すると襖が音を立てて豪快に開かれると、なぜかそこには狐姿に戻ったお菊さんと、総菜屋の【小豆洗い】の豆太くんがお盆に山積みにされたおはぎを持って立っていた。

「じゃまするぞっ! おまえら元気かー?」
「え、なんで……?」
「お菊から、二人が落ちこんでるって聞いて差し入れもってきた!」
『ちょっと、私は何も……』
「え? ちがうのか? 元気にしてあげたいって言って……」
『うわあああ! それ以上口を開くと燃やすわよ!』

 満面の笑みで話す豆太くんに、お菊さんは器用に前足でおはぎを掴むと、そのまま彼の口に突っ込んだ。

『むぐっ!? おはひふっこむま!』
「おおお菊さん!? 駄目だよ! 喉に詰まらせたら大変!」
『大丈夫よ。だって妖怪だもの』
「妖怪でもやっちゃ駄目! 豆太くん、大丈夫?」

 慌てて豆太くんの元へ寄ると、彼の持っていたお盆を受け取る。飲み物をと思った頃には、既に口をもぐもぐと動かして飲み込んでいた。この間貰ったときと同じくらいの握り拳の大きさだったのに、一口で食べきると満面の笑みを浮かべて豆太くんは言う。

「やっぱりおはぎは最高だな! くのも食べてくれよ!」
「え、いや……えっと」
「ほら、遠慮すんなって!」
『お望みなら、貴女の分もそのだらしない口に突っ込んであげるわよ?』
「ちょっと待って!? 落ち着いて!」

 いつの間にか作間くんの肩に飛び乗っているお菊さん。それをどこか嬉しそうに微笑んで見つめている作間くんが、お菊さんの頭を優しく撫でた。

「菊、危ないから久野さんや豆太にやっちゃ駄目だよ。やるなら本谷さんにして」
「よし、お菊の愛はボクが受け止めてあげよう! 遠慮せずにさぁ、ボクの胸に飛び込んでおいで!」
「二人とも便乗しないで!」

 ああ、収集がつかない!
 肩から飛び降りようするお菊さんと対面している本谷さんの間に入る。この二人ならやりかねないし、ここで本谷さんが窒息したら大事になってしまう。

「食べ物で遊ぶと罰が当たりますから! ほら、お茶を用意しますから、遊ばずに皆で一緒に食べましょう! ね?」
『……仕方がないわね』
「ええー……ちょっと楽しみだったのに」
「本谷さん、ちょっと黙ってて」
「おれ食べないけど手伝うー! いこうぜ、くの!」

 残念そうな本谷さんに一喝入れると、私と豆太くんは和室の台所に行ってお茶の準備をする。
 取り分け用の皿を取ろうと棚を開けると、この前来た時に使った三つの小皿の他に、新しい白い小皿が置かれていた。よく見れば湯呑も前は三つしかなかったのに一つ増えている。

「あ! それ、くのの湯呑だぞ!」
「え?」

 湯呑を手に取って見ていると、豆太くんが嬉しそうに言う。

「それな、お菊と骨董屋に行ってもらってきたんだ。さくまと【しぐれさま】の友達が使うものだからって言って、お菊とおれが選んだぞ!」
「そう……なんだ……」

 書店でおはぎを食べたときにお菊さんだけ外に出て行ってしまったのは、本当に私が使う食器を選んでくれていたんだ。

「……あのな、くの」

 急にしょぼくれた声になった豆太くんは、悲しそうな顔で言う。

「おれもお菊もな、今までいろんな人間見てきたよ。みよこさんの両親もじじばばも、その前もじじばばともずーっと一緒に生きてきた。おれたちにしてみたら人間が生きてる期間なんてあっという間で、つまらないだろうなーって思ってたんだ。でも、【しぐれさま】が『短いからこそ共に生きて笑い、人間が忘れた記憶を妖怪が覚えておくべきだ』って教えてくれたんだ。だからー……ええっとー……その、おれたちは人間と生活できてうれしいんだぞってわかってほしい、っていうか」

 もうわかんねー! 恥ずかしいーっ! ――と頬を赤らめ、ぐしゃぐしゃと髪を掻きまわす。
 どうやって言葉で伝えたら良いのかなんて、人間だって苦手だ。
 妖怪という生き物は元を辿れば人間の恐怖や憎しみから生まれたと、本谷さんが言っていたように、豆太くんもお菊さんも、考え方がどこか人間らしい。

「……ありがとう」

 私は屈んで豆太くんの目線になって彼の頭を撫でる。一瞬キョトンとした顔になったが、すぐニッコリと笑ってくれた。
 先程の本谷さんの話で気持ちがどんよりと沈んでいたけど、どこか軽くなった気がした。
 新しい小皿とお茶の準備をして戻ると、なぜか本谷さんがお菊さんに足蹴にされて作間くんが大笑いしているという、なんともシュールな光景が広がっていた。
 
 その日の翌日、マネージャーから正式に今月末の出勤日で現場勤務が終了することが決まったと電話で通達された。
 スマートフォンの向こう側から聞こえるマネージャーの声はとても上機嫌で、「久野さん、スタッフにセクハラもしたんでしょ? それは駄目だよねぇ」と言ってきたので、あえて落ち着いた口調で否定し、退職する旨を伝えた。
 悔しい反面、なんだか清々しい気持ちだったのはきっと、私の中でようやく吹っ切れたからなのかもしれない。