すると、ポケットから一緒にハリネズミのストラップが落ちたことに気付き、私は慌ててそれを拾った。
「かわいいね」
「あ……ありがと」
「1年のときから思ってたけど、荘原さん、いつもそれポケットに入れてるよね? かなり気に入ってるか、お守り的な何かかなーって思ってたんだけど」
 気付かれていたんだ、と内心焦りながらも、
「あぁ、うん、そう。小さい頃から持ってる、お守りなんだよね」
 と答える。
「へー、何のご利益があるの?」
「えーと……心を落ち着かせてくれる、的な?」
「そうなんだー。もしかして名前とかあるの?」
「ハリネズミだから、ハリッチ。なんか幼稚でしょ?」
「ううん、名前もかわいいね」
たいして盛り上がりもしない話題は、その後一緒にカゴを運びながら、すぐにバスケ話へと移った。けれど、私はまだソワソワした気持ちが抜けなかった。
 心を落ち着かせてくれるお守り、そのことに嘘はない。けれど、私にとっては、逆にそれがないと落ち着かないものになっていた。緊張したときや恥ずかしいときや怖いとき、そういう動揺して心が乱れてしまっているときに、このハリッチが手元にないと、子どもみたいに泣きだしてしまいそうになる。
 そもそもは、手術前によく発作が出ていたときに、落ち着くおまじないとして、お母さんが買ってきてくれたものだ。
『このハリッチが、澪佳の苦しいのを全部取っ払ってくれるからね』
 幼稚園の年長さんのときにそう言われて以降、お守りとして、心の拠り所として、肌身離さず持っていた。フェルトの柔らかいトゲが手に気持ちよく、ニギニギするのが癖になり、汚しては洗濯し、ほつれては縫ってもらっていた。
 手術が終わってからも、手放せなかった。なぜなら、その後も原因不明の発作が起こるたび、それを握って心を落ち着かせていたからだ。中学校に上がってからは、お母さんにほつれを直してもらうのがはばかられて自分で縫うようになり、裁縫もそれで興味を持つようになった。
 この歳になったまで、こんな子供じみたものに依存しているなんて、自分でもどうかしているとわかっている。しかも、発作だけじゃなく、あらゆる場面でそれに頼っていることが、なんとも情けなく思ってしまう。根津さんに聞かれてうろたえてしまったのも、そのためだ。
……でも、やっぱり、ないと心許なくなるのだ。



「おつかれ、荘原!」