若瀬が早く解決したいと言ったことから、里津はわざと時間がかかるという言葉を選んだ。若瀬はその嫌がらせにすぐ気付いた。

「お前は本当……嫌な奴だなあ」

 若瀬は苦笑しているが、里津は満足げに笑う。

「知ってる」
「……なんでそんな楽しそうに笑うのか、俺にはわからない」

 しかし会話に飽きたのか、若瀬の理解できないという表情を無視し、里津は部屋を見ていた。その表情は真剣そのものだ。

 しっかりと開けられたカーテンと窓、写真が飾られたコルクボード、円柱型の貯金箱、出しっぱなしの野菜。犯人と争った形跡は見られない。

 この家にどれだけ刃物があるのかは知らないが、まな板の上に置かれている包丁しかないのだとすれば、使われた凶器は犯人が自分で用意したのだろうか。だとすれば、計画的犯行とも考えられる。

 などというように、隅から隅まで、見落とさないように注意深く見て、気付いたことを頭の中で整理していく。

 若瀬は里津の表情の変化から里津にスイッチが入ったことに気付いた。

「じゃあ葉宮、あとは木崎についておくだけでいいから」
「え、でも、木崎さんって仕事をしない人なんじゃ……」
「まあそうなんだけど……もう、大丈夫だよ」

 どうして若瀬がそれほど里津を信頼しているのか、稜にはまったくもってわからなかった。

「でも木崎さん、ずっと部屋を見てるだけなんですけど……」

 稜は里津に任せていいようには思えなかった。

「大丈夫、大丈夫。あいつの同期である俺の言葉を信じろって」

 そう言われて、稜は今朝の若瀬の言葉を思い出した。

『いつ話しかけても迷惑そうな顔するよ、あいつは』

 まさにその通りだった。

 里津のことについての若瀬の言葉は信じてもいいのかもしれないと思った。

「……わかりました」

 稜の返事を聞くと、若瀬は稜の肩を数回叩いて現場を離れた。

 若瀬がいなくなっても里津は変わらず動こうとせず、まだ部屋の中を見ている。

 稜はそんなに熱心に見るものがあるとは思えなくて、里津が何をしているのかわからなかった。

「木崎さん、行かなくてもいいんですか?」
「うん……もうちょっと」

 聞き込みに行こうとしない里津を見て、どんどんストレスが溜まっていく。

 稜は里津の体の向きを変えて背中を押し、力づくで動かそうとする。だが、まだ室内を見ていたい里津は、抵抗するように稜の手に体重をかける。

 稜はそれを、仕事をしたくないから抵抗しているのだと受け取り、里津を軽蔑するような目で見た。文句も言いたかったが、今言い始めてしまうと止まらないような気がして、堪える。

 男と女であれば、たいてい男のほうが力が強い。次第に里津は稜に押され、事件現場となった部屋の隣に連れていかれた。

 並んでドアの前に立つと、里津のスマートフォンが鳴った。それはメールが届いたことを知らせるもので、里津は上着のポケットからスマートフォンを取り出し、内容を確認し始める。

 本当はこうしてメールを見ることも注意したかったが、今はとにかく我慢だと自分に言い聞かせ、稜は見なかったことにした。

「……じゃあ葉宮君、聞き込み頑張ってネ」

 里津はスマートフォンをポケットに戻す。

 どうしてこうも人を苛つかせることができるのかと、一周回って尊敬すらする。

 稜は大きく息を吸い込み、吐き出す。しかしこれくらいでこの苛立ちが収まってくれるのなら苦労はしない。事件が解決して署に戻れば、言いたいことをすべて言ってやとうと心に決めた。

「……言いたいことがあるなら、はっきり言ったら? ケンカなら買うけど」

 里津は稜の顔を見上げている。

「……売ってません」

 むしろ売っているのはあなたのほうではないか、と心の中で続ける。

 とにかく不服そうな稜を、里津は鼻で笑う。

「刑事なら、思ってることを悟られないようにする演技力くらい身に付ければ? てか、目は口ほどにものを言うって言葉、知ってる?」

 稜はやる気のない里津に上から言われることが納得いかなくて、言われたばかりなのに、不満を顔に出した。

 しかし里津とくだらない会話をするよりも、事件を解決させるほうが先だと判断し、咳払いをして気持ちを切り替える。

「聞き込み、木崎さんもしてくださいね」
「断る。私、用事できたし」

 即答だった。

 里津の言う用事というのは、今届いたメールが関係しているのだろうか。

「……仕事よりも大事なことなんてないだろ」

 ついに稜は思っていたことをそのまま言ってしまった。

 すると、里津が仕方ないと言わんばかりにため息をついた。

 なぜ里津が呆れたようにため息をつくのか、稜にはまったく理解できない。ため息をつきたいのは、自分のほうだと思った。