病院で検査をした結果、怜南は恐怖で気を失っただけだった。そして秀介の頭の傷は大したことはなかったが、念のために数日だけ入院することになった。

 到着して二十分程度経ったころ、怜南が目を覚ました。

「ここ、どこ……?」

 怜南は自分がどこにいるのか、状況が飲み込めなかった。そのため、ベッドの近くにある丸椅子に座っていた稜に聞いた。

「病院だよ」

 稜が答えると、怜南はゆっくりと体を起こす。

「病院……?」

 それでもまだ理解ができていないようだった。

「怜南、誰かに襲われたことは覚えてる?」

 稜に言われて、刃物を向けられたときの恐怖を思い出した。怜南は体を震わせる。

「ごめん、怖かったよな」

 稜は怜南の背中をさする。

 そばに立ってそのやり取りを見ていた里津は、稜の手首を掴んだ。甘やかすなと目が言っている。

「あのね、怜南。私には、怜南を襲った……怜南の両親を殺した犯人を捕まえる義務がある。そのためにも、怜南の情報が必要なの。怖かったのはわかるけど、事件に巻き込まれた人たちはみんな、怖い思いをしながらも情報を提供してくれてる。いつも犯人が捕まるのは、そういう勇気を出してくれる人たちがいるからなの。だから怜南も、協力してくれる?」

 怜南は戸惑いながらも、小さく首を縦に振った。

「……おじさんに、頼まれて、私は店裏に、ごみを出しに行った。そのとき、後ろから何かで口を覆われて、私はそのまま、意識を失った。目が覚めたら、知らない人が、ナイフを持って、立ってた……おじさんは、気絶させたって……それから、その人が、近付いてきて、私……気を、失ったんだと、思う……次に起きたのは、今、だから……だから、話せることは、これくらいしか、ない……」

 何があったのかを思い出しながら、細かく言葉を区切って話す。後半になるにつれて声を震わせ、そして間を作って言った。

 しかしちょっとしたことしか話せず、怜南は申し訳なさそうにする。

 怜南の努力を褒めるのと、慰めの意味を込めて、里津は怜南の頭に手を置いた。

「話してくれて、ありがとう」

 怜南は頬を緩める。しかし里津の顔は険しいままだ。

「……でも、まだ安心はしないで」
「どうして……?」
「犯人は怜南を殺す気で、今回の事件を起こした。だから、目的を達成するまで、何度も怜南を狙ってくると思う」

 犯人から直接殺すと脅されたため、驚いてはいない。だが、その表情には恐怖がにじみ出ている。

「ちょっと、木崎さん」

 いくら真面目な話とはいえ、そこまで脅す必要があるのかと思って里津を呼ぶが、里津は聞き流した。一ミリも、怜南から視線をそらさない。

「でも、絶対に犯人の思い通りになんかさせない。怜南を殺させたりしない」

 里津は怜南の手を強く握った。怜南は空いた左手で零れ落ちそうな涙を拭う。

「私も、負けない……逃げない……」

 怜南はまっすぐな視線で里津を見つめ返した。

「里津さん、私に、できること、ある?」

 稜は怜南の質問に、しまったと思った。犯人を逮捕するためならどんな手でも使うような里津にそう聞けば、囮になってほしいと言いそうだ。

 里津が答えるのを遮ってもよかったが、どうせ今までのように無視をされる。稜は里津が無茶なことを言わないか、ひやひやしながら里津の答えを待つ。

「絶対安全な場所にいて。怜南が今日みたいに犯人と接触してしまったら、次はないかもしれない。助けを呼ぶ前に殺されてしまうかもしれない。だから、絶対に、一人にならないで」

 里津は念を押すように言う。

 怜南も無茶を言われる覚悟で聞いたため、その返答には拍子抜けした。稜に至っては、耳を疑った。

「あの、本当に木崎さんですよね?」

 思わずそう確認してしまうほど、里津の台詞とは思えなかった。

 里津は稜を睨む。

「どういう意味」
「いえ……というか、木崎さん、さっきから自分一人で行動しようとしてませんか」

 犯人を捕まえるのも、そのための捜査も、里津の話の主語は「私たち」ではなく「私」だった。

 稜だって怜南の両親を殺した犯人を捕まえるつもりでいる。そのため、里津の言い方には不満があった。

 里津は呆れた表情を見せる。

「ありえないミスしかしない相棒はいらない」

 返す言葉もない。

 だが、自分の目標である、怜南の両親を殺した犯人を捕まえることができそうなのに、黙って見ていることなどできるはずがなかった。

 稜は立ち上がり、深く頭を下げる。

「お願いします。俺の、唯一の目標なんです」

 しかし里津は相手にしていられないと言わんばかりに、それを無視してドアに向かう。

 里津の足音が聞こえ、稜は体を起こす。

「どこに行くんですか」

 不服そうに言う。

「署に戻って報告。どうせ君、このこと誰にも言ってないんでしょ」

 仕事という仕事を嫌がっていた里津の言葉とは思えない。

 しかしそれだけでなく、誰にも言わずに飛び出したことを知っていることにも驚いた。

「どうしてそれを……」

 電話のあと、里津に会ったことは覚えている。だが、何があったかの説明をした記憶はない。

「怜南……じゃなくて、瀬尾さんからの電話を、真面目な君が部屋の中で取るとは思えない。ということは、廊下で電話に出たということ。そしてあれだけ動揺してた人が一度中に戻って、報告してから走っていたとは思えない」

 里津はまるで見てきたかのように、丁寧に説明した。

 廊下ですれ違ったあの一瞬でそこまでわかってしまう里津を、恐ろしく思った。

「……葉宮」

 里津の声に、稜の背筋が伸びる。

「葉宮の仕事は、怜南の護衛。それも不満なら、新しく相棒を探して。とにかく私には、君はいらない」

 はっきりといらないと言われたにもかかわらず、稜は頭を下げてお礼を言う。

「ありがとうございます!」

 ここが病室であることを忘れたのか、大きな声だった。稜の素直な反応に、里津は笑う。

「それじゃ、怜南のことは頼んだ」

 そして病室を後にした。