「……なんだよ」

 変なことをした覚えはないが、里津に見られていると、何かしたのではないかという気持ちになってくる。

 若瀬は少し戸惑いながら言う。

「いや、普通はそうやって自分で考えるよなって思って。葉宮は、全部私に答えを聞いてきてたから」
「刑事になって二、三日しか経ってない人間に求めすぎるなよ」

 里津は頬を膨らませる。これもまた、子供が拗ねるようだ。

 ここに来て、見たことのない表情ばかりを見させられて、若瀬は驚きが隠せない。

「……まあ、葉宮の話は置いといて。若瀬の言う通り、襲われたのはこのときの子供。犯人の狙いは、この子の命だった」

 資料をめくっていくと、幼いころの怜南の写真が出て来た。里津はその写真をそっと指でなでる。

「それはまた……物騒な話だな。早く犯人を逮捕してやらないと、その子、不安で仕方ないだろうな」
「犯人はわかってる。あとは証拠集めだけ」

 若瀬は耳を疑った。

「お前……今、なんて……?」

 若瀬が聞くと、里津は首を捻る。

「あとは証拠集めだけ?」
「いや、そこじゃなくて。そのちょっと前」

 里津は本当にわかっていないように見える。しかしすぐに気付いた。

「あ、犯人がわかってるってやつ?」
「そう、それ。わかってるなら、もう逮捕しに行けるじゃねえか」

 里津は呆れた表情でため息をつく。若瀬はその反応に苛立ちを覚える。

「証拠集めが必要って言った」
「……じゃあなんで犯人がわかってるんだよ」

 またため息をつく。

 おもむろに立ち上がると、可動式ホワイトボードの前に移動する。紙を剥がして机に置くと、ペンを手にした。

 左から次のように書いていった。

『11:00 レナ襲われる
 12:00 葉宮に電話
 12:30 現場到着』

 キャップを閉じ、ペンを棒差しの代用にする。書いたことをそのまま読み上げた。

「これが今回の事件の大まかな流れ」

 この段階で言えることはなく、赤城も若瀬も黙って聞く。

 その反応を見て、キャップを開けた。

「怜南は襲われて気絶。数分後に叔父も襲われて気絶。十二時、葉宮に電話をかけたのは目を覚ました叔父で、怜南は犯人と話してたらしい」

 里津は簡単な言葉で説明しながら、ホワイトボードに書き加えていく。

「で、犯人の目的は怜南を殺すこと」

 そこで里津は説明を止めた。気付くことはないかと、二人に目で聞く。

「……空白の一時間、か?」
「まあ、そんな感じ」

 若瀬の返答に、曖昧に言いながらペンのキャップを閉める。

「怜南を殺したいなら、怜南を二階に連れてって、目を覚ますのを待たずに殺せばいい。ついでに、葉宮が電話を切って、私たちが現場に着くまで、三十分くらいあった。ここでも殺すことはできたのに、犯人は殺さなかった」

 若瀬は腕を組み、考える。

「つまり……犯人の目的は、レナって子を殺すことじゃなかったってことか……なら、本当の目的は……?」

 答えを求めるような質問に、里津はあからさまに不機嫌そうにする。

 しかし若瀬は怜南たちの事情を知らない。こう聞いてくるのも仕方がない。

 そう思って、里津は説明を続ける。

「怜南はずっと、一緒に住んでる叔父とか、幼馴染の葉宮に甘えて、守られてきた子。だけど急に独り立ちしようとしたもんだから……」

 里津はそこまで言って止まった。

 若瀬と赤城は顔を見合わせる。

「……そうか、だから今なんだ」

 一人で納得され、二人はさらにわからなくなる。

「今って?」

 若瀬が聞く。

「犯人は十五年も動きを見せなかったのに、今になって姿を現した。それは、怜南が変わろうとしているからだと思う。あの日の唯一の目撃者である、怜南が」

 里津は最後の一文を強調して言った。それで赤城が何かに気付いた。

「子供は記憶が混乱し、事件当時のことは覚えていなかったと記録されていました。つまり、犯人は自分のことを思い出してしまうのではないかと思い、あの日と同じような恐怖を与えることで、また記憶に蓋をするように仕向けた、ということですか?」

 赤城が確認するが、里津は頷かない。

「……私もそう考えた。でも、確証がない」

 そう言われ、赤城はそれ以上言えなかった。

「で、犯人は誰なんだよ。木崎、わかってるんだよな?」

 次は若瀬が質問する。しかし里津の表情は変わらない。

「怜南の叔父」

 また信じられないことを、さも当たり前のように言った。

「……その根拠は?」

 若瀬は一瞬驚いたが、冷静に返した。

「犯人に隠れて怜南のスマホで葉宮に電話したって言ってたんだけど、怜南のスマホは、怜南の手元にあった。なのに、あの人は私たちが到着してから、部屋の奥から今目が覚めましたみたいな感じで出てきた。怜南が襲われそうになって、助けを求めるように叫んでも動けなかったって言ってたくせに」

 言葉の最後には怒りが込められているようだった。

「てことは、襲われたのは自作自演……てのはちょっと違うか。すべてが嘘だと?」

 里津は頷く。しかし若瀬は腑に落ちない顔をしている。

「……いや、それはおかしくないか。確かに、犯人は葉宮の友人を殺害しようとしたんじゃなくて、過去のことを思い出させないようにしたのかもしれない。でも、今ある情報だけだと、叔父が犯人とは言い切れなくないか? それに、もし木崎の考えが正しかったとして、姪が気付かないなんてあるか?」

 若瀬に指摘され、里津は考える。

「……ちょっと乱暴だった」
「だろ」
「……でも、今回の事件に無関係ってのはありえないと思う」

 一瞬見せた悲しそうな表情は見間違いだったのではないかと思うほど、それは強い言葉だった。

「なぜそう思う?」
「怜南が変わろうとしてることを知ったのは昨日の喫茶店閉店後。それを知ってるのは葉宮と叔父だけ。葉宮は事件のことは本気で知らなかったみたいだったから、叔父がやったか、誰かに教えたとしか思えない」

 それには納得せざるを得なかった。

「それだけわかってるなら、本人に話聞いてみたらどうだ」

 若瀬が言うと、里津はため息をついた。若瀬は苛立ちを覚える。

「素直に話してくれるとでも? 十五年も息を潜めてた殺人犯かもしれないのに?」
「じゃあ、彼女に聞けばいい。今回の事件と過去の事件の唯一の目撃者である、永戸怜南」

 若瀬の言っていることは正しい。しかし里津は首を縦に振ろうとしない。

 そのとき、里津のスマホが鳴った。

 画面を見ると、怜南の名前が表示されている。噂をすれば、というやつだ。

「怜南、どうしたの?」

 怜南は黙ったままだ。里津は怜南を急かさず、次の言葉を待つ。

 そして怜南は今にも消えそうな声で言った。

 十五年前のことで思い出したことがある、と。