思わず一歩下がり身構える。あのオークションは一夜の夢。そういう建前のはずだ。それを主催者が破ることは信用問題に値する。
 笑みを崩さない公爵にイヴは眉根を寄せた。無意識にヴィンスの前に移動し公爵の視界から彼を隠そうと試みる。身長差があるため全く意味はなかったが。
 公爵はあくまでも友好的に話を続ける。礼儀正しく胸元に手を当て、

「いえね、私はイヴ様の魔術式を高く評価しているのですよ。だから、あなたの研究にはできるだけご協力差し上げたいと思っているのです」
「つまり……?」

 おそるおそる尋ねる。公爵は衣擦れの音もなくイヴとの距離を詰め、その耳元に囁きを吹き込んだ。

「あなたのお望みのものはリタレイン伯爵夫人がお買い上げされました。お分かりですか? その人狼をあなたと最後まで競り合っていたお方ですよ。伯爵夫人は自尊心が高く、ずいぶん嗜虐性の強い女性ともっぱらの評判ですから──どうぞ、お気をつけて」
「な……」

 イヴは体を強張らせる。背筋が冷たい手で撫でられたように震えた。あの夜、斜め後ろから見た女性の笑みが脳裏に蘇る。膝から力が抜けそうになったところをヴィンスが支えた。

「それでは失礼しますね」

 公爵は身を離すと優雅な足取りでその場を後にした。
 イヴは鳥肌の立つ腕で自分の体を抱きしめる。虫が這うような嫌な感覚が全身を覆っていた。