泣に涙なく叫ぶに声なく、
後に心神みだれ、
其肉の腐り爛れるを吝みて、
肉を吸、骨を嘗て、はた喫ひつくしぬ。
※
そこは様々な土地の人々と物が行き交う、賑やかな宿場の町だった。街道を挟むように店が軒を連ねて並んでいる。
通りすがる人々に土産物を売ろうとする店、軒先にも座敷をもうけた料理店、町の中心事業となる宿屋。呼び込みをする元気な声に、思わず足を止める人がいて、先を急ぐ人がいて。たくさんの人にあふれた町だった。
しかしそれは、ほとんど昼間に限ったことだ。
ここは山と山の間にある町だ。
夕刻も近くなれば、山越えをあきらめた人が、山向こうの隣りの町で宿を取る。先を急ぐ人は、夜になる前に山を越えようと町に見向きもせず、去ってしまう。
特に日は短く、寒気が体中を苛むこの時節、人波が絶えるのは早い。運が悪ければ雪に降込まれてしまう。誰もが足早に去っていく。
山に囲まれた宿場の町は、もう一つの山越えをあきらめた旅人が頓挫する場所だった。
東京を遠く離れた田舎には珍しく、瓦斯灯がしつらえられ、夜が安全なようにと図られてはいるが、夜はやはり暗く、ざわめきは昼とは異質のものになる。
まだ夕刻の手前、茶店の軒先に設けられた座敷に、長い黒髪を肩に垂らしてくつろいでいる人がいた。
髪を結うわけでもなく、短く刈るわけでもない。ただ長く背に垂らしただけのその髪は少し変わっている。
着物の丈を短く着込むのは旅人なら珍しくないが、それにしても短かった。袖も短く切り取られているが、見れば、艶やかな生地は上等のものだと分かる。生地と変わらぬ色合いの糸で施された刺繍は、目立ちすぎず細やかで、上品だった。
行きすぎる人がちらりちらりと振り返る。たがそれは、その成形だけのせいではない。むしろ整いすぎた中性的な美貌のせいだろう。すらりと伸びた脚を時折ばたつかせながら楽しげに笑って、焼き団子を頬ばっている。
「店員さん。お団子追加」
凜は弾んだ声で店の中に向かって声を上げる。明快な声は、少年のものだった。
かけられた声に応えて、はいはい、とあきれた声が店の中から返る。暖簾を両手で押し分けて、長く伸ばした髪を後ろで束ねたきりの男が姿を見せた。端整な顔立ちを渋くして。
「お前、いい加減にその辺りで」
「お客様に向かってその口調は良くないと思うけど」
凜は団子の串をくわえたままで楽しそうに言う。
「お客様、食べ過ぎはお体によろしくないかと存じます。最近、お顔が以前よりふっくらなさってきていらっしゃるようですし、おやめになった方がよろしいかと。串をくわえるのも御下品でございますよ」
にこりと、整った顔立ちで笑って柾は言う。言葉に反して、嫌みがこもらない、穏やかな笑みだった。それが、彼にとって不本意であっても。
中途半端に慇懃無礼な言葉で返してきた相手に、凜が厳しい目で睨む。
こちらは柾とは正反対に、我が儘のよく似合う人だった。それは相手に、仕方がないな、と思わせるようなものを匂わせたものであったけれども。甘えることにも、それを許されることにも慣れている。
「旦那さん。お宅の店の人が生意気なんですけど」
首を伸ばして奥へ向かって大声を上げた凜に、慌てて柾が同じようにして奥へ怒鳴る。
「なんでもありませんから。……追加、持ってくればいいんだろ」
「十、数えるうちね」
「無理だって」
「そうだねえ、財布すられて文無しになっちゃったとろくさい誰かさんには無理かもね」
「うるさいやい」
「ま、どうせ大した金額入っていなかったし、掏摸の方も、柾の財布なんか盗って後悔してると思うけれど」
「どうせ、凜ほど金持ちではありませんとも。お前は、金持ちをたぶらかすのがうまいから」
揶揄するように言われ、柾はいじけて奥へと引っ込んだ。凜は後ろ姿を満足そうに見送り、艶やかな笑みを浮かべて、嬉しそうに道を眺めて待っている。
この町に足を踏み入れる人の例に漏れず、旅人の彼らがこの町に立ち寄ったのは、未だ太陽が中天にあった頃だった。
このまま山を越えれば昼食を逃すことになると凜が駄々をこね、山越えの力づけにということでこの店に入ったのだ。そして食事をして店を出ようとしたとき、柾が財布をすられていたことに気がついた。
凜の財布は無事だったのだからかわりに払ってやれば良いものを、おもしろがって拒絶したので、柾は警察へ突き出されるかわりに、店で働くことで許してもらうことになったのだった。