寺の敷地内も、さほど明るいわけではない。明かりに使われる材料は高価で、普段はそんなに使用しないものだ。
 かといって、薪で辺りを煌々と照らすのも大仰過ぎるという判断で、辺りを照らすのは月明かりばかりだった。

 寺はそうやって大々的に行動を起こすことで、事を大袈裟にして、町の人々を驚かせなくないと主張している。
 例え、起きた事件や事情が漏れてはいても、何とかなる程度の出来事なのだと、主張したがっている。
 見張りや見廻りに、町の自警団のような彼らを使うのも、そういった理由だった。

 その主張も、警官隊を頼まなかったのも、本当はただ寺の威信を保つためだと誰もがわかっていて、あえて口にはしなかった。
 そんなことを暴いたところで、何かが良くなるわけでもないし、あえて反論しなければならない理由もない。
 そして、大袈裟な揉め事を望まないのは、誰もが同じだった。もともとこの土地は、そうやって自分たちのことは自分たちで解決してきた。

 ここは、外部からの来訪者を相手に商売をし、旅人の落とす金銭が町を支える収入源だ。大事にして妙な噂が流れ、人が来なくなることのほうが恐ろしい。

 一行の賑やかさと、彼らの携えてきた手燭の明かりから離れた途端、男は急に心細さに襲われていた。
 出掛けに、心配する妻に言われるままに衣服を着込んできたはずだったが、風までも寒気を増した気がする。人の気配の温かさを痛感する。自然と体に力が入って、背が丸くなる。

 そうして彼が足を踏み入れたのは、墓場だった。覚悟をしていても、夜中に独りで墓石の間をぬっていくのは、少しも心地よいものではなかった。闇の中で墓石は、仄かな月明かりに、薄く浮かび上がるようだ。
 前任は一体どこにいるのだろうと、首を巡らせながら、転ばないように、足元にも細心の注意を払う。すり足のような動きで、そろそろと歩いていく。

 墓場の一角、高く巡らされた塀の前に、大きな木が連なるように植えられている。その根本に座り込む人影を見つけたときは、ホッとする前にぎくりとした。すぐに相手が誰か気づいて、底なしの安堵に変わる。
 相手も少し肩をふるわせて驚いたようだった。それから気恥ずかしそうに笑いながら手をあげる。

「おお、交代か」
「おつかれさんです」
 人に会ってこんなにホッとしたのは初めてかも知れないと思って、それから心の中で妻に謝罪する。小走りになって近くまで行くと、髭面の男は、やれやれとつぶやきながら腰を上げた。

「やっと帰れるか」
 緊張が解けた様子で、あくび混じりだった。
「お前んとこも、新婚さんだってのに悪いなあ。嫁さんが不安がってるんじゃねえのかい」
「ええ、でもしかたねえですよ」

 そう答えるしかない。ここは山に閉ざされた町の中だ。
 決して小さな集落ではないと言え、ささいな情報がすぐにも隅々まで行き渡るようなところだ。そんな中、お前も加われと言われて断れるわけがない。

 交代した男は髭をなでながら頷くと、じゃあがんばれよ、と言って片手をあげてから、あっさりと行ってしまった。彼も、こんなところに長居はしたくないだろう。

「お疲れさんです」
 もう一度その背に声をかける。見えなくなってから、先刻目の前で交代した男がしたように、やれやれとつぶやいた。
 彼がしていたように、木の根本に腰を下ろす。



 他の場所に行っていた者たちも交代を終えたのだろう。聞こえていた話し声もなくなり、辺りは静まり返ってしまった。夜なのだから、それで当然なのだが。

 家を出るときは、妻には意地や見栄もあって大丈夫だと言い張ったが、実際に来てみるとやはり気味が悪い。まだ、ひとりでなければましだろうなと思う。
 情けないが、明日朝すぐにでも、見張りは一ヶ所二人にした方が良いのではないかと進言しよう。
 そう堅く決意して、静まり返った空気の中にそろそろと息を吐く。先刻はこの静けさが怖かったが、今逆に物音が聞こえたら俺は逃げ出さずにいられるだろうかと、考えてしまった。

 普段でも夜の墓場など近寄りたくもないところなのに、墓から死体が消えたとなれば、尚更だった。
 ここしばらくの間、目の前の墓場の中、納められていた遺体が消える事件がおきている。

 一体どの墓かを確認したわけでもないし、彼の視界に入っているわけでもなかったが、目の前に広がる墓場の中に、暴かれた墓はそのまま放置されている。
 もうすでに五つの墓から遺体が消えていた。こうにもなるまでこの事件が放置されていたのは、やはり人々の恐れからだった。