お気に入りのワンピースを着て、傘をさして歩く。怜南の足取りは軽かった。

 雨水が傘に当たる音や、車が走ることでできる水しぶきの音など、聞いていて楽しい。そしてなにより、小さな水たまりに雨が降り注いでできる波紋を見ることが好きだった。

 散歩を楽しんでいたら、あっという間に目的地であるショッピングセンターに着いた。一枚目の自動ドアを開けて入ると、入り口で傘専用の袋に傘を入れると、入り口で傘専用の袋に傘を入れる。そして、二枚目の自動ドアを開いて店内に足を踏み入れた。

 ドラッグストアで化粧品を見たり、本屋に行って気になる本を探したりと、ウィンドウショッピングを堪能した。

 そして満足した怜南は、秀介に頼まれたものを買うために、一階の食品売り場に移動した。

 スマートフォンのメモを見ながらカゴに商品を入れていく。

「こんにちは」

 惣菜コーナーを見ていたら、誰かに声をかけられた。

 喫茶店の常連と出くわしてしまったかと思い、振り向く。

 そこに立っていたのは、私服姿の里津だった。

 怜南は昨日の里津とのやり取りを思い出し、また厳しい言葉を言われるような気がして、会釈をして逃げようとする。

「どこに行かれるんです」

 里津はすかさずそんな怜南の手首を掴んだ。

 怜南とこうして出会ったのは偶然だったが、稜がいない今が、話を聞くチャンスだと思った。この好機を逃すわけにはいかない。

 だが、里津を見る怜南は逃げたくてしかたなさそうだ。

「怜南さん、よかったら私と女子会しませんか」

 それでも怜南の目は怯えていた。

 このままではお茶をすることはできても、打ち解けることはほぼ不可能だ。

「あなたに聞きたいことも話したいことも、たくさんあるんです」

 職業病とでも言うべきか、とても怜南の心を開くための一言には聞こえない言い方をしてしまった。

 その自覚があり、今の言葉を打ち消せないかと、優しく微笑んだ。すると、怜南は一瞬迷ったが、首を縦に振った。

「では私の家に行きましょう」

 怜南の気が変わってしまわないうちに、里津は怜南の腕を引く。だけど、怜南は抵抗して里津の手から逃げる。

「どうしました? あ、いきなり家は嫌でした?」

 怜南は首を左右に振った。このままコミュニケーションをとることはできないと思い、怜南はカバンからスマートフォンを取り出した。

『叔父に頼まれた買い出しが終わってからでいいですか?』

 怜南のそれを見て、里津は自分も買い物中だったことを思い出した。

「もちろんです。では、またあとで」

 それから解散して、それぞれ買い物を済ませた。里津のほうが先に終わっていたようで、出入口付近で怜南を待っていた。

 店を出ると雨はやんでいて、青空が垣間見えた。

「お、雨上がってる」

 里津は空を見上げ、そうこぼした。怜南は雨が降っていないことを残念に思っていたため、里津の横顔を見つめる。さっきまで見せてくれた笑顔とは違う、感情のない目をしていた。

 怜南の視線に気付くと、微笑みを作る。少しでも怜南の警戒心をなくしたくて慣れない笑顔を作っているが、もうすでに疲れている。そのせいもあって、里津の笑顔はどこかぎこちない。

 怜南はそれがおかしくて、くすくすと笑う。明らかに笑われているのに、里津の表情は優しかった。少しでも怜南が心を開いてくれたのであれば、笑われても構わなかった。

「では行きますか」

 二人はまだ乾ききっていないアスファルトを踏み進める。

 水たまりに反射する青空に気を取られながら、里津の後ろを歩く。

「雨の匂い、すごいな……」

 怜南と会話するつもりがないのか、里津は独り言が多い。怜南も会話ができると思っていないため、雨で濡れた景色に集中する。

「そういえば、怜南さん」

 唐突に里津が振り返った。怜南は驚いて足を止めてしまう。里津は驚いて固まった怜南の隣に立ち、また家に向かって歩き始める。怜南もつられて足を前に出した。

 里津は怜南と会話をするつもりでいるため、怜南の歩幅に合わせて歩いている。

「さっきお店で私にスマホを見せてくれたみたいに、葉宮君たちともああやって会話をしてるんですか?」

 里津は怜南を気遣って、はいかいいえで答えられるようにボールを投げる。怜南は頷くだけなので、里津にボールが返ってくることはなかった。

「いちいち文字を打って、相手のほうに向けるのって、面倒だったりしません? 相手が読みやすい距離ってものそれぞれで難しかったりとか」

 怜南は話の意図が見えないまま、また頷く。

「そうだ、ライン交換しましょう。言いたいことがあれば、その都度送って、みたいなやり方だと、お互いに負担が減ると思いません?」

 里津はそう言いながら、ジーパンのポケットに入れていたスマートフォンを取り出す。

 さすがに会って二日目の人と連絡先を交換することは抵抗があったが、稜の知り合いなら悪い人ではないと思い、交換することにした。

 友達欄に、秀介と稜以外の名前が表示される。嬉しいようで、これでよかったのかという不安があった。

「怜南さんって、いくつなんです?」

 メッセージを送ればいいと言われたのに、ジェスチャーをする癖が身についているため、怜南はわざわざスマートフォンをカバンに戻して、右手でチョキ、左手でグーを作った。それは一人でじゃんけんをしているようにも見える。

「二十歳ですね」

 里津は笑いながら言った。怜南は急に自分がしたことが恥ずかしくなり、顔を赤くして俯いた。

「可愛くていいじゃないですか、一人じゃんけん」

 里津はフォローのつもりで言ったが、怜南はからかわれているようにしか聞こえなかった。

「やっぱり年下でしたね。私、敬語が苦手でして。なくてもいいですか?」

 その許可を取るための年齢確認だった。

 怜南の両親が殺された事件がいつなのか、そのとき怜南がいくつだったのか、その二つの情報から、現在の怜南の年齢を知ることはできる。

 だが、本人に年齢確認をして許可を取るのと、年下だと決めつけて許可を取るのとでは全く違う。

 そして、怜南は敬語がなくても問題ないため頷くが、その顔はまだ不満を語っている。

「一人じゃんけんって言ったの、そんなに嫌だった?」

 許可した途端、里津から敬語が消えた。一気に距離を詰められたような気がして、怜南の表情が硬くなる。

 里津はその変化を見過ごさなかった。

「……敬語なしが嫌なら、嫌って言ってください。ノーと言えない人間は周りに流されて、地獄を見ますよ」

 里津は呆れたように、敬語に戻す。すると、怜南はまたカバンからスマートフォンを取り出し、文字を打った。

 里津のスマートフォンがメッセージ受信の合図を出す。

「お、さっそく」

 里津は届いたメッセージを読む。

『嫌じゃないです。ただ、急に距離が近くなって、戸惑っただけです。慣れたら問題ないと思います。……多分』
「多分って」

 怜南のメッセージを読んで、里津は笑う。

「じゃあ、やっぱり敬語はなしってことで」

 怜南は返事の代わりに、小さく頷いた。