行く当てもなく、道を歩いていた。

 仕事ではミスをし、怜南を裏切るようなことをした。もう、どこにも自分の居場所がないとさえ思えてくる。

 このままどこか、遠くに行ってしまおうか。誰も自分のことを知らない街に行ってしまえば、気が楽になったりしないだろうか。

 そう思ったが、怜南がいない場所で生きていける気がしなかった。

 ずっと、怜南のために生きてきた。怜南が笑っていられるように、なんでもしてきた。

 怜南に出会ってからは、そういう人生だった。そういう人生を送ってきた。

 怜南のことが何よりも大切で、失いたくなかった。

 それなのに、自分の手で怜南を傷つけるようなことをしてしまった。後悔したところで遅いことはわかっていても、せずにはいられない。

 どうして、里津の背中を押したのだろう。そんなことさえしなければ、まだ怜南のそばにいることができたかもしれないのに。

 あのとき、間違ったことをしたと気付いたときに、謝るべきだった。下手な嘘をつかなければよかった。

 一つ後悔し始めると、次々と出てくる。

 やはりここには自分の居場所はない。

 結局その結論に至り、現在地から最寄りの駅に足を向けた。

 どこに行こう。ここからうんと遠い場所がいい。怜南のことも忘れられるような、静かな場所がいい。

 そんなことを思いながら切符を買い、改札を通る。

 ホームに着くと、同じく電車を待っている人が何人かいる。

 何をするわけでもなく、ただ空を見上げていた。薄暗い雲が多く、青空を見せてくれない。まるで自分の心の中を見させられているような気さえしてくる。

 そのとき、電車の到着を知らせるアナウンスが聞こえた。

 今だ。

 体に指令を出し、前に進む。

「人様に迷惑をかけるような自殺方法を選ぶなんて、相変わらず単純でバカ」

 電車が到着した音に交じり、急に貶すような言葉が聞こえて来た。驚きと戸惑いで足が止まる。

 そのような、人の嫌なところをつく言い方をする人を、稜は一人しか知らない。まさかと思って振り向こうとしたら、誰かに後ろから抱き着かれた。それはタックルに近く、痛みがあった。

 視線を落とすと、予想外の人物がそこにいる。

「怜南……どうしてここに……」
「君のスマホの現在地情報でたどり着いただけ」

 里津が淡々と答える。かなり簡単な方法だったがために、気付けなかった自分を恥ずかしく思った。

「稜君、死んじゃ、ダメ」

 二人の会話が聞こえていなかったかのように、怜南は涙目で見上げる。

「でも、俺……」

 稜はその続きを言わない。気まずさから、目を逸らす。

「私は葉宮が死のうが何しようがどうでもいいんだけど、怜南を傷つけたくない、悲しませたくないっていう君が、死を選んだらダメでしょ」

 里津は赤城に教えられたことをそのまま伝えていく。

「葉宮が怜南を大切に思うように、怜南も葉宮を大切に思ってる。そんな大切な君が死んだら、怜南は悲しむに決まってる。君、それもわからないようなバカだったんだね」

 自殺をしようとした人を思いとどまらせるには、最低な言葉が混じっている。だが、なんとも里津らしい。ここで必死に稜を止めようとするほうが、不自然だろう。

 そう思ったからこそ、稜は苦笑いをした。

 ほとんどの人が電車に乗って行ったため、ホームが広く感じる。

「それと。自分が犯した罪を償わずに死ぬなんて、絶対にさせないから」

 どの言葉よりも、一番厳しい口調だった。

「ちゃんと反省して後悔していたみたいだから、あのことは水に流してあげようかなって思ってた。でも、どんな理由があったとしても、逃げようとしたから、許さない」

 未解決事件の犯人に対する憎しみのようなものを知っているからこそ、その言葉に違和感を抱くことはなかった。

「過去は消えないし、なかったことにはできない。だから、逃げたって意味がない」

 稜は返す言葉もなく、里津の話を聞いている。

 しかし怜南は、その言葉は稜を説得しているというより、自分に言い聞かせているように感じた。稜から離れ、並んで静かに里津の話を聞く。

「間違ったことをしてしまった人にできるのは、自分がやってしまったことに対して後悔し、苦しみ続けることだけ。そして、忘れることは許されない。たとえ相手が許してくれて、忘れてしまったとしても、私たちは忘れてはいけない」

 最後の一人称が「私たち」となったことに対して、稜は疑問を抱いた。その意味を理解したのは、里津の過去を知る怜南だけだった。しかし怜南は口を開こうとはしなかった。

「刑事の君なら、これからするべきことはわかるよね」

 十分な間を取り、いつものように冷たく言う。稜は小さく頷いた。それから駅の出口に向かう。

「駅の外に若瀬がいるから」

 里津は稜が横を通るタイミングで言った。それに対して謝罪の言葉を言いかけたが、稜はその言葉を飲み込んで去って行く。

 稜の姿が見えなくなって、怜南の顔は落ちていき、頬には涙が伝った。それはまるで、抑えていた感情が溢れ出したようだった。

 次第に声が漏れ、里津は怜南の頭を撫でながら抱き寄せた。その温もりを感じて、怜南はさらに涙をこぼす。

 空を覆っていた厚い雲の切れ間から、一筋の光が差し込む。その光は優しく暖かいもので、悲しみにくれる少女を癒しているようだった。