幸人君が施設に来て三日目。
「フレンチトーストを焼いたの、食べない?」
甘い香りを漂わせるそれを、布団に潜り込んでいる彼に差し出すが、無視。
「えーっ、食べないなら、おいらにちょうだい」
それを見ていた同室の健人君が幸人君のベッドに上がり込む。
幸人君には不幸なことかもしれないが、職員には幸いなことに、部屋は個室では無く四人部屋。だから完全に引き籠もることができない。
「朝ご飯を食べたばかりでしょう? 早く学校に行きなさい」
しっしっ、と追い立てるが、健太君は「食べたい!」と連呼する。
「ダメと言ったらダメ!」
ここで育った私は子供たちに舐められている節がある。特に健太君は、四年近く一緒に育った仲なので、職員と思えないようだ。
「ソラのけち!」
「呼び方が違う! ソラ先生! いつも言ってるでしょう」
「ソラはソラだ。先生なんて呼ぶもんか」
べーっ、と舌を出し、「お前の母さんデベソ」と叫んで、ランドセルを背負うと飛び出していった。
「まったく! お前の母さんって誰のことよ?」
母親を知らない私に言う台詞じゃないわよね、とブツブツ言いながら苦笑いを浮かべていると、布団の隙間から少し目を出した幸人君が尋ねる。
「それどういう意味?」
こんな風に彼から何かアクションがあったのは初めてだった。はやる気持ち抑えて私は平然とした様子で「私、孤児だったの」と答える。
「それに、梅さん、あっ、養女にしてくれた人は前施設長で御年六十三歳なの。だから、健太君が梅さんを『母さん』とは言わないと思うの。そう思わない?」
幸人君が「うーん」と唸る。それから、「僕の母さんは三十六歳だよ」と微かに笑んだ。
「へー、若いね」と言った後、少し考え、えーっ、と叫んでしまう。
「私の歳でお母さんだったということ?」
本気で驚いた。
「だから、とっても苦労したんだ」
そう言ったきり、幸人君はまた貝のように口を噤んでしまった。
「フレンチトースト、良かったら食べて」
小山になった布団を眺めながら、しかたがないと諦め、それだけ言うと部屋を出た。
○◇○
「食べなかったのね……」
フレンチトーストは、そのままの状態でサイドテーブルにあった。それを引き上げ、代わりに鍋焼きうどんを置く。
「この麺ね、昨日、良美さんと打ったんだ。毎年年末にね、みんなでそば打ちをして年越しそばを食べるの。だから、麺打ちは得意なんだ」
幸人君が興味を示すか分からないが、私は施設で開催される行事のことを話し始めた。
「秋は特に美味しい行事が多いんだよ。明日は三連休の初日でしょう。裏山に作った畑で芋掘りをするの、参加しない?」
「――芋掘り?」
何も食べていない幸人君を誘うのは体力的にどうかと思ったが、誘ってみると、尋ね返す声が聞こえた。
「そう、やったことある?」
聞けば小学校一年生のとき、課外活動の一環で体験したそうだ。
「でね、当日はそれを焼き芋にして、次の日はそれでおやつを作るの。リクエストが多いのは、大学芋とスイートポテトとさつまいもチップス。何か作って欲しいものある?」
だが、彼は質問には答えず、「僕が掘ったさつま芋、僕にくれる?」と尋ね返された。
「残念だけど……収穫した作物はみんなの物なの。だから全部はあげられないけど、焼き芋がね、三本ずつ貰えるの。それは誰にあげてもいいことになっているわ」
子供たちは日頃お世話になっている商店街の方や、近所に住むお爺さんやお婆さんにそれをプレゼントしていた。
「じゃあ、僕、参加する」
「贈りたい人がいるの?」
「母さんに……」
「そう」と返事をしながら狡いことを考える。
「だったら、この鍋焼きうどん、少しでもいいから食べて。じゃないとお芋が掘れないよ」
大人になるに従い、どんどん駆け引きが上手くなる。梅さんが言ったとおりだ。
「母さんに焼き芋を届けに行ってもいいっていうこと?」
幸人君がおもむろに布団から起き上がった。
「残念だけど、今、それは約束できない。なぜなら、私一人の判断で返事ができないから」
途端に幸人君の顔が曇る。
「幸人君、よく聞いて。私は『約束はできない』と言っただけで、『届けられない』とは言っていないわ。どんなことでもだけど、わずかでも可能性があると思ったら、諦めちゃいけない。分かるわよね?」
彼は賢い子だ。だから、言っている意味を理解したのだろう。コクンと頷いた。
「貴方がお母さんに焼き芋をプレゼントしたがっていると、施設長に伝えておくわ。それでいいわね?」
「うん」
「じゃあ、食べて。今のままじゃ芋掘りどころか、山にも登れないわ」
畑があるのは山の中腹だ。小高い山だが、今の幸人君には厳しい距離だろう。
幸人君はまたコクンと頷くと、サイドテーブルに置いた鍋焼きうどんをトレーごと膝の上に置き、ゆっくり食べ始めた。
――よかった。
その様子にほっと安堵の息を吐く。
○◇○
「幸人のバカヤロー!」
安息の時間もわずか、それは芋掘りを終えた日の夕方に起こった。
「健人君、どうしたの?」
怒鳴り声を聞き、良美さんと部屋に駆け付けると――。
「ちょっと、やめなさい!」
健太君が幸人君の足にしがみつき、その足に歯を立てていた。
急いで二人を引き離すが健人君の興奮は収まらない。
「はなせ! バカヤロー」
腕から抜け出そうと大暴れするのを必死で食い止める。
「おやおや」
「これはこれは」
施設長と事務長が現われ、その様子に苦笑いを浮かべる。
「笑っていないでどうにかして下さい」
日常茶飯事ではないが、喧嘩は時々ある。
「男の子同士だからね。フラストレーションを発散しているんじゃないかな?」
のんびりとした様子で答える施設長に良美さんがキレる。
「幸人君の足、見て!」
ブルージーンズの、腿の辺りに黒い染みのようなものが広がっている。
「まさか、それ血?」
慌てて事務長が駆け寄る。
「そのまさかです」と言って良美さんが掌を見せる。
「おいらは悪くない!」
真っ赤に染まった掌を見た途端、健太君は叫び……気を失った。
ダラリと力の抜けた身体を支え、「救急車」を呼んで下さい、と言おうとしたが、施設長がそれを止める。
健太君が失神したのは、過去のトラウマからだと知っているからだ。
「事務長、私が車を出します、冴木先生に連絡を入れておいて下さい」
「了解しました」
「幸人君、歩ける?」
頷く彼の腕を良美さんは取り、立たせる。
「キーを取ってくる。君たちは駐車場に来てくれ」
施設から病院まで車で十分――その間、健太君は目を覚まさなかった。
○◇○
手当を終えた幸人君を長椅子に座らせ、その横に腰掛ける。
「健太……大丈夫?」
「大丈夫よ。でも、どうしてあんなことになったの?」
高校生と小学生。普段は有り得ない喧嘩だ。
幸人君は項垂れたまま、膝の上に置いた手をぎゅっと握り締め、しばらく身じろぎもせずじっと拳を見つめていた。
「話したくない?」
ううん、とゆっくり頭を振り、それから絞り出すような声で言った。
「干し柿……健太が干し柿を……くれたんだ。でも、僕は……それを……捨てた」
だが、そこまでだった。後は堰を切ったように泣き出し、声にならなかった。
私は無言で彼の背を撫でながら、健太君が嬉しそうな顔で、干し柿を見せびらかしていたのを思い出す。
干し柿の贈り主は駄菓子屋さんのお婆さんだ。毎年、健太君はそのお婆さんに焼き芋をプレゼントする。亡くなった健太君のお祖母さんに似ているかららしい。
お婆さんも健太君のことをとても可愛がっていた。
『本当は今年の物をやりたいんだけどね、時期がもう少し後だから、悪いね』
お婆さんが言うように、干し柿は冷凍した去年の物だった。
でも、私は知っていた。健太君のために、毎年この時期まで残しておいてくれるのを。
――それを捨てた?
健太君があんなに怒った理由が分かった。
「どうして捨てたりしたの?」
幸人君が少し落ち着いたのを見計らって尋ねると、「あいつが……」と、ぽつぽつ話し出した。
〝あいつ〟とは、健太君のことではなく、幸人君に暴力を振るった義父のことだった。
「干し柿を憎々しげに見つめ、それを噛み千切るように食べながら、僕を殴るんだ」
義父の父親――義理の祖父いう人は酒乱だったらしい。干し柿を食べながらお酒を飲むのが好きだったそうだ。
「母さんがいないときを見計らって、『俺はこんな風に親から殴られ育ったんだ』そう言って見えないところを……殴った」
――暴力の連鎖。
「その時の記憶が蘇り……捨てたの?」
「うん」
幸人君の苦悶に満ちた顔を思い出す。
「僕は……母さんの幸せを壊したくなかった」
「だから、殴られても我慢していたの? バカね。貴方が死んじゃったら、それこそお母さんの幸せは壊れるのよ」
彼の状態は死を前にするほど酷かったと聞く。
「でも……母さんが病気になったのは、幸せが壊れたからだろう?」
彼は母親の病気が自分のせいだと思っている。
「お母さんがそう言ったの?」
ゆっくり頭を振る。
「じゃあ、自分で尋ねて、確かめてみなさい」
えっ、と幸人君が顔を上げる。
「焼き芋を届けてもいいって、お許しが出たわ」
「母さんに会えるの?」
「そう。でも、その前に健人君に謝ろうか」
幸人君の方が被害は多大だが、彼なら分かってくれる。そう思った。
「――僕は事情を知らない健太を傷付けたんだね。あんなに嬉しそうだったのに……」
彼はやはり賢く心優しい子だった。
「帰ったら、芋粥を作ってあげる。それを持っていってあげて。あの子、あれが好きなの」
「僕も好きだよ。芋掘り体験した夜、母さんが作ってくれたんだ」
「じゃあ、二人で一緒に食べて仲直りしようね。ちゃんと事情を話してあげて。健太君はきっと聞いてくれるはずだから」
「フレンチトーストを焼いたの、食べない?」
甘い香りを漂わせるそれを、布団に潜り込んでいる彼に差し出すが、無視。
「えーっ、食べないなら、おいらにちょうだい」
それを見ていた同室の健人君が幸人君のベッドに上がり込む。
幸人君には不幸なことかもしれないが、職員には幸いなことに、部屋は個室では無く四人部屋。だから完全に引き籠もることができない。
「朝ご飯を食べたばかりでしょう? 早く学校に行きなさい」
しっしっ、と追い立てるが、健太君は「食べたい!」と連呼する。
「ダメと言ったらダメ!」
ここで育った私は子供たちに舐められている節がある。特に健太君は、四年近く一緒に育った仲なので、職員と思えないようだ。
「ソラのけち!」
「呼び方が違う! ソラ先生! いつも言ってるでしょう」
「ソラはソラだ。先生なんて呼ぶもんか」
べーっ、と舌を出し、「お前の母さんデベソ」と叫んで、ランドセルを背負うと飛び出していった。
「まったく! お前の母さんって誰のことよ?」
母親を知らない私に言う台詞じゃないわよね、とブツブツ言いながら苦笑いを浮かべていると、布団の隙間から少し目を出した幸人君が尋ねる。
「それどういう意味?」
こんな風に彼から何かアクションがあったのは初めてだった。はやる気持ち抑えて私は平然とした様子で「私、孤児だったの」と答える。
「それに、梅さん、あっ、養女にしてくれた人は前施設長で御年六十三歳なの。だから、健太君が梅さんを『母さん』とは言わないと思うの。そう思わない?」
幸人君が「うーん」と唸る。それから、「僕の母さんは三十六歳だよ」と微かに笑んだ。
「へー、若いね」と言った後、少し考え、えーっ、と叫んでしまう。
「私の歳でお母さんだったということ?」
本気で驚いた。
「だから、とっても苦労したんだ」
そう言ったきり、幸人君はまた貝のように口を噤んでしまった。
「フレンチトースト、良かったら食べて」
小山になった布団を眺めながら、しかたがないと諦め、それだけ言うと部屋を出た。
○◇○
「食べなかったのね……」
フレンチトーストは、そのままの状態でサイドテーブルにあった。それを引き上げ、代わりに鍋焼きうどんを置く。
「この麺ね、昨日、良美さんと打ったんだ。毎年年末にね、みんなでそば打ちをして年越しそばを食べるの。だから、麺打ちは得意なんだ」
幸人君が興味を示すか分からないが、私は施設で開催される行事のことを話し始めた。
「秋は特に美味しい行事が多いんだよ。明日は三連休の初日でしょう。裏山に作った畑で芋掘りをするの、参加しない?」
「――芋掘り?」
何も食べていない幸人君を誘うのは体力的にどうかと思ったが、誘ってみると、尋ね返す声が聞こえた。
「そう、やったことある?」
聞けば小学校一年生のとき、課外活動の一環で体験したそうだ。
「でね、当日はそれを焼き芋にして、次の日はそれでおやつを作るの。リクエストが多いのは、大学芋とスイートポテトとさつまいもチップス。何か作って欲しいものある?」
だが、彼は質問には答えず、「僕が掘ったさつま芋、僕にくれる?」と尋ね返された。
「残念だけど……収穫した作物はみんなの物なの。だから全部はあげられないけど、焼き芋がね、三本ずつ貰えるの。それは誰にあげてもいいことになっているわ」
子供たちは日頃お世話になっている商店街の方や、近所に住むお爺さんやお婆さんにそれをプレゼントしていた。
「じゃあ、僕、参加する」
「贈りたい人がいるの?」
「母さんに……」
「そう」と返事をしながら狡いことを考える。
「だったら、この鍋焼きうどん、少しでもいいから食べて。じゃないとお芋が掘れないよ」
大人になるに従い、どんどん駆け引きが上手くなる。梅さんが言ったとおりだ。
「母さんに焼き芋を届けに行ってもいいっていうこと?」
幸人君がおもむろに布団から起き上がった。
「残念だけど、今、それは約束できない。なぜなら、私一人の判断で返事ができないから」
途端に幸人君の顔が曇る。
「幸人君、よく聞いて。私は『約束はできない』と言っただけで、『届けられない』とは言っていないわ。どんなことでもだけど、わずかでも可能性があると思ったら、諦めちゃいけない。分かるわよね?」
彼は賢い子だ。だから、言っている意味を理解したのだろう。コクンと頷いた。
「貴方がお母さんに焼き芋をプレゼントしたがっていると、施設長に伝えておくわ。それでいいわね?」
「うん」
「じゃあ、食べて。今のままじゃ芋掘りどころか、山にも登れないわ」
畑があるのは山の中腹だ。小高い山だが、今の幸人君には厳しい距離だろう。
幸人君はまたコクンと頷くと、サイドテーブルに置いた鍋焼きうどんをトレーごと膝の上に置き、ゆっくり食べ始めた。
――よかった。
その様子にほっと安堵の息を吐く。
○◇○
「幸人のバカヤロー!」
安息の時間もわずか、それは芋掘りを終えた日の夕方に起こった。
「健人君、どうしたの?」
怒鳴り声を聞き、良美さんと部屋に駆け付けると――。
「ちょっと、やめなさい!」
健太君が幸人君の足にしがみつき、その足に歯を立てていた。
急いで二人を引き離すが健人君の興奮は収まらない。
「はなせ! バカヤロー」
腕から抜け出そうと大暴れするのを必死で食い止める。
「おやおや」
「これはこれは」
施設長と事務長が現われ、その様子に苦笑いを浮かべる。
「笑っていないでどうにかして下さい」
日常茶飯事ではないが、喧嘩は時々ある。
「男の子同士だからね。フラストレーションを発散しているんじゃないかな?」
のんびりとした様子で答える施設長に良美さんがキレる。
「幸人君の足、見て!」
ブルージーンズの、腿の辺りに黒い染みのようなものが広がっている。
「まさか、それ血?」
慌てて事務長が駆け寄る。
「そのまさかです」と言って良美さんが掌を見せる。
「おいらは悪くない!」
真っ赤に染まった掌を見た途端、健太君は叫び……気を失った。
ダラリと力の抜けた身体を支え、「救急車」を呼んで下さい、と言おうとしたが、施設長がそれを止める。
健太君が失神したのは、過去のトラウマからだと知っているからだ。
「事務長、私が車を出します、冴木先生に連絡を入れておいて下さい」
「了解しました」
「幸人君、歩ける?」
頷く彼の腕を良美さんは取り、立たせる。
「キーを取ってくる。君たちは駐車場に来てくれ」
施設から病院まで車で十分――その間、健太君は目を覚まさなかった。
○◇○
手当を終えた幸人君を長椅子に座らせ、その横に腰掛ける。
「健太……大丈夫?」
「大丈夫よ。でも、どうしてあんなことになったの?」
高校生と小学生。普段は有り得ない喧嘩だ。
幸人君は項垂れたまま、膝の上に置いた手をぎゅっと握り締め、しばらく身じろぎもせずじっと拳を見つめていた。
「話したくない?」
ううん、とゆっくり頭を振り、それから絞り出すような声で言った。
「干し柿……健太が干し柿を……くれたんだ。でも、僕は……それを……捨てた」
だが、そこまでだった。後は堰を切ったように泣き出し、声にならなかった。
私は無言で彼の背を撫でながら、健太君が嬉しそうな顔で、干し柿を見せびらかしていたのを思い出す。
干し柿の贈り主は駄菓子屋さんのお婆さんだ。毎年、健太君はそのお婆さんに焼き芋をプレゼントする。亡くなった健太君のお祖母さんに似ているかららしい。
お婆さんも健太君のことをとても可愛がっていた。
『本当は今年の物をやりたいんだけどね、時期がもう少し後だから、悪いね』
お婆さんが言うように、干し柿は冷凍した去年の物だった。
でも、私は知っていた。健太君のために、毎年この時期まで残しておいてくれるのを。
――それを捨てた?
健太君があんなに怒った理由が分かった。
「どうして捨てたりしたの?」
幸人君が少し落ち着いたのを見計らって尋ねると、「あいつが……」と、ぽつぽつ話し出した。
〝あいつ〟とは、健太君のことではなく、幸人君に暴力を振るった義父のことだった。
「干し柿を憎々しげに見つめ、それを噛み千切るように食べながら、僕を殴るんだ」
義父の父親――義理の祖父いう人は酒乱だったらしい。干し柿を食べながらお酒を飲むのが好きだったそうだ。
「母さんがいないときを見計らって、『俺はこんな風に親から殴られ育ったんだ』そう言って見えないところを……殴った」
――暴力の連鎖。
「その時の記憶が蘇り……捨てたの?」
「うん」
幸人君の苦悶に満ちた顔を思い出す。
「僕は……母さんの幸せを壊したくなかった」
「だから、殴られても我慢していたの? バカね。貴方が死んじゃったら、それこそお母さんの幸せは壊れるのよ」
彼の状態は死を前にするほど酷かったと聞く。
「でも……母さんが病気になったのは、幸せが壊れたからだろう?」
彼は母親の病気が自分のせいだと思っている。
「お母さんがそう言ったの?」
ゆっくり頭を振る。
「じゃあ、自分で尋ねて、確かめてみなさい」
えっ、と幸人君が顔を上げる。
「焼き芋を届けてもいいって、お許しが出たわ」
「母さんに会えるの?」
「そう。でも、その前に健人君に謝ろうか」
幸人君の方が被害は多大だが、彼なら分かってくれる。そう思った。
「――僕は事情を知らない健太を傷付けたんだね。あんなに嬉しそうだったのに……」
彼はやはり賢く心優しい子だった。
「帰ったら、芋粥を作ってあげる。それを持っていってあげて。あの子、あれが好きなの」
「僕も好きだよ。芋掘り体験した夜、母さんが作ってくれたんだ」
「じゃあ、二人で一緒に食べて仲直りしようね。ちゃんと事情を話してあげて。健太君はきっと聞いてくれるはずだから」