翡翠が唸るように眉間を揉む。
確かにそうなのかもしれない。
けれど人が思っているほど神は万能ではなく、人の想いなくして生きられない脆い存在だ。
ゆえに神々の間にもそれなりの秩序は存在するし、当然、罪を犯せば罰を受けなければならない。それが道理で、世界の理だから。
そして冴霧は、己に課せられた使命を特別視したことは一度もなかった。
まして自分だけ例外などと都合の良い考えは持ち合わせていないし、冴霧だからこそ許されるこの仕事も、冴霧にとっては変えようもなく『罪』である。
髪が黒く染まるのも、世界がそれを『罪』だと判断したためだろう。
よっていくら最高神が認めても──たとえどんなに理不尽なことであっても、いつかは償わなければならない時はくる。
そんなこと初めからわかっていた。
相応の覚悟だってしていた。
真宵に出逢う前までは、その現実が辛いと考えたこともなかった。
「真宵にはわりぃが、俺にも俺の使命があるからな。抗えねえんだ」
「……まさか本気で言っているわけではあるまいな?」
「本気だよ。俺はあいつが生きてさえいてくれればいい。たとえ俺が消えたとしても、生きてりゃ幸せになる道はいくらでもある。辛いのも悲しいのも一瞬だろ」
時の流れは傷を癒す。
どんなに大きな傷でも、そのままの形で残ることはない。
やがては小さく、薄くなり、思い出の彼方へ消えゆくものだ。
自分が消えることで本当の意味で真宵を守れるのなら、この選択も後悔することはないだろう。
(……人だろうが、妖だろうが、生きてて傷つかねえ奴なんかいねえんだ。失うことを恐れちまったら、先に進むことは愚か、本当に大切なもんすら見失いかねないからな)
「だがそれは、彼女が望んだ幸せではないだろう」
「っ……あ?」
「自らを犠牲に大切な者を守ったところで、所詮は自己満足でしかない。残される者の傷は、どんなに小さくなっても完全に癒えることはないんだ。それが愛するものならばなおのこと、ともすれば呪いとなって存在を蝕む羽目になるぞ」
……なるほど。
どうやらこの優男は冴霧を逃がすつもりはないらしい。
よろず屋らしいお節介とでも言うべきか。
いい加減に解放してはくれまいかと思うものの、この最果ての地で追い返すのも、なけなしの良心が痛む。
再び立ち止まって振り返れば、翡翠は苛立ったように冴霧を睨みつけてきた。
「他人の幸せなどたとえ神でも図れやしない。彼女が望んだ幸せは、彼女が求めている幸せは、おまえが死んだらもう二度と手に入らないものだ。消えたものは二度と戻らない。──それは、おまえが誰よりも理解しているんじゃないのか?」
「……なら、どうすりゃいいんだよ?」
冴霧もまた双眸を細めて、翡翠を睨み返す。