「浜北さん、あのさ……悪いね」
急に言われて、何のことかわからなかった。
「悪いって?」
首をひねる。沖田のほうを向いたら、沖田もわたしを見ていた。霞《かす》んだ視界の真ん中で、沖田は眉間にしわを寄せた。
「他人の病を預かるなんて、正気の沙汰じゃあないよ。命知らずの新撰組でも、誰もそんなこと思い付きもしなかった」
わたしは笑った。そのはずみで、一つ、気味の悪い咳が出た。
「慣れてるから気にしないで」
「慣れてる?」
「こういう除霊の仕事中、切石や巡野が怪我をしたり、呪いを負ったりする。そのときは、わたしが全部預かって、二人に前線で戦ってもらう。それが、いつもの役割分担」
「汚れ仕事じゃないか。病も怪我も呪いも、ケガレだ。そんなものを一人で引き受けるなんて」
「だから、役割分担。わたしが代わりに汚れれば、切石も巡野も、今のきみも、望むとおりに動ける」
沖田は竹のコップの水を飲み干した。
「斎藤一って知ってる?」
「本名は山口一。新撰組三番隊組長。寡黙で、密偵や粛清みたいな汚れ仕事を……」
途中まで言って、沖田の脳裏にひらめいたものが何なのか、わかった。
沖田はため息をついた。眉間のしわにも話しぶりにも、いらだちがにじんだ。
「役割だから、適任だからって、一人で汚れ仕事を背負い込むのはどうなんだ? 平気だって言いながら、ぼろぼろになってさ。そんな嘘は聞きたくない。口下手だけど正直な山口一は、もうどっかに行っちまった」
「それは、でも……ッ」
口答えは、せり上がってきた咳に阻まれた。抑えようもなく咳き込む。血のような腐ったような、嫌な匂いがする。
わたしは口を押さえ、背中を丸めた。胸の奥で、ぜいぜいと不気味な音がする。胸も喉も痛い。呼吸の反動で引っ張られる背中も痛い。
呼吸がままならない。たちまち酸欠になって、頭がぐらぐらした。
「だから言ってるじゃないか」
怒ったような声とともに、ぐいと肩を抱かれた。
温かい。
沖田の胸に体を預ける格好だ。高熱があるのに冷え切ったわたしの体は、沖田の体温を心地よく、頼もしく感じた。
やせっぽちな男だと思っていた。でも、肩も胸もこんなに広い。
「今すぐ返せ。それはおれの病だ」
わたしはかぶりを振った。目を閉じる。自分の呼吸の音と、沖田の鼓動の音が聞こえる。
「寮に帰るまでは、仕事だから」
「じゃあ、今すぐ帰るよ」
「無理。立てない」
「おれが背負っていく」
「やだ」
「どうして?」
「重たいから。わたしを運ぶのは切石の役割」
「切石さんはまだ、あっちで騒いでるよ。あの様子じゃあ、こっちへ引っ張ってくるわけにもいかない」
わたしは目を開いた。沖田が見ている景色を、わたしも視界に映す。
切石も、嫌がっていたくせに巡野も、ラーメンどんぶりを手に、寮生たちを笑い合っている。
彼らはいつも、麺もチャーシューも大盛りだ。それだけじゃなく、替え玉まで平らげる。あれだけにぎやかに笑ったりしゃべったりしながら、食べるのも妙に素早くて、スープが熱いうちにペロリだ。
見ているだけで笑みが湧いてくる。
「楽しそうでしょ、あいつら」
「そうだね」
「きみもあっち行ってきていいよ」
「気が向かない。あんたのせいで、おれは今、機嫌が悪いからね」
「それって、わたし、謝ったほうがいい?」
沖田は無言で否定した。首を左右に振る動きが、くっついて支えられているから、わたしにもわかった。
だけどね、と、わたしは言い訳をした。
「わたし、この距離、気に入ってるんだよ。京都に来て寮に入るまで、とにかく体が弱くて。昔のことを思えば、この場所であいつらを見ていられること自体、奇跡みたい」
「体が弱かった? 病でもあったのか?」
「人工エレキに対する拒絶反応だよ。食べられるものが限られる。機械のそばにいると具合が悪くなる。おまけに、病院に行けば、無意識のうちに次から次にケガレを拾って預かってしまう」
「よく生きてこられたもんだね」
「ほんと。自分でもそう思う」
京都でならもっと安全に暮らせるかもしれない、と知ったのは中学生のころ。社会科の教科書に、京都は龍脈の影響で古来の栄励気が豊富な土地柄だ、と書いてあった。
高校にはあまり通えなかった。家にいて自力で勉強した。必死にやって、京都の大学に受かった。
「わたし、京都に越してきて、人生が変わった。こんなわたしでもまともに生きられるんだって、それを実感した」
「一旗揚げに、京都に来たの?」
「そうとも言えるかもね」
沖田が小さく笑うのが、沖田の胸の振動でわかった。
「おれたちと同じだ。江戸を出て、京都で将軍家のために働けば、貧乏武士だろうが郷士だろうが、取り立ててもらえる。おれたちにはその力があるって言ってさ、みんなで京都に出てきた」
「同じだよね。京都でなら、自分らしく、自分の力を振るって、生きていけるかもしれない。わたしもそう思った。わたしは剣じゃなくて、学問の道だけど」
「あんたは学者になるのかい?」
うなずきたかった。うなずく勇気がなかった。
「折れちゃった。今、何もしてないんだよ、わたし」
まぶたを閉じたら、さっきひどく咳き込んでいたせいか、たまっていた涙が目尻から落ちた。
急に言われて、何のことかわからなかった。
「悪いって?」
首をひねる。沖田のほうを向いたら、沖田もわたしを見ていた。霞《かす》んだ視界の真ん中で、沖田は眉間にしわを寄せた。
「他人の病を預かるなんて、正気の沙汰じゃあないよ。命知らずの新撰組でも、誰もそんなこと思い付きもしなかった」
わたしは笑った。そのはずみで、一つ、気味の悪い咳が出た。
「慣れてるから気にしないで」
「慣れてる?」
「こういう除霊の仕事中、切石や巡野が怪我をしたり、呪いを負ったりする。そのときは、わたしが全部預かって、二人に前線で戦ってもらう。それが、いつもの役割分担」
「汚れ仕事じゃないか。病も怪我も呪いも、ケガレだ。そんなものを一人で引き受けるなんて」
「だから、役割分担。わたしが代わりに汚れれば、切石も巡野も、今のきみも、望むとおりに動ける」
沖田は竹のコップの水を飲み干した。
「斎藤一って知ってる?」
「本名は山口一。新撰組三番隊組長。寡黙で、密偵や粛清みたいな汚れ仕事を……」
途中まで言って、沖田の脳裏にひらめいたものが何なのか、わかった。
沖田はため息をついた。眉間のしわにも話しぶりにも、いらだちがにじんだ。
「役割だから、適任だからって、一人で汚れ仕事を背負い込むのはどうなんだ? 平気だって言いながら、ぼろぼろになってさ。そんな嘘は聞きたくない。口下手だけど正直な山口一は、もうどっかに行っちまった」
「それは、でも……ッ」
口答えは、せり上がってきた咳に阻まれた。抑えようもなく咳き込む。血のような腐ったような、嫌な匂いがする。
わたしは口を押さえ、背中を丸めた。胸の奥で、ぜいぜいと不気味な音がする。胸も喉も痛い。呼吸の反動で引っ張られる背中も痛い。
呼吸がままならない。たちまち酸欠になって、頭がぐらぐらした。
「だから言ってるじゃないか」
怒ったような声とともに、ぐいと肩を抱かれた。
温かい。
沖田の胸に体を預ける格好だ。高熱があるのに冷え切ったわたしの体は、沖田の体温を心地よく、頼もしく感じた。
やせっぽちな男だと思っていた。でも、肩も胸もこんなに広い。
「今すぐ返せ。それはおれの病だ」
わたしはかぶりを振った。目を閉じる。自分の呼吸の音と、沖田の鼓動の音が聞こえる。
「寮に帰るまでは、仕事だから」
「じゃあ、今すぐ帰るよ」
「無理。立てない」
「おれが背負っていく」
「やだ」
「どうして?」
「重たいから。わたしを運ぶのは切石の役割」
「切石さんはまだ、あっちで騒いでるよ。あの様子じゃあ、こっちへ引っ張ってくるわけにもいかない」
わたしは目を開いた。沖田が見ている景色を、わたしも視界に映す。
切石も、嫌がっていたくせに巡野も、ラーメンどんぶりを手に、寮生たちを笑い合っている。
彼らはいつも、麺もチャーシューも大盛りだ。それだけじゃなく、替え玉まで平らげる。あれだけにぎやかに笑ったりしゃべったりしながら、食べるのも妙に素早くて、スープが熱いうちにペロリだ。
見ているだけで笑みが湧いてくる。
「楽しそうでしょ、あいつら」
「そうだね」
「きみもあっち行ってきていいよ」
「気が向かない。あんたのせいで、おれは今、機嫌が悪いからね」
「それって、わたし、謝ったほうがいい?」
沖田は無言で否定した。首を左右に振る動きが、くっついて支えられているから、わたしにもわかった。
だけどね、と、わたしは言い訳をした。
「わたし、この距離、気に入ってるんだよ。京都に来て寮に入るまで、とにかく体が弱くて。昔のことを思えば、この場所であいつらを見ていられること自体、奇跡みたい」
「体が弱かった? 病でもあったのか?」
「人工エレキに対する拒絶反応だよ。食べられるものが限られる。機械のそばにいると具合が悪くなる。おまけに、病院に行けば、無意識のうちに次から次にケガレを拾って預かってしまう」
「よく生きてこられたもんだね」
「ほんと。自分でもそう思う」
京都でならもっと安全に暮らせるかもしれない、と知ったのは中学生のころ。社会科の教科書に、京都は龍脈の影響で古来の栄励気が豊富な土地柄だ、と書いてあった。
高校にはあまり通えなかった。家にいて自力で勉強した。必死にやって、京都の大学に受かった。
「わたし、京都に越してきて、人生が変わった。こんなわたしでもまともに生きられるんだって、それを実感した」
「一旗揚げに、京都に来たの?」
「そうとも言えるかもね」
沖田が小さく笑うのが、沖田の胸の振動でわかった。
「おれたちと同じだ。江戸を出て、京都で将軍家のために働けば、貧乏武士だろうが郷士だろうが、取り立ててもらえる。おれたちにはその力があるって言ってさ、みんなで京都に出てきた」
「同じだよね。京都でなら、自分らしく、自分の力を振るって、生きていけるかもしれない。わたしもそう思った。わたしは剣じゃなくて、学問の道だけど」
「あんたは学者になるのかい?」
うなずきたかった。うなずく勇気がなかった。
「折れちゃった。今、何もしてないんだよ、わたし」
まぶたを閉じたら、さっきひどく咳き込んでいたせいか、たまっていた涙が目尻から落ちた。