一つ目の墓が掘り起こされ、中の遺体が消えていたことについては、墓地を守っている寺が口を閉ざしていた。
けれどさすがに二度目になると、どこからか噂が町にこぼれ始めた。
寺の箝口令など、この狭い町で表向きだけの効果しかなかった。大っぴらに話題に上るようなことはなくても、密やかに人々の間で伝わっていく。
暴かれた墓をそのままにするのではなく、早く供養して元に戻すべきだという声も当然あったが、なにぶん、遺体そのものが消えてしまったままでは、手の施しようもない。
成す術もなく、そのままになっている。
しかし実際のところは、そういった物理的の問題ではなくて、遺体が消えたという現実に人々は怯えていた。
死に触れる穴を掘り起こした場所へ、死者への不敬の現場に近寄りたくない、種のわからない現象に触れたくないというのが、人々の本音であった。
けれど三件目にもなると、人為的なものを感じ始める。
しかも不審続きで、近頃は不慮の事故で命を落とすものが多い。暴かれた墓の五つのうち、はじめの一つだけが病気で命を落とした人のものであり、残りはすべて事故だった。
つまり、比較的新しいものばかりだ。
人を弔うとき、遺体を火にくべて火葬をおこなう土地と、そのまま埋めて土葬をおこなう土地があるが、ご一新により建てられた新政府が仏教を嫌い、一時火葬を禁止して、遺体をそのまま土地に埋めることが決められた。
その後、伝染病が流行り、生きた人間に害を及ぼすということで、火葬が推奨されるようになった。
だが、仏教を除こうとしたことも、今度の触れも、右へ左へと方針を変える政府に、こんな田舎の町でも反発する声が多かった。誰もがすんなりと従うものではない。
風習というものは、簡単に変えられるものでもない。この土地では、ずっと土葬が根付いている。掘り起こされた遺体は、腐りきらずにいたものばかりだろう。腐り始めてもいなかったかもしれない。
不慮の人死にが増え、その遺体が無くなったなどと、誰かが盗んでいったに決まっていると、人々は考えた。墓場の木の下、うずくまるようにして男も思う。けれど、そんなことをして一体どうするんだ、何になるんだ、と別の誰かが彼の心の中で囁いた。
土の中で、人々は密やかに眠りについている。彼らが、目を覚ましたのではないか。
体にかかる重い土を押しのけ、地面の中から掻き分けて、起き上がったのではないか。
どろどろに溶けたおぞましい姿で、異臭を撒き散らしながら、寝静まった町を歩き回るのではないか。我が物顔で、生きている者への妬心そのままに。
脳裏に、自分の妻が、鉛色をした怪物に襲われる光景が浮かび上がる。
男は必死の形相で首を振った。その想像を振るい落とそうとするかのように。化け物など、よりによって妻が襲われるなど。そんな訳がない。
これは人が、故人を悼む心も畏敬も持たない非常識な人が、自分には想像もつかない理由でしたことに違いない。
腹黒い、利益のことしか考えない、どうしようもない愚か者のしでかしたことなのだ。
相手が興味あるのは死体であって、生きている人はどうだっていいのだ。そう、遺体を盗むなどと、何を目的としているのか分からないけれど、自分には思いもつかないような、汚い方法で何かの稼ぎとなるのだろう、と言い聞かせる。
だから、死体が起きあがってくることなどない。墓が動いて、地面から人の手が突きだしてくることなどあり得ない。自分が襲われることも、妻が襲われることもない。
だけど何よりも、そういうことをしでかす人間の心情こそが、恐ろしい――
思ったとき、彼の耳は小さな物音を拾った。考えるよりも早く、衝動のまま顔を上げる。しゃがんだまま後ずさる。木の幹に体をぶつけて止まった。その拍子に、木の葉がざわめく。
ざわめきは手元からは遠く、かけ離れていると言うには近い。己から切り離せない距離からの騒音に、再び彼は戦慄した。自分のおこした音だというのに。
ビクリと肩をふるわせ、視界は辺りをせわしなく見回した。
どうせ、気のせいだ。
懸命に言い聞かせる。もし何かいたとして、猫か何かだ。そうに決まっている。山はいつでも鳴いている。獣の、蝙蝠の声で、風に揺られる草木の音で震えている。そんなもの、いつもどこにでもいる。何も特別なことはない。
何もいない。何もいないでくれと、必死に心で叫ぶ。
けれど、音が、動いている。しかも、こちらへ向かって。
木のさざめく音は、決して小さなものではなかった。もし何かいるとして、相手だって彼の存在に気がついているはずだった。なのに、まるで気にも止めず、向かってくる。風とでも思ったのか。――音が。
近づいている。地面を踏みしめる音が。明らかに猫とは違う、もっと大きなものが歩くような、音が。影が、近づいてくる。
闇の中、黒い影が墓石の向こうに動いているのが見える。
けれどさすがに二度目になると、どこからか噂が町にこぼれ始めた。
寺の箝口令など、この狭い町で表向きだけの効果しかなかった。大っぴらに話題に上るようなことはなくても、密やかに人々の間で伝わっていく。
暴かれた墓をそのままにするのではなく、早く供養して元に戻すべきだという声も当然あったが、なにぶん、遺体そのものが消えてしまったままでは、手の施しようもない。
成す術もなく、そのままになっている。
しかし実際のところは、そういった物理的の問題ではなくて、遺体が消えたという現実に人々は怯えていた。
死に触れる穴を掘り起こした場所へ、死者への不敬の現場に近寄りたくない、種のわからない現象に触れたくないというのが、人々の本音であった。
けれど三件目にもなると、人為的なものを感じ始める。
しかも不審続きで、近頃は不慮の事故で命を落とすものが多い。暴かれた墓の五つのうち、はじめの一つだけが病気で命を落とした人のものであり、残りはすべて事故だった。
つまり、比較的新しいものばかりだ。
人を弔うとき、遺体を火にくべて火葬をおこなう土地と、そのまま埋めて土葬をおこなう土地があるが、ご一新により建てられた新政府が仏教を嫌い、一時火葬を禁止して、遺体をそのまま土地に埋めることが決められた。
その後、伝染病が流行り、生きた人間に害を及ぼすということで、火葬が推奨されるようになった。
だが、仏教を除こうとしたことも、今度の触れも、右へ左へと方針を変える政府に、こんな田舎の町でも反発する声が多かった。誰もがすんなりと従うものではない。
風習というものは、簡単に変えられるものでもない。この土地では、ずっと土葬が根付いている。掘り起こされた遺体は、腐りきらずにいたものばかりだろう。腐り始めてもいなかったかもしれない。
不慮の人死にが増え、その遺体が無くなったなどと、誰かが盗んでいったに決まっていると、人々は考えた。墓場の木の下、うずくまるようにして男も思う。けれど、そんなことをして一体どうするんだ、何になるんだ、と別の誰かが彼の心の中で囁いた。
土の中で、人々は密やかに眠りについている。彼らが、目を覚ましたのではないか。
体にかかる重い土を押しのけ、地面の中から掻き分けて、起き上がったのではないか。
どろどろに溶けたおぞましい姿で、異臭を撒き散らしながら、寝静まった町を歩き回るのではないか。我が物顔で、生きている者への妬心そのままに。
脳裏に、自分の妻が、鉛色をした怪物に襲われる光景が浮かび上がる。
男は必死の形相で首を振った。その想像を振るい落とそうとするかのように。化け物など、よりによって妻が襲われるなど。そんな訳がない。
これは人が、故人を悼む心も畏敬も持たない非常識な人が、自分には想像もつかない理由でしたことに違いない。
腹黒い、利益のことしか考えない、どうしようもない愚か者のしでかしたことなのだ。
相手が興味あるのは死体であって、生きている人はどうだっていいのだ。そう、遺体を盗むなどと、何を目的としているのか分からないけれど、自分には思いもつかないような、汚い方法で何かの稼ぎとなるのだろう、と言い聞かせる。
だから、死体が起きあがってくることなどない。墓が動いて、地面から人の手が突きだしてくることなどあり得ない。自分が襲われることも、妻が襲われることもない。
だけど何よりも、そういうことをしでかす人間の心情こそが、恐ろしい――
思ったとき、彼の耳は小さな物音を拾った。考えるよりも早く、衝動のまま顔を上げる。しゃがんだまま後ずさる。木の幹に体をぶつけて止まった。その拍子に、木の葉がざわめく。
ざわめきは手元からは遠く、かけ離れていると言うには近い。己から切り離せない距離からの騒音に、再び彼は戦慄した。自分のおこした音だというのに。
ビクリと肩をふるわせ、視界は辺りをせわしなく見回した。
どうせ、気のせいだ。
懸命に言い聞かせる。もし何かいたとして、猫か何かだ。そうに決まっている。山はいつでも鳴いている。獣の、蝙蝠の声で、風に揺られる草木の音で震えている。そんなもの、いつもどこにでもいる。何も特別なことはない。
何もいない。何もいないでくれと、必死に心で叫ぶ。
けれど、音が、動いている。しかも、こちらへ向かって。
木のさざめく音は、決して小さなものではなかった。もし何かいるとして、相手だって彼の存在に気がついているはずだった。なのに、まるで気にも止めず、向かってくる。風とでも思ったのか。――音が。
近づいている。地面を踏みしめる音が。明らかに猫とは違う、もっと大きなものが歩くような、音が。影が、近づいてくる。
闇の中、黒い影が墓石の向こうに動いているのが見える。