「どうして……。あなた、死んだはずなのに……」

「どうもそうみたいだね。ここにいる僕は“本の記憶”の一部らしいから、死んだ実感ないんだけど……」

 母に問われた父が、困ったように頭を掻きながら笑う。そんな仕草もやっぱり明日香が覚えている父そのものだ。父は自分のことを“本の記憶”の一部と言っていたが、つまり目の前にいる父はこの不思議な場所の一部ということだろうか。
 明日香がそんなことを考えていると、歩み寄ってきた父が明日香の頭を撫でた。

「明日香、少し背が伸びたね。それに、ますます紗代さんに似て、美人になって」

「――っ! おとっさん!」

 気が付けば、明日香は目の前の父に抱き着いていた。
 この父が幽霊でも別の何かでも、そんなのどうでもいい。今、目の前にもう会えないと思っていた父がいる。それだけで、明日香は十分だった。
 そんな明日香のことを、大輔もしっかりと抱き留める。

「そこのおふたりのおかげで、事情は大体わかってる。すごいな、明日香。その歳で、もうお客さんたちに落語を披露しているそうじゃないか。おとっさん、驚いたよ」

 耳元で褒めてくれる父の声に、明日香はより一層抱きしめる力を強くする。
 大輔は、娘に抱き着かれたまま、その後ろに立つ最愛の妻に目を向ける。

「紗代さんには、謝らないとね。ごめん、僕が死んでしまった所為で、苦労を掛けて。あんなに大好きだった落語をできなくさせてしまって」

 大輔が謝ると、紗代は目に涙をこぼしながら首を振った。もはや言葉も出ない様子で、手で抑えた口元から嗚咽を漏らしながら、肩を震わせている。
 大輔は、「明日香、ちょっとごめん」と娘を離して立ち上がり、泣きじゃくる紗代の肩へ手を置いた。