5
歩かなければいけないとわかっていても、どうしても気持ちが先走ってしまうせいで、歩くスピードが上がってしまう。
気付けば目的は里津を探すということから、怜南の両親を殺した事件について聞きたいにすり替わっていた。
次第に人とすれ違わなくなる。未解決事件情報管理室は、廊下の突き当りにある、まるで物置部屋のような位置だった。
「じゃあ何も進展がなかったら、この事件はお蔵入り?」
到着するとドアが開いていて、里津の声が聞こえてきた。
その声は真剣そのもので、稜はなぜか中に入るのを躊躇った。
「時効まで約一か月、今のところ新しい情報提供もありません。そうなるのもやむを得ないでしょう」
里津と話しているのは男のようだ。稜は声の印象から、とても落ち着いている人を想像する。
「最近、お蔵入り多いですよね」
里津がため息交じりに言う。
「捜査の手が足りていないのと、情報を提供してくれる人が少なくなったことが原因でしょうね」
対して男は冷静に分析している。ときどきキーボードを叩く音が聞こえてくる。ただ里津と話しているだけではないようだ。
稜は完全に入るタイミングを逃し、出入口付近で里津たちの会話を盗み聞く形になっていた。
「市民は増え続けてるのに、なんで目撃情報とかがないんだと思います? それに街中は監視カメラだらけなのに」
「防犯対策をしているところが増えていますから、犯人も慎重になって罪を犯しているのかもしれません」
「人目を避けて、か……本当、クズって悪知恵だけはよく働く」
「里津さん、言葉には気を付けなさい」
「あの!」
次第に盗み聞きしていることに耐えられなくなり、稜は思い切って部屋に入った。
里津は長机に資料を広げたままコーヒーを飲んでいて、里津の会話の相手は自分の作業机でパソコンと向き合っていた。二人そろって驚いた顔をして稜を見ている。しかし里津はすぐに稜に鋭い視線を向けた。
「なんでここにいるの」
「若瀬さんがここにいるだろうって教えてくれました」
それを聞くと、里津は思いっきり顔を顰めた。稜は里津を探していた理由を言っていないが、その理由は容易に想像できたのだ。
「そうやってあからさまに嫌そうな顔をするのは、里津さんの悪い癖ですよ」
稜が来たからか、男は仕事を中断させた。右手で眼鏡を上げるさまは板についていて、稜は同性ながらときめいてしまいそうになる。
「……はーい」
男に注意されて、里津はしぶしぶ返事をする。
あの里津が人の言うことを聞いているこの状況が信じられなくて、稜は男を凝視した。
「どうかされましたか?」
稜の視線に気付いた男は優しく微笑んだ。声を聞いたときに思った通り、落ち着いた人だ。
「いえ……木崎さんと、どういう関係なのかと思って」
何もないと誤魔化そうとしたが、それを聞かずにはいられなかった。
「ただの仕事仲間ですよ」
その返答は妙に納得がいかなかった。
ただの仕事仲間であれば、里津が敬語を使うことも、おとなしく言うことを聞くこともないはずだ。きっと、彼には何かある。
稜はそう思ったが、次の質問が思い浮かばなかった。
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。赤城と申します」
稜が何を言おうか迷っていたら、男が名乗った。
「葉宮です」
稜は緊張した面持ちで、赤城につられるように名前を言う。
「葉宮さん……ああ、今日一課に配属された葉宮稜さんですね」
「……使えないバディ」
稜が赤城の言葉に驚いていたら、里津がそれに付け加えるように、小声で言った。
「里津さん」
厳しい声で名前を言われ、里津は子供のようにそっぽを向いた。
「里津さんとバディだなんて、大変でしょう?」
肯定の言葉を言いそうになったが、ぐっと堪える。かといって否定もできず、稜は作り笑いを見せた。
それから聞きたいことがあったことを思い出した。
「あの……ここで未解決事件の資料を管理していると聞いたんですけど……」
「はい、そうですよ」
「その……十五年くらい前の事件もありますか?」
ないと言われるのが怖くて、稜の声は小さかった。しかし稜から提示された情報が少なく、赤城は首をひねる。
「事件の内容にもよりますが……どんな事件ですか?」
「夫婦が刺殺された事件です。あとは……そう、当時五歳の子供が声を失ったっていう」
それだけを聞いて、思い当たる節があるのか、赤城は大量の資料が置かれた部屋の奥に入っていった。
もっと根掘り葉掘り聞かれると思っていた稜は、目を丸める。
「もしかして赤城さんって、ここにある事件、全部覚えてるんです?」
稜が頼んだ資料を探す背中を見つめながら、つまらなそうにしている里津に聞く。
「赤城さんはほぼ一人でここにある捜査資料の整理、管理をしてるから、どこに何の捜査資料があるかはだいたい把握してる。あと、いつ発生したのかとか、時効はいつなのかとかも」
人間離れした情報に、稜は頭が追い付かない。だが、どうして里津が赤城に敬語を使っているのかは、なんとなくわかった。
未解決事件の発生日と時効、そして内容まで把握しているなんて、尊敬する以外にない。
「自分の仕事をこなしているだけですよ」
赤城はファイルを手に戻ってきた。狭い部屋だから当然だろうが、稜たちの会話が聞こえていたようだ。
しかしいくら真面目に仕事をしていても、一人でほぼ把握することなど、普通はできない。
それを当たり前だと言い切った赤城を、稜はかっこいいと思った。
「それで、さっき言っていた事件というのは、これで合っていますか?」
赤城は稜に資料を渡す。開いてみると、それは確かに怜南の両親が殺された事件の捜査資料だった。
稜はお礼を言うのも忘れて、資料を読むのに集中する。
歩かなければいけないとわかっていても、どうしても気持ちが先走ってしまうせいで、歩くスピードが上がってしまう。
気付けば目的は里津を探すということから、怜南の両親を殺した事件について聞きたいにすり替わっていた。
次第に人とすれ違わなくなる。未解決事件情報管理室は、廊下の突き当りにある、まるで物置部屋のような位置だった。
「じゃあ何も進展がなかったら、この事件はお蔵入り?」
到着するとドアが開いていて、里津の声が聞こえてきた。
その声は真剣そのもので、稜はなぜか中に入るのを躊躇った。
「時効まで約一か月、今のところ新しい情報提供もありません。そうなるのもやむを得ないでしょう」
里津と話しているのは男のようだ。稜は声の印象から、とても落ち着いている人を想像する。
「最近、お蔵入り多いですよね」
里津がため息交じりに言う。
「捜査の手が足りていないのと、情報を提供してくれる人が少なくなったことが原因でしょうね」
対して男は冷静に分析している。ときどきキーボードを叩く音が聞こえてくる。ただ里津と話しているだけではないようだ。
稜は完全に入るタイミングを逃し、出入口付近で里津たちの会話を盗み聞く形になっていた。
「市民は増え続けてるのに、なんで目撃情報とかがないんだと思います? それに街中は監視カメラだらけなのに」
「防犯対策をしているところが増えていますから、犯人も慎重になって罪を犯しているのかもしれません」
「人目を避けて、か……本当、クズって悪知恵だけはよく働く」
「里津さん、言葉には気を付けなさい」
「あの!」
次第に盗み聞きしていることに耐えられなくなり、稜は思い切って部屋に入った。
里津は長机に資料を広げたままコーヒーを飲んでいて、里津の会話の相手は自分の作業机でパソコンと向き合っていた。二人そろって驚いた顔をして稜を見ている。しかし里津はすぐに稜に鋭い視線を向けた。
「なんでここにいるの」
「若瀬さんがここにいるだろうって教えてくれました」
それを聞くと、里津は思いっきり顔を顰めた。稜は里津を探していた理由を言っていないが、その理由は容易に想像できたのだ。
「そうやってあからさまに嫌そうな顔をするのは、里津さんの悪い癖ですよ」
稜が来たからか、男は仕事を中断させた。右手で眼鏡を上げるさまは板についていて、稜は同性ながらときめいてしまいそうになる。
「……はーい」
男に注意されて、里津はしぶしぶ返事をする。
あの里津が人の言うことを聞いているこの状況が信じられなくて、稜は男を凝視した。
「どうかされましたか?」
稜の視線に気付いた男は優しく微笑んだ。声を聞いたときに思った通り、落ち着いた人だ。
「いえ……木崎さんと、どういう関係なのかと思って」
何もないと誤魔化そうとしたが、それを聞かずにはいられなかった。
「ただの仕事仲間ですよ」
その返答は妙に納得がいかなかった。
ただの仕事仲間であれば、里津が敬語を使うことも、おとなしく言うことを聞くこともないはずだ。きっと、彼には何かある。
稜はそう思ったが、次の質問が思い浮かばなかった。
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。赤城と申します」
稜が何を言おうか迷っていたら、男が名乗った。
「葉宮です」
稜は緊張した面持ちで、赤城につられるように名前を言う。
「葉宮さん……ああ、今日一課に配属された葉宮稜さんですね」
「……使えないバディ」
稜が赤城の言葉に驚いていたら、里津がそれに付け加えるように、小声で言った。
「里津さん」
厳しい声で名前を言われ、里津は子供のようにそっぽを向いた。
「里津さんとバディだなんて、大変でしょう?」
肯定の言葉を言いそうになったが、ぐっと堪える。かといって否定もできず、稜は作り笑いを見せた。
それから聞きたいことがあったことを思い出した。
「あの……ここで未解決事件の資料を管理していると聞いたんですけど……」
「はい、そうですよ」
「その……十五年くらい前の事件もありますか?」
ないと言われるのが怖くて、稜の声は小さかった。しかし稜から提示された情報が少なく、赤城は首をひねる。
「事件の内容にもよりますが……どんな事件ですか?」
「夫婦が刺殺された事件です。あとは……そう、当時五歳の子供が声を失ったっていう」
それだけを聞いて、思い当たる節があるのか、赤城は大量の資料が置かれた部屋の奥に入っていった。
もっと根掘り葉掘り聞かれると思っていた稜は、目を丸める。
「もしかして赤城さんって、ここにある事件、全部覚えてるんです?」
稜が頼んだ資料を探す背中を見つめながら、つまらなそうにしている里津に聞く。
「赤城さんはほぼ一人でここにある捜査資料の整理、管理をしてるから、どこに何の捜査資料があるかはだいたい把握してる。あと、いつ発生したのかとか、時効はいつなのかとかも」
人間離れした情報に、稜は頭が追い付かない。だが、どうして里津が赤城に敬語を使っているのかは、なんとなくわかった。
未解決事件の発生日と時効、そして内容まで把握しているなんて、尊敬する以外にない。
「自分の仕事をこなしているだけですよ」
赤城はファイルを手に戻ってきた。狭い部屋だから当然だろうが、稜たちの会話が聞こえていたようだ。
しかしいくら真面目に仕事をしていても、一人でほぼ把握することなど、普通はできない。
それを当たり前だと言い切った赤城を、稜はかっこいいと思った。
「それで、さっき言っていた事件というのは、これで合っていますか?」
赤城は稜に資料を渡す。開いてみると、それは確かに怜南の両親が殺された事件の捜査資料だった。
稜はお礼を言うのも忘れて、資料を読むのに集中する。