「怜南、喋れるようになったのか? いや、でもなんで……」
「稜君たちに、甘えるのは、やめようと、思って」
いつも見せる、どこか抜けているような、柔らかい笑顔ではなかった。
ただでさえ怜南が喋っていることに驚き、頭が追い付かないのに、追い打ちをかけるようなことを言われ、言葉が出なかった。
怜南は稜が混乱しているにも関わらず、話を続ける。
「私、里津さんと話して、自分の力で、立ちたいって、思った。だから、頑張ることに、したの」
決心している怜南の横にいる里津は、いい笑顔だった。
この状況で里津が笑っていると、バカにされているように思えて仕方ない。
「木崎さん、余計なことをしないでもらえますか」
稜は考えることを放棄し、とりあえず里津を責めることにした。
しかし、里津はなぜ文句を言われているのか、わからなかった。その不満を顔に出す。
「ちゃんと過去と向き合えってアドバイスすることが、余計なことなの?」
「余計なことです。怜南がこれ以上苦しむ必要はないんです。そのために、俺たちがいる」
稜の目は本気だった。
里津は大きく息を吐き出す。
「その結果、怜南は声が出せるようになっていることに気付かなかった。君たちに甘やかされて、それを当たり前だと思って、自分から変わることをしようとしなかった。それって、おかしくない? 一回苦しんだら、もう苦しまなくてもいいようにするの? 何度も傷ついて、立ち上がって、そうやって強くなっていくものじゃないの?」
里津の言っていることが間違っていないことはわかるが、稜は自分がしてきたことが間違っていたと認めようとはしない。
「怜南は木崎さんと違って、繊細な子なんです」
稜は怜南に対してかなり過保護で、正論を叩きつけても聞く耳を持ってくれそうもない。それどころか、自分がしていることを正しいと思っている。
そんな人を黙らせる言葉が、あるのだろうか。
里津は考えを巡らせる。
「……怜南が変わりたいって言ってるのに、葉宮君はその邪魔をするんだ?」
稜は言葉を詰まらせた。
「……本当、嫌な人だ」
想像以上にうまくいき、里津は笑みを抑えられなかった。
「さて、お話は終わったかな?」
ずっと黙って聞いていた秀介が口を挟むと、稜は怜南の隣に座る。
「一応。てか、秀介さんは怜南が喋れること、知ってたの?」
「二人は昼過ぎからここにいるからね」
秀介はそう言いながら、稜の前にお茶を出す。
「そういえば、木崎さん。どうして、怜南に自分の力で立つ、みたいな話をされたのでしょう?」
里津は答えに迷った。
稜が相手であれば、事件のことを思い出してもらうためだとか、稜たちに甘え、甘やかされることが当たり前だと思っている怜南に腹が立っただとか、素直に言える。
だが、怜南の保護者のような存在である秀介に、そのようなことを言ってもいいのかと躊躇った。
「里津さん、起きた事件を全部、解決することが、目標なんだって」
代わりに怜南が包み隠さず言った。里津は怜南が会話に混ざってくるとは思っていなくて、目を見開く。
里津に見られて、本当のことを言って驚かれたことを不思議に思い、怜南は首を傾げる。
「木崎さん、まさか……」
稜はその先を言わなかった。秀介も、言葉は発していないが、怜南と話した理由でその返答がくると、予想はできた。
もう逃げられないと思い、里津は息を吐く。
「怜南が巻き込まれた事件についての情報がほしかったんです。そのためには、怜南に事件のことを思い出してもらわなければならない。だから、過去と向き合ってほしいって言いました」
事件のことに触れないように、思い出させないように育ててきた二人からしてみれば、それこそ里津の行為は余計なことでしかなかった。
「……どうして木崎さんは、人が守って来たものを平気で壊すんですか」
稜は静かに怒りをあらわにした。机の上で握られた拳に、自然と力が入る。
「葉宮君たちが守って来た結果、出来上がったのは、一人では生きていけない甘えん坊。傷つくことを知らない、弱虫。立ち直り方がわからないから、新しいことに挑戦しようともしない、ヘタレ」
悪口のオンパレードだったが、誰も何も言わなかった。
怜南は自分がそう言われても仕方ないとわかっていた。稜と秀介はというと、お前たちがやってきたことは間違っていたと言われたような気がして、そろってショックを受けていた。
二人が黙ってしまうと会話が途切れ、里津は席を立った。
「私、帰りますね」
秀介たちはこの流れで帰ろうとすることに驚く。
「あ、そうだ。怜南、事件のこと思い出したら電話してね」
稜が引き留めようと口を開くが、それを遮るように怜南に言った。稜は言葉を飲み込む。
「電話……」
まだ電話をすることに抵抗があるのか、怜南は頷かなかった。
「そう、電話。よろしく」
だけど里津はそう断言し、怜南の返事を待たずに店を後にした。