考えごとをしながら廊下を歩いていたため、里津は何度かすれ違う人とぶつかった。

「おい、木崎」

 また人にぶつかりそうになったとき、若瀬が里津の腕を掴んだ。里津はゆっくりと振り向く。

「若瀬……」

 また邪魔をされ、険しい表情で若瀬を見る。

 原因はわからなくとも、里津を怒らせてしまった事実に変わりはないと思い、若瀬は里津から手を離した。

「永戸怜南に会ってきたんだろ。何、話してきたんだ?」

 里津は反応を示さない。若瀬は呆れたようにため息をつく。

「じゃあ俺から話す」

 若瀬は里津にスマホを見せる。

「課長から聞き込みと現場捜査の結果連絡があった」

 たったそれたけの言葉で、里津の目の色が変わった。若瀬はにやりと笑う。

「未管室で情報整理しよう」

 里津はその提案に大人しく乗った。

 未解決事件情報管理室は、里津が出たときのままだった。

 里津は先に話す気がないのか、パイプ椅子に座った。それを見て、若瀬はホワイトボードの前に立つ。

 赤城は作業の手を止め、耳を傾ける。

「まず、永戸怜南と叔父の瀬尾秀介が襲われた時間帯の目撃情報について」

 電話をしながらメモを取っていたらしく、若瀬は手元を見ながら話す。

「その時間帯、喫茶店付近で不審者を見たという情報はなかった。それから、喫茶店のドアに貼ってあった『臨時休業』の紙だが、どうやら朝からあったらしい」

 それだけの情報で、里津は片方の口角を上げた。

「自作自演の可能性が高くなった」

 里津が言うと、若瀬も似たような表情を見せる。

「喜ぶにはまだ早い」

 若瀬は里津の前にスマホを置く。

 表示されていたのは喫茶店の二階、怜南たちの部屋の一角だ。よく見れば、秀介が出て来た場所に見える。

「これが何?」

 里津が聞いても若瀬は答えず、スライドさせて次の写真を表示させる。さらに見えやすくするために人差し指と中指で画像を拡大する。里津はその部分を凝視した。

 それは机の角で、大きな違和感は見られない。

「……これって」

 里津は画像から顔を上げる。

「わずかに血の跡がある」
「その通り」

 スマホをポケットに戻し、話を続ける。

「比較的、新しい傷らしい。つまり、今回の事件でできたと見て間違いないだろうってさ」

 若瀬は言葉を区切った。顎に手を当てて考え込む里津の答えを待つ。

「瀬尾は今日、怜南を襲うことを計画していた……でも自分が犯人に思われたら都合が悪いから、自分も襲われたことにして……そのときに、後ろから襲われたように見せるために、自分で机に頭をぶつけた」

 そこまで聞いて、若瀬は満足そうにする。

「自作自演の証拠としては十分だろ」

 里津は小さく頷いた。

「ただ、動機まではわからなかったらしい」
「それは私が話す」

 里津が立ち上がったことで、二人は交代する。

「怜南の話は、十五年前の事件で犯人が言っていた言葉を思い出したってことだった」

 里津はホワイトボード用のペンを手にし、文字を書き連ねる。

『お前のほうがいらない』

 それが見えて、若瀬は小声で読み上げた。

「お前のほうがいらない……なんだそれ」

 キャップを閉じて、体の向きを変える。

「これは、怜南の母親が犯人に言われた言葉」

 若瀬はますますわからなくなる。

「どうやら、犯人は最初、怜南と怜南の父親を殺そうとしていたらしい。でも、怜南を守ろうとする母親を見て、『お前のほうがいらない』って言ったんだって」

 状況の理解はできたが、そう言った理由は理解できなかった。

「……それで、その言葉から動機がわかるのか?」
「多分だけど、瀬尾は独占欲みたいなのが強いんだと思う。自分のものは誰にも触らせたくない、独り立ちするのは許さない、みたいな感じ」

 若瀬は顔を歪めた。

「なんだそれ、気色悪い」
「でも、そう考えたら辻褄が合う。昔は怜南の母親に対してそう思ったけど、結婚して子供が生まれて。そうやって成長していく姿が見ていられなくて、邪魔者である怜南と、怜南の父親を殺そうとした。だけど、怜南を殺しても望み通りにならないとわかって、母親を殺して、怜南を自分のものにすることにした」

 筋は通っているから異論はなかったが、どうしてもその考え方を理解することができず、若瀬は顔を歪めたままだ。

「怜南に対して過保護だと思ってたけど、その独占欲らしきものがあったのかもしれない」
「……葉宮は?」

 若瀬は気になったことをそのまま尋ねる。

「独り占めしたくて、邪魔する奴がいたら殺したのに、どうして葉宮は何もなかった?」
「同類だと思ったんじゃない? 葉宮も怜南が変わらないように閉じ込めてたし」

 里津は呆れた表情を見せる。

 しかし何かに気付いたらしい。

「木崎?」

 里津は若瀬の声が聞こえなかったのか、反応せずに、にやりと笑う。

「その犯人みたいな顔、やめろよ」

 里津は不服そうにした。