人影は三つ、別れたときより多い。
「助けてくれ、助けて」
 旅人の、うわごとのような声がする。白刃がひらめいて、その喉笛を切り裂いた。鮮やかな色が空間を染め上げ、男は音を立てて地面に倒れた。

「化け物。寄るなあっ」
 彼と一緒にいた町の人間は、以前の柾と同じように、首を切り付けられたようだった。地面にへたりこみ、血のあふれる傷口を抑えながら、叫んでいる。

 血濡れた刀を持った人影は、そんな相手には目もくれなかった。血の海を広げながら倒れ伏す、もう一人の横に屈みこむ。
 柾は激しい自責の念にさいなまれながらも、血臭の元へ駆けつけた。


「おい」
 発せられた声に、屈みこんでいた人影が、立ち上がる。
 明かりの下、着流し姿の少年が立っている。着崩した襟元から覗く肌が、不安をあおる白さだった。骨が浮いて見える。うつむいた前髪が、顔を隠している。

「……綾都」
 口をついて出た。

 闇に沈む黒髪も、やけに白い肌も、痩せすぎた姿も、ひと月前の彼の姿を髣髴とさせた。あまりに危うく、今にも壊れそうに張り詰めた姿。
 まだ、生きていた。
 柾は驚き、同時に自分を(なじ)る。

 ――勝手に決め付けていたのか。もう死んだものと。
 そして、ひと月たった今でも、彼がこうして、一人で出歩けるほどの力を持っていることに驚いた。

 ――否。
 不自然に夜を照らす瓦斯灯の元、相手が顔を上げる。長く伸びた前髪の隙間から、目が覗いた。
 意志が強く、頑固さを潜ませた綾都の目ではない。

 ゆらめく目が向けられる。少し気弱で、真面目で、優しい色をたたえていた瞳からは、何もかもの明確な意志が見えない。
 口の周りを血で汚して、少年は揺々(ようよう)と笑った。

 そしてついでのような動きで、脇差を握った手を持ち上げる。
 初動に予想がつかなかった。白刃が光を返したのにハッとして、柾は慌てて刃の軌跡を避けた。切っ先が前髪を掠める。

「無駄だ。やめろ」
 叫ぶ。
「これ以上、馬鹿なことをするな。何の意味もないことくらい分かってるだろう」
 だが、相手が聞いている様子は無かった。再び刃を掲げる。しかし、それが振り下ろされることは無かった。

 いつかと同じように、人の足音が聞こえる。それも少ない数ではない。声を掛け合い、集まってくる。
 柾は相手から目を離さなかったが、相手は惑うように顔を彷徨わせた。

 そして白刃をしまうこともなく、血を滴らせたまま、突然踵を返す。唐突に、走り去っていった。人の作り出した光など届かない、夜の中に。



 追いかけることができなかった。唖然として背を見送り、再び大声で喚きだした男の声でハッとした。男は必死で傷口を抑えている。手があてがわれている箇所と血の量をみれば、致命傷ではない。

「落ち着け、大丈夫だから。もう行っちまったから」
 男の脇に膝をついて、なだめようと声をかける。だが男は、柾を見ても怯えて声を上げ続けた。そこにようやく、町の人間が駆けつけてくる。

「おい、大丈夫か」
 最初に到着した者は、現場を見て思わずのように足を止めた。それから慌てて、首を抑えて喚いている男の元に駆けつける。

 生き延びたのは町の人間、倒れ伏しているのは、旅の男だった。それは、町の人々にとっては、運のいいことに。犯人にとっては、折の悪いことに。
 しかも姿を見られている。人を襲っただけではない姿を。

「おい、これ、どうなってるんだ」
 誰かが大きな声を上げた。死んだ男の首もとの肉が、不自然に爆ぜている。

「食らってた。食ってたんだ、人間を」
 襲われた町の人間が、恐怖にひきつった声をあげた。上ずった声は、悲鳴よりもずっと遠く奇妙に響いた。人々の間を縫うように。
「あいつあいつあいつ、俺のことも、食おうとして」

 誰もが、知っていたはずだ。
 はじめは、屍肉を食らう盗人がでた。それがおさまったと思ったら、今度は人が襲われ、食らわれる事件が続いた。誰もが怯えて、門戸を閉ざして、家に閉じこもっていたのではなかったか。

 分かっていたとは言え、絵空事でしかなかった。だれも、現場を見たことが無かったのだから。
 男は喚き続けている。彼のそばに駆け寄っていた町の人間が慌ててなだめた。

「落ちつけ。もう逃げちまったよ」
 後ろから声がかかる。
「興奮させるな。血が流れちまう」
「近くの詰め所に運んで、早く手当てを」
「誰か、戸板を持って来い」
 現実から目をそむけるように、人々がせわしなく動き出した。