怜南に伝えた場所に到着しても、怜南はまだ来ていなかった。

「なあ、木崎」

 運転席に座る若瀬は、手持ち無沙汰になり、里津を呼んだ。しかし里津はスマートフォンに集中していて、返事をしたが、どこか上の空のようだ。

 若瀬はそれをわかっていながら、気付かぬふりをして話を進める。

「葉宮が現実から逃げたってのはわかったつもりだ。でも、どうして葉宮は命よりも大切な子を一人にして消えたんだと思う?」
「知らない」

 短い言葉で切り捨てた。相変わらず冷たい奴だと笑ってしまう。

 すると、里津たちが乗る車の前に、一台のタクシーが止まった。

「来たんじゃないか?」
「でも、葉宮が無駄に走らせたせいで、お金足りないって。若瀬、今いくら持ってる?」
「俺が払うのか」

 若瀬は苦笑しながら、財布を取り出す。確認をすると、千円札が三枚、一万円札が一枚入っている。

「あとで葉宮に返してもらって。葉宮が帰ってくればの話だけど」

 里津は嫌な笑顔を見せて、車を降りていった。

 若瀬は車の中で、里津の様子を見守る。タクシーの窓を叩くと、少し会話をしてから若瀬の財布を開いた。そして、一万円札を一枚渡した。

 本当に払ってしまい、若瀬は苦笑するしかない。

 それからすぐに一人の女性がタクシーから降りて来た。見るからに弱っている。

「あれが、葉宮たちが大切に育ててきた姫ってことか」

 自然と纏っている儚さに、守りたくなる気持ちもわからないことはないと思った。男心をくすぐるような、可愛らしい要素を持ち合わせているように感じた。里津の後ろをついて歩くところもまた、守りたいと思わされる。

 里津が後ろのドアを開けると、怜南は車に乗り込む。若瀬に気付くと、小さく頭を下げた。

「見惚れてるの?」

 助手席に乗り込みながら、アホ面を晒している若瀬に言った。若瀬はわかりやすく目を逸らし、車を発進させた。

 その反応に、里津は鼻で笑う。そして流れるようにバックミラーで怜南を見ると、目を伏せて静かに座っている。里津はゆっくりと振り向いた。

「怜南」

 名前を呼ばれて視線を上げると、里津が優しい目で見ていた。里津と会ったときに安心していたが、まだ不安が残っていたようで、怜南は表情を和らげた。

「葉宮がいなくなったときのこと、説明してくれる?」

 小さく頷いて、口を開く。思い出すためか、少し伏し目がちになった。

「稜君と、タクシーに乗って、いろいろ話している、うちに、里津さんの話題に、なって……稜君が不思議なことを、聞いてきたの」

 怜南は言葉を止め、里津の目を見た。

『怜南は木崎さんを殺そうとした人がいたら、どうする?』

 怜南が稜の言葉をそのまま言うと、里津と若瀬の顔つきが変わる。怜南はそれに気付いたが、怜南が質問するよりも先に、里津が聞いてきた。

「怜南はなんて答えたの?」
「許さないって、言った」

 その目は強かった。それを聞くと、里津は不敵な笑みを浮かべた。

「里津さん……?」

 その悪い顔に動揺して里津を呼ぶと、里津は咳ばらいをして顔を戻した。何もなかったかのように話を続ける。

「それで、葉宮がいるところはわかる?」

 今度は首を左右に振って答えた。里津の質問はそこで終わり、前を向いて何かを考え始めた。車内は沈黙に包まれ、エンジン音が騒々しく感じる。

「そういえば……」

 その中で、怜南が言葉をこぼした。それに反応して、里津はまた後ろを向く。

「稜君、私を裏切るような、ことをしたって……だから、私とはいられないって、言っていました」

 それを聞いて、もう一度にやりと笑う。運転中の若瀬も頷いている。

 だが、怜南は二人の反応の理由がわからなかった。

「里津さん、何か知っているんですか……?」

 正直に言ってもいいものなのか、迷った。両親を殺した犯人のことも、里津の背中を押した犯人のことも、怜南が知ってしまえばショックを受けるに違いない。いくら変わったとはいえ、その事実を怜南が受け入れきれるとは思えなかった。

「……私たちは怜南の両親を殺し、あなたを襲った犯人を見つけた。そして、葉宮がいなくなった理由も、今わかった。でもそれは、怜南にとっていい話じゃない。それでも、聞く?」

 言うかどうかは迷っても、嘘をつくという選択肢はなかった。

 怜南は迷い、俯く。いい話ではないと言われて、聞く勇気はまだ持ち合わせていない。だが、だいたい察しは付いていた。

 さらに、嫌なことから逃げないと決めたこともあり、里津の話を受け止める覚悟を決めた。まっすぐ里津を見る。

「里津さん。話して、ください」

 里津は深呼吸を一つする。

「怜南の両親を殺して、怜南を襲ったのは、瀬尾秀介。そして葉宮が逃げたのは、私の背中を押したからだと思う」

 里津は簡潔に結論を述べる。怜南の反応を見れば話し続けられなくなると思い、振り向いていても、顔を見ようとはしない。

 覚悟をしていても、驚かずにはいられなかった。怜南は言葉を失う。

 それでも里津は容赦なく説明していく。

「両親を殺した理由は今、本人に聞いているところだから、まだわからない。怜南を襲ったのは、怜南に恐怖を思い出させて、自分の力で生きていこうとするのを、阻止しようとしていたから」

 とにかく驚くばかりで、反応できない。

 現実は残酷だ。

「葉宮が本当に私の背中を押したのかはわからないけど、怜南の話を聞くに、ほぼ間違いないと思う。理由は瀬尾と似たようなもので、私が怜南に言った言葉が気に入らなかったから」

 それは怜南が一瞬でも考えた、最悪な真実だった。

 また、自分のせいで里津がそういう目に遭ったのだと思うと、胸が痛む。

「二人とも、怜南のことが大切で仕方なかったんだと思う」

 里津はそう言うが、二人のしたことには理解できなかった。そのため、呆れたような表情をしている。

 里津の話はそこで終わり、やっと怜南を見た。怜南は視線を落としている。少しだけ、素直にすべて話してしまったことを後悔する。

 静かになった空間の中で、里津に言われた情報を整理していく。

 ずっと、二人に守られて生きてきた。とても、幸せな日常だった。その毎日が、怜南は好きだった。

 大切にされているということが、ずっと嬉しかった。だけど今日、初めて「大切にされている」と言われて泣きたくなった。それは嬉しいという感情とは真逆のものだった。

 怜南は静かに涙を落とす。

 そんな怜南に声をかけようとするが、いい言葉が出てこない。

 車内は最後まで沈黙に包まれていた。