大神は寝殿造の御殿住まいが多い印象がある。もっとも、一部例外もいるけれど。

 天照御殿が寝殿造を取り入れたのは、まあおそらく、通な天利の気まぐれだろう。

 諸所に異なる部分はあれど、中心部の寝殿を囲んで東西北には対の屋という、一般的な寝殿造に倣った造りだ。

 その後千年弱この住まいを変えずにいるのは、この仕切られた空間が、思いのほか暮らしやすかったのかもしれない。