「その事件がどうかしたんですか?」

 稜があまりに熱心に読んでいるから、気にならずにはいられなかった。

「……俺、この事件の犯人を捕まえるために刑事になったんです」

 資料に目を通しながら、赤城の質問に答える。すると、横から大きなため息が聞こえてきた。

「……出た、誰かのため」

 里津の言葉には棘があった。数時間前にも似たようなことがあったことから、余計に嫌な言い方をした。

「どうしてその事件を解決したいのか、聞いても構いませんか?」

 赤城は里津の言葉を無視し、質問を投げた。

 それは資料を読みながら話せることではなく、稜は資料ファイルを閉じる。伏せられた目はとても切なさを含んでいた。

「俺、このとき子供だった女の子と幼馴染なんです。昔は相当閉じこもっていたんですけど、今では叔父の喫茶店を手伝ったり、自分から買い物に行ったりって、結構前を向いてくれるようになったんです。でも彼女、十五年経った今でも話すことができなくて……それって、まだ事件のことを引きずってるからなんじゃないかって思ったんです。だから、この事件の犯人を捕まえることができたら、彼女が乗り越えられるんじゃないかと……だから俺、彼女のためになんとしてでも、この事件を解決したいんです」

 話しながら怜南が好きだと告白しているような気がしてきて、恥ずかしくなった稜は、二人の目を見ることができなかった。

「それ、その子は望んでるの?」

 稜の話を聞いて、先に反応したのは里津だった。呆れた表情を浮かべている。

「え……」

 稜はからかわれると思っていたため、本気で戸惑った。

 里津の目はいつになく鋭い。

「彼女は、あんたに親を殺した犯人を捕まえてほしいって言ったの?って聞いてるの」
「いえ……」

 怜南がそんなことを言ってきたことは、一度もない。それどころか、両親が殺されたという事件に触れようともしない。

 稜は怜南が嫌がることはしないと決めているため、稜から事件の話題を出したことはなかった。まして、このまま犯人が捕まらないままでいいのか、逮捕してほしいのか、という質問もしたことがなかった。

「だったら、犯人を捕まえたいっていうのは、君のやりたいことだよね。彼女のためとか言いながら、本当は自分のため。君のために犯人を捕まえた僕、かっこいいでしょ?って感じ?」

 その言い方は稜をバカにしているようだった。

 それに対して、長い時間を一緒に過ごしているのだから、怜南が望んでいることは言われなくてもわかる、とは言えなかった。里津の言っていることも一理あると思ってしまった。

 黙り込んだ稜を見て、里津は鼻で笑った。

「思考力の足りない葉宮君には、彼女が犯人を捕まえてほしくないかもしれないとか、考えられなかったんだね。犯人捕まったところで親が帰ってくるわけじゃないし、自分の生活が変わるわけでもない。彼女が犯人逮捕を望んでいないかもしれない、とは思わなかったんだ?」

 とにかくバカにされていることはわかるのに、どう言い返せばいいのかわからなかった。何より、今何を言っても、返り討ちにされるような気がした。

「遺族がみんな、事件を解決してほしいと思ってると、思わないほうがいい。事件のことを忘れてしまいたい人だっている」
「……木崎さんは」

 ようやく反撃に出た稜の声は、小さかった。だけど、里津は黙って稜の言葉を待つ。

「木崎さんは、ここにある未解決事件をすべて解決しようとしているんですよね。それって、今木崎さんが言ったことと矛盾してませんか」
「してない」

 言い切られると思っていなかったため、稜は言葉を失う。

 里津の言う通り、事件のことを忘れて生きていきたい人がいるかもしれないということは認める。

 だが、里津のやろうとしていることは、そのような人たちの気持ちを無視した行為だ。稜は、自分の主張は間違っていないと思っていたから、余計に里津の言っていること、やろうとしていることが理解できなかった。

「私が未解決事件をゼロにしたいのは遺族のためじゃない。罪を犯したくせに、罪を償わずに社会でのうのうと生きてるクズを一人でも多く刑務所に入れるためだから。事件を忘れたいとか、そんなの知らない」

 聞いてみれば、里津のほうが自分勝手だった。しかしその思いの強さは確かで、稜が言えることは何もなかった。

「里津さん、言葉遣いに気を付けなさいって注意したばかりでしょう」

 稜が木崎里津という人を理解できないでいたら、赤城がそんなことを言った。また赤城に注意され、里津は舌を出して反抗してみせる。赤城は厳しい表情を見せる。

「次同じことで注意するようなことがあれば、ここへの出入りを禁止にします。情報も教えません」
「ごめんなさい」

 里津は間髪入れずに謝った。稜は、反省しようと思えばできるのか、なんて思いながら赤城に謝る里津を見る。

「信じられません」
「え、嘘、待って、本気で反省してるから、ね、意地悪言わないでよ」

 赤城が疑いの目を向けると、里津はさらに必死になった。それは悪いことをして親に宝物でも没収されてしまった子供のようだ。

 しかしそんなことよりも、赤城の発言の中に気になるものがあった。

「あの、情報ってなんですか?」

 稜が質問すると、赤城は里津が謝っているにも関わらず、稜に答える。

「未解決事件解決の情報がここに入ってくるのですが、それを里津さんにも教えているんです」
「そうなんですね……あの……俺も情報を教えてもらうことってできますか?」

 里津に教えているのなら、自分も教えてもらえるのではないかと思い、そう提案した。

 しかし怜南の両親を殺した犯人を捕まえようとすることは自分勝手な行為だと里津に言われ、少なからず抵抗があった。その証拠に、今の稜の声は小さい。

「さっきの事件の情報ですね。もちろんできますよ」

 里津に向けていた冷たい笑顔が嘘のように、赤城は優しく笑った。その反応に、稜は酷く安心した。

「ありがとうございます」

 そして稜のスマホに赤城の連絡先が登録された。