***
十一月下旬、御蔭寮はにわかに浮き足立つ。
大学の学園祭が、前夜祭を含めると五日間おこなわれる。その五日目と同日の夜には、御蔭寮の収穫祭もある。
この時期を楽しいと感じたことはない。
一回生のころはわくわくして待ち構えていた。学園祭なんて初めての経験だったから。
でもダメだった。
取り立てて嫌な出来事があったわけではない。ただ何となく、うまく楽しめなかった。はしゃぎ方がわからなかった。置いてけぼりになった。
ダメだなあ、わたし。
そう思ったら、体調まで引きずられた。御蔭寮の収穫祭は、寝込んでいるうちに終わってしまった。
わたしは人並みのことができないんだ、と痛感した。だからもう、お祭りに心を躍らせるなんていうことも、初めからしたくない。
自分に期待するから、自分に裏切られてしまう。期待するほうがバカだ。それって、なんて情けないことだろう。
この時期は本当に鬱々としてしまう。そうでなかったら、いらいらと。
それなのに、だ。
わたしのまわりには、なぜこうもお祭り人間が多いのか。
切石にせよ巡野にせよ、わざわざ学園祭の公式パンフレットまで買ってきて、ああだこうだと模擬店談議に花を咲かせる。かつてわたしがチラッと参加していた文芸サークルの友達からも、同人誌を買ってくれとメッセージが来た。
寮主催の収穫祭のほうも、準備が盛り上がっている。祭りと言えば肉を食べそうなものだが、御蔭寮では違う。振る舞われる料理はすべて寮内で採れる材料でまかなわれる。野菜がメインだ。魚はあるが、肉はない。
幸い、わたしはもう大学院生になっている。年下の寮生たちが祭りの話を持ち掛けてきても、しかめっ面で応対すればいい。
「学園祭も寮祭も、学部生がメインで回すものだよ。院生はそういうのから卒業したの。年寄りにかまうのは時間の無駄でしょ。学園祭のチケットを買ってほしいんなら、よそを当たって」
適当にやり過ごせばいい。文芸サークルの同人誌は、切石か巡野に頼もう。去年と同じだ。
その予定だったのだが。
学園祭のスケジュールも残すところあと一日となった夜のことだ。切石がわたしの部屋を訪れた。
切石はたった今帰ってきたばかりらしかった。鉄板焼きの匂いがする。お好み焼き屋にでも寄ってきたのだろう。今日は洋装だ。黒のニットにダメージジーンズ。灯火の色の髪は襟足で一つにくくっている。
わざとらしい困り顔で、切石は言った。
「すまんなあ。同人誌の件、すっかり忘れとったわ」
「えっ? 巡野と二人で前夜祭からガッツリ遊び回ってたのに、文芸サークル、行ってくれなかったの?」
「せやから、忘れとったんやって。堪忍な」
「明日、行ってきてよ」
「明日はあかんわ。わしは寮祭の準備に手ぇ取られるさかい。巡野も何や忙しい言うてたんと違うかな。いやー、困ったわー」
「……自分で行けって? わたしにとってあの空間がすっごいきついって、わかってるよね?」
「いやいや、そんな無体なことは言うてへんやん。いやー、ほんま悪いなあ」
切石は大きな手をぱたぱたと振ってみせる。けれども、面の皮一枚ぶんも反省している様子がうかがえない。この野郎。
と、そのときだ。
「ねえ、これ、何て書いてある?」
沖田が紙片を手に、部屋からひょっこりと顔を出した。細長い紙片だ。この学園祭シーズンには馴染み深い、近所の印刷屋で作ったとおぼしきデザインの代物。
わたしはうんざりした。
「何のチケット? 学祭絡みの何かだよね?」
「だから、おれには読めないんだってば。異国の文字だらけだし、カニが歩くみたいに横向きに書かれると、仮名文字でも目が滑って読めない」
「誰からもらったの?」
「長江さんに渡された。ずるいよね、あの人。あの声で呼び止められると、気合を入れなけりゃ振り切れない。それで、これは何?」
沖田はわたしにチケットを押し付けた。何でキッカリ二枚なの。
「インディーズロックバンドのライヴコンサートのチケットだって。アリーナ席。ステージ企画なのに異例のチケット制、ソールドアウト必須って書いてある」
「だから、それ何? 一つも意味がわからないんだけど」
「音楽の演奏会だよ。人気があるらしくて、音がきれいに聴こえるところで聴くためには、この札を持ってないといけないの」
「なるほど。長江さんも説明してくれたけど、わからなかったんだ。とりあえず、友達が出演するから浜北さんと二人で聴きに行ってほしい、それだけわかればいいよ~って言われて」
わたしは額を押さえた。からかい好きな伊達男のにやにや笑いが目に浮かぶ。
「どうしてわたしが?」
切石が、ばしんと沖田の肩を叩いた。
「よし、うちの大将を沖田に貸し出したるわ。よろしゅう面倒見たってや」
「ちょっと、切石」
「大将は買わなあかん本もある言うてはるし。せっかくやから、沖田もこの時代の祭りをじっくり楽しんだらええ」
十一月下旬、御蔭寮はにわかに浮き足立つ。
大学の学園祭が、前夜祭を含めると五日間おこなわれる。その五日目と同日の夜には、御蔭寮の収穫祭もある。
この時期を楽しいと感じたことはない。
一回生のころはわくわくして待ち構えていた。学園祭なんて初めての経験だったから。
でもダメだった。
取り立てて嫌な出来事があったわけではない。ただ何となく、うまく楽しめなかった。はしゃぎ方がわからなかった。置いてけぼりになった。
ダメだなあ、わたし。
そう思ったら、体調まで引きずられた。御蔭寮の収穫祭は、寝込んでいるうちに終わってしまった。
わたしは人並みのことができないんだ、と痛感した。だからもう、お祭りに心を躍らせるなんていうことも、初めからしたくない。
自分に期待するから、自分に裏切られてしまう。期待するほうがバカだ。それって、なんて情けないことだろう。
この時期は本当に鬱々としてしまう。そうでなかったら、いらいらと。
それなのに、だ。
わたしのまわりには、なぜこうもお祭り人間が多いのか。
切石にせよ巡野にせよ、わざわざ学園祭の公式パンフレットまで買ってきて、ああだこうだと模擬店談議に花を咲かせる。かつてわたしがチラッと参加していた文芸サークルの友達からも、同人誌を買ってくれとメッセージが来た。
寮主催の収穫祭のほうも、準備が盛り上がっている。祭りと言えば肉を食べそうなものだが、御蔭寮では違う。振る舞われる料理はすべて寮内で採れる材料でまかなわれる。野菜がメインだ。魚はあるが、肉はない。
幸い、わたしはもう大学院生になっている。年下の寮生たちが祭りの話を持ち掛けてきても、しかめっ面で応対すればいい。
「学園祭も寮祭も、学部生がメインで回すものだよ。院生はそういうのから卒業したの。年寄りにかまうのは時間の無駄でしょ。学園祭のチケットを買ってほしいんなら、よそを当たって」
適当にやり過ごせばいい。文芸サークルの同人誌は、切石か巡野に頼もう。去年と同じだ。
その予定だったのだが。
学園祭のスケジュールも残すところあと一日となった夜のことだ。切石がわたしの部屋を訪れた。
切石はたった今帰ってきたばかりらしかった。鉄板焼きの匂いがする。お好み焼き屋にでも寄ってきたのだろう。今日は洋装だ。黒のニットにダメージジーンズ。灯火の色の髪は襟足で一つにくくっている。
わざとらしい困り顔で、切石は言った。
「すまんなあ。同人誌の件、すっかり忘れとったわ」
「えっ? 巡野と二人で前夜祭からガッツリ遊び回ってたのに、文芸サークル、行ってくれなかったの?」
「せやから、忘れとったんやって。堪忍な」
「明日、行ってきてよ」
「明日はあかんわ。わしは寮祭の準備に手ぇ取られるさかい。巡野も何や忙しい言うてたんと違うかな。いやー、困ったわー」
「……自分で行けって? わたしにとってあの空間がすっごいきついって、わかってるよね?」
「いやいや、そんな無体なことは言うてへんやん。いやー、ほんま悪いなあ」
切石は大きな手をぱたぱたと振ってみせる。けれども、面の皮一枚ぶんも反省している様子がうかがえない。この野郎。
と、そのときだ。
「ねえ、これ、何て書いてある?」
沖田が紙片を手に、部屋からひょっこりと顔を出した。細長い紙片だ。この学園祭シーズンには馴染み深い、近所の印刷屋で作ったとおぼしきデザインの代物。
わたしはうんざりした。
「何のチケット? 学祭絡みの何かだよね?」
「だから、おれには読めないんだってば。異国の文字だらけだし、カニが歩くみたいに横向きに書かれると、仮名文字でも目が滑って読めない」
「誰からもらったの?」
「長江さんに渡された。ずるいよね、あの人。あの声で呼び止められると、気合を入れなけりゃ振り切れない。それで、これは何?」
沖田はわたしにチケットを押し付けた。何でキッカリ二枚なの。
「インディーズロックバンドのライヴコンサートのチケットだって。アリーナ席。ステージ企画なのに異例のチケット制、ソールドアウト必須って書いてある」
「だから、それ何? 一つも意味がわからないんだけど」
「音楽の演奏会だよ。人気があるらしくて、音がきれいに聴こえるところで聴くためには、この札を持ってないといけないの」
「なるほど。長江さんも説明してくれたけど、わからなかったんだ。とりあえず、友達が出演するから浜北さんと二人で聴きに行ってほしい、それだけわかればいいよ~って言われて」
わたしは額を押さえた。からかい好きな伊達男のにやにや笑いが目に浮かぶ。
「どうしてわたしが?」
切石が、ばしんと沖田の肩を叩いた。
「よし、うちの大将を沖田に貸し出したるわ。よろしゅう面倒見たってや」
「ちょっと、切石」
「大将は買わなあかん本もある言うてはるし。せっかくやから、沖田もこの時代の祭りをじっくり楽しんだらええ」