「唯人は俺の異母弟だ」


 翌朝、学校を休んだ花彌子は神須屋と向かい合っていた。場所は神須屋の指定した、繁華街の隅にある喫茶店だ。明らかに堅気ではない神須屋が入っていっても、顎の下で髪を切り揃えたウエイトレスは、眉ひとつ動かさず奥まった席に案内してくれた。


「俺が二歳のときにお袋とクソジジイが別れて、そのあとクソジジイは唯人の母親と再婚したらしい。この目の色はクソジジイ譲りだよ」


 神須屋はコーヒーを飲みながら、短い語りの間に三度もクソジジイを挟んで話した。彼は今日も今日とて全身黒の装いだ。その分、明るい色の瞳が際立つ。


 花彌子は湯気を立てるココアのカップを両手で包んだ。まだ熱く、とても飲めそうにない。


「神須屋さんのこと、唯人くんは知っていたんですか」

「知らなかったはずだ。俺はときどき様子を見に行ったがバレねえようにしていたし、唯人の両親がわざわざ俺のことを教えるとも思えねえ。この稼業だしな」


 確かに、花彌子も唯人から異母兄の話を聞いたことはない。


「神須屋さんってお仕事は何されてるんですか」


 神須屋は目を瞬いた。その瞳がふっと翳って、昏い笑みが唇を歪める。


「人を脅すこと、恐怖を与えること、暴力を振るうこと」


 昨夜の出来事からして察してはいたが、ヤクザ者らしい。花彌子の住む街の近くに事務所があるというのはもっぱらの噂だった。この繁華街もいわゆるシマの一部だとか。


「だからこそ、唯人を見たときは笑っちまったよ。どこにでもいるようなガキで、平凡で、普通で……ちょっかい出すのも馬鹿らしいくらいにな」


 ふ、とその顔に柔らかな笑みが浮かぶ。そこにいるのはただの弟を想う兄だった。一人っ子の花彌子が初めて見る生き物だ。けれど、唯人を想う気持ちだけはよく理解できた。


「……そうですね。ええ。本当に、どこにでもいる、善良で、凡庸な、ありふれたただの人でした」


 一言一言、噛み締めるように言って目を閉じる。唯人との記憶をさらっても、ドラマティックな悲劇も、刺激的なロマンスも思い浮かばない。ただ隣の席で、仲の良いクラスメイトとして日常を過ごしただけ。


 それでも、たったそれだけのことが花彌子の心に恋の根を張った。


「で、わざわざ呼び出したんですから、それだけじゃないでしょう。何か事件に関する情報があるんじゃないですか?」


 花彌子は瞼を上げて神須屋を見返した。感傷に浸るのはあと。今はこの男からできるだけ情報を吸い上げなければならない。


 彼女の様子に、神須屋は半目になった。


「なんだその反応、切り替え早いな。大体、俺を前にしてんだからもっとちゃんと怖がれ」

「なんか吹っ切れちゃいましてね」


 花彌子はぬるくなったカップを口に運び、優雅に足を組んだ。


 今日の彼女は相変わらずの丸眼鏡に、長い黒髪を三つ編みにしている。服装は、制服で身元が特定されるのを嫌ったため私服だ。


 しかし、彼女は昨日までとは別人に見えた。おどおどした仕草も、俯きがちな顔も、困り眉の表情も封印され、音を立てない滑らかな動作に、堂々と前を向いた勝気な表情に取って変わられていた。


 神須屋が頬杖をついて花彌子の顔を指差す。


「そのメガネ、スペアあったんだな。昨日俺がぶっ壊したから」

「ああ、これですか。どうせ伊達眼鏡ですし、お気になさらず」

「伊達なのか。何でそんなだせぇメガネかけてんだよ」

「三つ編みには丸眼鏡、常識(テンプレ)でしょう。おかげでおとなしい優等生に見えるので楽なんですよ。ブルーライトカットもできて一石二鳥ですし」


 彼女の説明に、神須屋は呆れたように息を吐いた。


「……変な奴」

「それはどうも」


 晴れやかに笑い、それから笑顔を引っ込めて神須屋の顔を覗き込む。彼も居住まいを正し、シャツのポケットからメモ帳を引っ張り出した。


「唯人が死んだのは一昨日の──一月十七日の午後七時から午後九時の間。死因は縄で頸部を絞められたことによる窒息死。首を吊った状態で発見されたこと、現場に遺書があったことから警察は自殺として捜査している。自殺の原因としては、同学校の三年生、黒川鷹臣とトラブルがあったことが判明しているらしい。直近では一月十日に黒川と唯人が喧嘩しているのを複数の同級生が目撃。その際に黒川はかなりキツい言葉で唯人を責めていたらしい。なあ、この黒川ってヤツをシメに行こうぜ」


「念のため確認しますが、その情報はどこから出てきたものです?」


 神須屋はメモ帳から顔を上げ、ニヤリと笑った。


「警察にも、俺と仲良くしてくれるやつはいるんだよ」

「ちゃんと根拠があるなら良いんです」


 花彌子はひらひらと手を振った。


「十七日の午後八時十五分に、唯人くんから私宛にメールが送られています。だから、実際に彼が亡くなったのはそれ以降、ということになりますね。そういえば、夜は学校の警備システムが作動して入れなくなったような記憶があります」

「それも聞いた。……ああ、これだ。夜の八時から翌朝の五時までは赤外線による警備システムが作動し、裏門にある警備室で手続きをしないと学校には出入りできないんだとよ。ちなみに、十七日の午後八時以降に警備室を通った人間はゼロ」

「なら、唯人くんと犯人は十七日の日中からずっと学校にいたと考えるのが自然ですね。問題は、唯人くんを殺害したあと、どうやって犯人が学校外に出たか、ですが」

「それもあって、警察は自殺説を推しているらしいな」


 神須屋が鼻を鳴らす。花彌子は首を横に振った。


「私が言い出したことですが、別に犯人は一晩中学校にいたって良いわけですからね。犯行に使ったものの処分には困るでしょうが、血が出る殺し方でもないですし。そのために絞殺を選んだのかもしれません」


 呟いて、ココアを一口飲む。


「遺書の他には何もないんですか? スマホのメモとか」

「特に何もなし」

「では、黒川のアリバイは?」

「一月十七日の放課後からは特になし。本人は一人で街をぶらついていたというが、訪れた店は覚えていないらしく証明できるものはなし、だってよ」

「そうですか……。最後に唯人くんと会った人間は?」

「あー、須川っていう担任教師らしい。生徒会室で十八時頃に二人で進路の話をしたとか。と言っても五分ほどで、すぐに別れたらしい。あと、二十時過ぎには学校から三十分ほど離れた友人の家で飲み会をしていた」

「ふむ」


 花彌子は腕を組み、首をひねった。


「もう片付けられているでしょうが、現場を見たいですね。唯人くんの持ち物も」

「もう話は付けてきた。十一時から十五分くらい見れるぜ」


 花彌子は目を瞬かせる。神須屋は何でもないような顔でメモ帳をポケットにしまっていた。


「ずいぶん手回しが良いですね」

「組織の中で出世するコツは、予測と先回りだ。職種にかかわらずな」

「なるほど、ためになりますね」


 花彌子はココアを飲み干し、素早くテーブルの下に潜り込む。
 次の瞬間、喫茶店に武器を手にした男たちが押し入り、神須屋めがけて襲いかかってきた。