若瀬に質問をしながら里津の仕事をこなして昼食を終えると、事件発生の連絡が来た。

 先輩刑事たちが現場に向かう中、稜は里津を探していた。

「木崎さん!」

 稜が呼び止めると、前を歩いていた里津は足を止めた。

「……何」

 里津は迷惑そうに顔を顰めているが、稜は引かない。

「殺人事件が発生したそうです。行きましょう」

 そう伝えると、次は不思議そうにする。

「どうして?」

 稜は言い返したくなったが、それを飲み込む。

「いいから行きますよ!」

 そして嫌がる里津を引っ張って、現場に急いだ。


 現場は二階建ての古いアパートの一室だった。場所は一階の一番左の部屋のようだ。

 少し離れたところで手帳を持った若瀬と、白いシャツに水色のロングスカートと、落ち着いた服装をした女性が話している。

 稜は部屋の前で現場に入る準備をしながら、聞き耳を立てる。

「……十二時くらいまで寝てて……目が覚めてキッチンに行ったら、彼が血を流して倒れてて……」

 彼女は泣きながら遺体発見当時の状況を話す。

 親しい仲である人の遺体を発見し、混乱しているというのに、思い出させながら話を聞くなど酷なことだと思いながら、稜は現場に足を踏み入れる。

 室内はとてもシンプルで、物も少なかった。そのため、部屋は綺麗にしてあるように見える。三段ボックスの上にあるコルクボードには、さっきの彼女と男が笑顔で写っている写真が数枚貼ってあり、それぞれの角には吹き出しの形に切り取られた紙が貼りつけられている。

『京都旅行』
『お花見』
『付き合って三年目』

 どうやらそれはその写真がいつ撮られたものなのかを示しているようだ。

 彼女と被害者の間でトラブルがあり、発生した事件とは考えにくいほど、仲がいいように見えた。

 それから目を逸らすと、稜は鑑識に声をかける。

「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
「どんな状況ですか?」

 初めての現場にしては、稜は落ち着いて質問をした。

「背中を一刺しの出血性ショック死。死亡推定時刻は、朝の六時から十時ごろと思われます」

 稜が鑑識の話を簡潔にメモしている横で、里津は退屈そうに欠伸をした。

「ねえ、君。私、帰りたいんだけど」

 稜は呆れて言葉も出ない。

「……事件が解決していないのに、帰れるわけないでしょう」

 正論を返すと、里津は不満そうに頬を膨らませた。稜はその反応に納得いかなかったが、里津に何を言っても無駄に体力を使うだけだと、文句を飲み込む。

 しかし、里津は正論を言われたくらいでは帰るのを諦めない。

 里津が出て行こうとするのを、稜はすかさず腕を掴んで止める。帰りたい里津と、捜査を続けたい稜は、睨み合いを始める。

「葉宮」

 後ろから若瀬に名前を呼ばれ、稜は振り向いた。

「今から……って、木崎? お前、ここで何してんの?」

 稜に近付いたことで、稜の影に隠れていた里津が見え、若瀬はそう言った。

「葉宮君に連れてこられた」
「へえ、やるじゃん、葉宮。その調子で今後も頼むよ」
「はあ……」

 若瀬の言葉の意味が理解できず、稜は適当に返事をする。

「まあいいや。木崎、来たからには働いてもらうからな」
「えー」
「えー、じゃない」
「やだー」
「おい」

 二人の会話のテンポはよく、漫才のようだ。

「あのー、お二人ってもしかして付き合ってたりします?」

 間にいた稜が口を挟むと、若瀬と里津はそろって顔を顰めた。

「ただの同期だから。君、刑事向いてないんじゃない?」
「なっ……」
「とにかく!」

 稜が里津に言い返そうとするのを、若瀬が遮って止める。

「二人でアパートの住民に聞き込みをしてきてくれ」

 続けて指示をすると、稜は背筋を伸ばす。

「了解しました」

 そして返事をするが、里津は何も言わない。

「木崎。彼女のために少しでも早く事件を解決したいんだ。頼むよ」

 里津は舌を出した。

 若瀬は現場の近場での捜査と、早く解決したいと言えば、里津は嫌がりながらも捜査を始めてくれるのではないかと考えた。だからそう言ったわけだが、どうやら動いてくれなさそうだ。

 若瀬は諦めてほかの刑事に頼みに行こうとした。

「刑事が感情で動くとか、ありえないから」

 若瀬が外に出ようと少し足を動かしたのとほぼ同時に、そう言った。

「そんなだから、捜査することしかできないんじゃない?」
「……どういうことだよ」

 いたって冷静に見えるが、よく見れば額に血管が浮き上がっている。里津の挑発に乗らないように、かなり我慢しているようだ。

「彼女のためって言ったけど、それはつまり、あの人が犯人じゃないって思ってるってことでしょ? でも、もしあの女が犯人だったらどうするの? 彼女は犯人じゃないっていう先入観のせいで、犯人逮捕まで時間がかかるけど」