稜は警察署の近くにあるコンビニでパンとコーヒーを買い、自分の席に戻る。

 スマートフォンを操作しながら昼食をとることができ、平和な一日だと内心喜びながら、買ってきたカレーパンにかぶりつく。

 今朝、里津に甘やかしすぎるなと言われたにもかかわらず、稜は怜南宛で新規メールを作成する。

『今、何してる?』

 書くことがないのならメールしなければいいのにと思えるが、これは日課のようなものだった。

 すると、メールではなく、電話がかかってきた。

 席を立って廊下に出て、電話を取る。

「もしもし、怜南?」

 周りの迷惑にならないように声をひそめるが、反応がない。

「怜南?」

 不思議に思い、もう一度名前を呼ぶ。やっぱり反応がない。

「……いや……来ないで……」

 やっと聞こえてきた声は、かなり震えている。

「怜南? どうした?」

 問いかけてみても、稜の声に答える気配はない。

 稜は怜南の身に何かあったのかと思ったが、何もわからない状態で飛び出しても仕方ない。稜は黙って電話の向こうの音に集中する。

「やっと見つけた……あの夫婦の娘……」

 もう一つ、こもったような声が聞こえてきた。

 しかし話が見えない。さらに詳しく聞こうと、耳を澄ます。

「来ないで……おじさん、助けて……」

 怜南の怯えた声に、やはり体が動きそうになる。

「その男に助けを求めても無駄だ。殴って気絶させたからな」

 少しずつ、状況がわかっていく。だが、まだ情報が足りない。

 落ち着いて情報を集めなければならないのに、焦りが大きくなっていった。

「……なん、で……」
「お前を殺すためだ。お前たち家族は、全員殺す」
「お父さんたちを、殺したのは、あなたなの……?」

 恐怖の中で、怜南は会話を続けた。

「ああ、そうだ」

 予想していなかった事実に、稜は驚きを隠せない。

「お前たち家族が幸せそうにしているのが気に入らなかった。だから、壊した」

 怜南の声が聞こえなくなる。言葉を失っているのだろうか。

 これは、稜でも何も言えなくなるような内容だった。それを、当事者である怜南が聞いたらと思うと、怜南が感じている恐怖など想像できない。

「安心しろ。すぐに両親のところに連れて行ってやる」
「来ないで……」

 怜南の怯えた声がしたと思うと、耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。

 早く、怜南のところに行かなければ。

 稜は電話を切ると、駐車場に急ぐ。

「あ、葉宮君。ちょっと頼みたいことが」

 走り出した瞬間、前から歩いてきた里津に声をかけられる。

「すみません、あの、あとで!」

 しかし稜は立ち止まることなく、走った。

 里津は稜の反応に違和感を覚えた。

「……面倒なことになりそう」

 里津は稜が走って言った方向を見つめて、ため息をこぼす。

「あ、木崎。頼んでいた資料は?」

 若瀬が部署から顔を覗かせ、里津に声をかけた。里津は稜に頼もうとしていた資料を若瀬に渡す。里津から渡されることなど滅多にないため、若瀬は目を丸めた。

「珍しいな、自分でやったのか?」
「ううん、やってない。やっておいて」

 若瀬は顔を顰める。

「葉宮は」

 里津がやらなければ稜に回すという決まりがいつの間にか、捜査一課にできあがっていた。若瀬もその決まり通りに稜に頼もうと思い、稜の場所を聞く。

「暴走中」

 その答えが、これだった。

「どういうことだよ」

 若瀬は里津を睨む。適当なことを言って仕事から逃げようとしているのではないかと思ったのだ。

「知らない。それ頼もうとしたら、逃げられた」
「何かあったのか?」

 若瀬が詳しく聞こうとするが、里津は面倒そうな顔をする。

「だから、知らないって。何も言わないで走ってったんだから」
「……お前、何が起こったか予想できてるんじゃないか」

 里津は一瞬、目を見開いた。若瀬はその一瞬を見逃さない。

「やっぱりな。木崎、ちゃんと言え」

 里津は大きく息を吐き出す。

「葉宮君の大切なお姫様に何かあったんじゃない? でも、たぶん大したことじゃない。葉宮君、その子に対しては過保護なところがあるから。ちょっとしたことでも大げさにすると思う」

 里津はそう言いながら、部屋に入ろうとする。若瀬はその腕を掴んだ。

「一般人に何かあったってことだな?」

 そう確認されて、里津は視線を逸らす。

「なら、お前も動けよ。もし大ごとだったら、責任取らされることになるぞ」

 すると、里津は若瀬に押し付けた資料を奪った。

「でも私、仕事あるし」

 若瀬は奪い返した。

「一般人の安全が優先。これは俺がやるから、お前は葉宮を追え」

 どうやら稜を追うしか道はなさそうで、里津は舌打ちをして稜が走っていったほうに歩いて行った。