それから稜と怜南は車で署に向かった。少しでも怜南から離れる時間を短くするための策だった。
しかし中まで入れることはできず、怜南をロビーで待たせて、急いで荷物を取りに行く。
一人になった怜南は、窓の外を眺める。静かに、ゆっくりと雲が流れていく。あんなことがあったことを忘れさせてくれるくらい、澄んだ青空だ。
『お前を殺すためだ』
それなのに、ふと今日の犯人の言葉が頭に浮かんだ。
怜南は青空から目を逸らし、俯く。強く目を閉じて忘れようとするが、余計に思い出してしまう。
『お前たち家族が幸せそうにしているのが気に入らなかった。だから壊した』
『すぐに両親のもとに連れていってやる』
背中を丸め、耳を塞ぐ。
『……お前のほうがいらない』
その言葉が頭に浮かんだとき、怜南は目を開けた。
今の言葉は、知らない。
だが、いつ聞いたのか、そんなことは考えなくてもわかった。
同時に映像が流れてくる。
強く抱き締めてくる母。その奥で刃物を振り上げる黒づくめの人。両親を殺した、自分を殺そうとしてきた犯人だ。
ずっと忘れていたことで、思い出したくなかったこと。
怜南は少しずつ、自分の呼吸が速くなっていることに気付いた。そして、心の中で稜や秀介に助けを求めていることにも。
『怜南』
里津の強い視線、厳しい声が頭で響く。呼吸も落ち着き、何度か深呼吸をする。
強くなると決めた。逃げたくないと思った。稜は秀介に頼らないように、自分らしく、自分を好きになるために生きたい。
里津と話したときのことを思い出し、怜南はスマホを取り出した。里津の番号を表示させ、発信を押す。
数回でコールは止まり、里津の声が聞こえてくる。
「怜南、どうしたの?」
思い出したことを伝えなければならないと思えば思うほど、声が出てこない。
だけど、どれだけ間が空いても、里津が急かしてくることはなかった。
おかげでゆっくり呼吸をし、落ち着かせることができた。
「あのね、里津さん……私……あの日の……昔のこと、ちょっとだけ、思い出した……」
自分でも驚くほどに小さな声だった。
電話の向こうから反応がなく、聞こえなかったのかと不安になる。
「里津さん……?」
「……怜南、今どこにいる?」
恐る恐る名前を呼んだら、質問を返された。
そして今いる場所を伝えると、すぐに行くから待っていていてと、電話を切られた。
息を吐き出すと、窓の外が眩しく感じた。今度は、さっきよりも軽い気持ちで青空を見ることができた。
「怜南」
名前を呼ばれて振り向くと、里津が立っている。里津は怜南の隣に座る。
「葉宮は?」
「荷物、取りに行ってる」
里津は興味なさそうに相槌を打つ。本題に入るタイミングを探っているようだ。二人は沈黙に包まれる。
「……大丈夫なの?」
怜南は里津の言葉の意味がわからなかった。
首を捻り、次の言葉を待つ。
「昔のこと思い出したって。この前みたいにならなかった?」
十五年前の事件に少し触れただけで呼吸を乱していた姿は、記憶に新しい。
まさか里津がそんな心配をしてくれるとは思っていなくて、怜南は思わず微笑んだ。
「里津さんのおかげで、大丈夫でした」
感謝されるようなことをした覚えがなく、里津は不思議そうにする。
「……まあ、大丈夫ならよかったよ。それで、思い出したことって?」
少しでも本題に近い話題になったからか、里津は遠慮なく言った。
怜南は静かに目線を落とす。
「……あの日、犯人が言っていた、言葉です……」
強く目を瞑り、拳を握る。あの日の恐怖が蘇り、言葉を詰まらせる。
徐々に冷たく感じる拳に、温もりが覆いかぶさった。横を見ると、里津が優しい目をしていた。
怜南は心を落ち着かせ、思い出した言葉を伝える。
「お前のほうがいらない、か……それって怜南が言われた言葉?」
里津の質問に、怜南は首を横に振って答える。
「最初は、私とお父さんがいらないって、言われて……お母さんが、私を守ろうとして、私を抱き締めて、たら……犯人は、お母さんに……」
怜南は徐々に言葉を切るようになった。怜南の背中を、里津はそっと撫でる。
「話してくれてありがとう」
里津がそう言うことで、怜南は安心したように表情を緩めた。
それから里津は一人で考え込んでしまったため、怜南は手持ち無沙汰になった。辺りを見渡したり、窓の外を見たりして暇を潰す。
「あれ、木崎さん?」
すると稜が戻ってきた。
その声で思考停止してしまい、里津は稜を睨みつける。
「な、なんですか」
「葉宮のせいで考えてたこと、全部飛んでった」
里津は不機嫌になり、立ち上がる。
「いや、それ言いがかりですよね」
しかし稜の言葉は聞かず、小さく舌を出してその場を離れていった。
「なんだったんだ?」
稜は里津の背中が見えなくなるまで里津の歩いていったほうを見て、怜南を見た。
しかし怜南は何があったのかわかっているが、説明したくないと思い、首を捻った。
里津が怜南のそばにいて、考えていたこととなると、怜南が巻き込まれた事件意外にないだろう。つまり、怜南は稜ではなく里津を頼ったということだ。
だがそれは仮定に過ぎない。かといって、怜南に詳しく聞いて事実だと知ってしまうのも怖かった。
そのため、稜は怜南に何も聞けなくなり、悔しさのような、怒りのような、言葉には表しにくい感情を抱いた。しかし稜が里津に対してその感情を抱くのは、これが初めてではなかった。