「お前たち、親戚か何かなのか」
 寝具の上に転がったまま、綾都は凜を見上げて問いかける。

「まあね」
「本当に駆け落ちか」
「信じてるなら、それでもいいけど」
 寝具の横に膝を立てて座り、興味の薄い顔で凜が答える。ひねくれた答えに、綾都はくすくすと笑った。

「本当だったら、追っ手には嘘を教えておいてやるから、心配するな」
「それはどうも」
 凜はやはり気のない返事をする。そんなことよりも明確でない答えが気に入らないようで、綾都はつまらなそうに言う。
「駆け落ちだったら、おもしろいのに」
「あんたね」
「ちょっと、仲間意識だよ。うちも家が面倒だから」

 別に不幸とか苦労を面白がってるわけじゃない、と綾都は手を振る。物語のような恋愛に憧れる少女でもあるまいし、夢を見ているわけでもない。
「うちは、名家と呼ばれているだけで、実際にはいろいろあってさ」
「相続争いね」
 ありがち、と呟く声が聞こえる。
「まあ。似たようなもんかな」
 それはとても長い間、慎司と綾都が捕らわれてきたことだった。

「大事なのは家の体裁だ。それだけのために、俺も慎司も、親たちも振り回された」
 澱んだ思惑。どす黒い血だ、と苦々しく思う。

 家が長く続くところほど、黒い血が流れているものだ。嫌になるくらい。
 この肌を切り裂いて溢れてくるものは、本当は赤く熱い血などではないのだろう。泥の血、と祖母が言ったように。
 泥なのは、久我の血だ。大名家筋だとか宮家の姫君をお嫁にいただいたとか、大層な事を口にしたところで、実際にあるのは、どれほど卑しい身分の者よりも穢れた血でしかない。だから病に憑かれるのだ。

 祖父も、叔父も、同じ病に斃れている。
 血に潜む病。淀んだ人の意識が(こご)ったかのようだ。何かの呪いのように、赤い膿が飲み込んでいく。

「本当は、俺が家を継いだかもしれなかった。誰もに騙されてるのかもしれないな」
 言いながら、ようやく、綾都は先程腕を怪我したのを思い出した。

 寝具から腕を出して月明かりにかざして見ると、血はとっくに止まっているようだった。衣服に擦れた血は、薄く伸び広がって固まっている。土に汚れ、赤黒くこびりついている。
 妙に納得して綾都は笑った。見知らぬ人間に気を取られた慎司は気づかなかったのだろう。それで十分だ。手当てなど、必要も無い。

「そういえば、奪われたとか言ってたっけ」
 そう、と綾都は笑う。
「騙されていたら、俺は可哀想だな」
 あっけらかんと。悲観している様子も無く、能天気に言う。

「二十年も生きられなかった。家をとられた。もっとやりたいことがあった。外を走り回るのが好きだった。閉じ込められて、何も出来なくなった」
「決め付けるなんて、馬鹿馬鹿しい。諦めが潔いとでも思ってるわけ」
「死ぬのを、決め付けてるんじゃない。事実だ」
 凜には、柾を思い出させて少し腹が立った。飄々と、暢気に覚悟を決める人種だ。
 そんな彼の耳に、ぽつりとつぶやいた綾都の言葉が忍び込んでくる。

「でも慎司の方が、可哀想だ」
 静かに、それは悲しく。
 凜は大仰にため息をつく。この部屋には、この家には、病の気配が、月も暴き出せない四隅に満ちている。揚々とした人の息は、その狭間に沈んで落ちる。

「どうしてぼくに構うわけ」
 綾都は、何を言われたか分からなかったようで、少し考えるような仕種をした。それからまた笑う。

「ああ」
 昼間、うちに泊めてやる、と言った。自棄なのも、嘘ではない。それに。
「一心同体なんて恥ずかしげもなく言うからさ」
 一緒にいた男だって、それを否定はしなかった。

「能天気でいいな。何も考えないで、二人で暢気に生きていられて、うらやましい」
 馬鹿にされているようだが、本人にその気がないのが分かっていたから、凜は黙っていた。いつもなら、それが分かっていても文句を口にするのに、黙っていた。

「見え透いてるよ」
 慎司にきつく当たる、その理由。
「それでもなにかせずにはいられないものなのさ」
「無意味だって言ってるんだよ」
「知ってるよ。それでも、希望を持つのを止められるのか」

 願うことを否定できるか。
 不可能だと、無意味だと知っていても。

「非力だね」
 人の、力なんて。
「まったくだ」
 願うことしか、できない。託すことしか。
 祈ることしか。
「ひとつ、聞いてくれないか」